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キュウ富士橋の解体はじまってた [川と橋の文化誌]
今日は朝から天気が優れず、午後には冷たい雨がしとしとと・・・。
そんな天気だからこそ、富士橋のいまを見に行きました。
1つめの写真は、左岸の少し上流側から シン富士橋を見渡したものです。
シン富士橋は昨年(2023年)の8月には共用が開始されていましたが、
西詰(国道52号側)の接続が片側のみ整備済みで、東進のみの片側通行と
なっていました。西進する方は、キュウ富士橋を使っての暫定供用でした。
しかし、いつしか、双方向の通行が可能な状態になって、今日現地を
訪ねると、本格共用となっていたのです。
そこで気になるのは、キュウ富士橋はどのようになっていたか、でした。
2つめの写真でわかるように、通行不可となっていて、解体工事に着手された
ことを告知する工事サインが出ていました。
シン富士橋を渡って西詰に行き、シン富士橋とキュウ富士橋の現状を確認です。
おや、すでに西詰側では、キュウ富士橋の解体工事がはじまっているではありませんか。
すなわち、西詰側のプレートガーダー構造の2径間分の桁がすでに外されていたのです。
また下路単純トラス部分の床板も、骨組みをのぞき、消えていました。
現地で見られた解体の工事サインの情報によれば、今年の6月末までには、
下部工の根入れ部分までかどうかは不明ですが、解体工事が完了していく、
いいかえるとこの歴史的鋼橋は、まもなく地上から姿を消していくようです。
冷たい小雨が降る金曜日となりました [そらもよう]
あら、たいへん。11月も三分の一がおわってしまいます。
そんな今日は、冷たい小雨が断続的に降る金曜日となりました。
この後の日々は、少し霜月らしくなるかなぁ。まあ、そう
なることを前提に、「甲州百目」の皮むきをして、干し柿を
作っていきましょう。今日は、作業場の片付け(柿むき準備)
をしましたよ。
写真は、この秋からわが家の庭に参入したサザンカの鉢植え
の花ですが、小雨の雨粒をうけつつ、清楚に咲いていました。
つるし柿用の「甲州百目」の収穫 [エートマンズ・ファーム]
いくつか甲州百目の木があるのですが、そのうちの1つで、たわわに
実が付いているところに、カラスが数羽やってきて、なにやら騒がしい
のを目撃し、突かれたりするのいやだなと、今夕あわてて柿もぎをしま
した。
8枚のコンテナにならべた収穫は、およそ200個ちょっと。
ほかの木も引き続きもいで、今週末は柿剥きしなければ・・・。
今年の秋は、へんに気温が高いので、もう少し冷涼になってから採って
皮を剥き、寒風にさらしていくつもりでしたが、自然相手の諸般の事情
はなかなか、計画通りというわけにはいかないようです。
収穫後の田の起耕 [エートマンズ・ファーム]
昨日の早朝、まとまった雨があったので、しっとり埃がたちにくく
なっていたので、昨夕から田んぼの起耕をしました。トラクタにのっ
ていればよくて、ちょっと楽ちんな農作業でありました。
(ほんとは、あちこちに気を配り疲れるのですが・・・)
今日の金峰山 231107 [甲斐の山々]
今日の午後に、わが家の北向きの窓から望遠した金峰山です。
五丈岩がかなりはっきりと確認できました。
ところで、富士山は、上半が白く雪化粧してきていたのですが、
ここ数日、11月にしては異例の暖かさにより、その雪がほぼ融けて
しまったとのニュースが聞かれました。
実際に所用で他出した際に見た、甲府盆地からの富士山の眺めは
夏山のような感じでありました。
なやましきラッキョウの花 [はないちもんめ]
わが家の畑の隅っこに、いま、こんな花が見られます。
とても恥ずかしいことですが、今日、写真におさめた時も、PCに取
り込んだ後でも、ずっとこの花の名前、わからなかったのです。
断念しかけたとき、ネット上で同じ花の写真に遭遇しました。そ
の結果、ラッキョウの花だとわかりました。
なやましき・・・とは、名前がなかなかわからなかったことも1つ
ですが、農家なのに農作物であるラッキョウの花を知らなかったと
いうこともあります。ほかにも、その場所が・・・。
前回取り上げたホトケノザが見られた場所からそんなに離れてい
ないのに、ずっと気づかずにいたことも・・・。
まるく18年というか、19年目に・・・ [このブログの周年記事]
今日は、2023年の11月6日。
いろいろありましたけど、このブログの最初の投稿が2005年の11月6日。
それから18年が経ちました。
19年目に入った今日の写真は、今日、畑作業の合間に見た、ホトケノザの花。
そういえば、5周年の時もホトケノザの花、載せてたようです。
“じな” の成長 11月4日現在 [エートマンズ・ファーム]
9月に種まきした “じな” がここまで成長してきました。伸びに
でこぼこがありますが、おおむね順調だと思います。
手帳買ったら『サライ』付いてた・・・ [ほんばこ]
昨日のことでしたが、ある本(趣味系の雑誌)が欲しくて、最寄りの書店に
行きました。でも、お目当てのは売り切れてしまったのか、求められませんで
した。
久々の書店、せっかくだったので、いろいろと見て歩きました。そんな中で
目にとまったのがこれ。『サライ』11月号ですが、なんと手帳が付録にあった
のでした。税込み1,200円。ちょっと迷ったあげくに購入。
帰宅して、付録開いてみると、ハードカバーの手帳で、けっこういい感じ。
そう、今の時期、書店でも、文具店などでも、来年の手帳がさまざまに陳列さ
れ目を惹く状況が見られますが、1,000円前後のものが多く、毎年つかっている
N社のお手軽な手帳でさえ650円もしました(2023年版で)。
それを考えると、1,000円くらいの手帳に、『サライ』が付いてきた・・・な
んて喜べる感覚になるのでした。
今日は地区内3社の祭礼日 [まつり・行事]
お祭当番としておつとめしたこと、メモにまとめました。
山王権現は、本来、比叡山(延暦寺)の鎮守神で、大山咋神(おおやまくいのかみ)
であり、山の地主神ないしは農耕・治水を司る神として信仰をあつめてきたのですが、
当地では、産王の文字をあて、そこからお産や子育ての神との位置づけが加えられて
親しまれてきました。
御崎明神は、山梨によくある神で、稲荷明神と同じく、狐をそのお使いとすること
から、神前には狐の置物が数多くそなえられてきました。稲荷神は農耕の神ですが、
御崎明神も同じとみられる他、狐憑きに関係するところもある可能性があります。
最後に愛宕権現ですが、もともと火防の神として尊崇されてきました。それで、当
地のお愛宕さんですが、お堂の中に、左手に如意宝珠、右手に錫杖を持つ僧形の立像
すなわち地蔵菩薩立像のすがたをされて鎮座しているのでした。
なぜ地蔵菩薩なのだろうか。ずっと不思議に思っていましたが、今回のお当番の仕
事をしながら、愛宕権現の本地が勝軍地蔵だとする考え方が存在したことにめぐりあ
いました。勝軍地蔵は、甲冑に身をつつんだ地蔵のすがたをとるのが基本ですが、こ
こでは略式で普通のお地蔵さんでおられたのでは、と思われるのです。
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