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すわっ 2 [神社まいり]

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 前回の「すわっ」は6月15日、なので40日ぶりの「すわっ」です。

 今回のは、中央市(旧田富町)の大田和地区に鎮座するお諏訪さまです。

 何で「諏訪神社」のことを記事にするのにタイトルが「すわっ」なんでしょうか。
とくに深い意味はありません。またシリーズ化するとも明確にはいえません。
「すわっ」の“すわ”は、感嘆詞の“すわ”で、
「それっ」という語感の雅語的表現だと辞書にはありましたが・・・

 さて、話を本題に戻して、画像左手に見える諏訪神社の石柱の
背面には、
次のようなことが書かれていました(意訳しています)。

    大田和地域東部東花輪との境界には、昔から当地域を水害から守る為に
    延々四百mに及ぶ霞堤が存在したが、昭和43年の圃場整備事業の際に、
    既に河川改修等が進められた結果不要となった堤を除去し
    廃された堤防の敷地は圃場に組み込まれ、現在のようになった
    その際、堤を永年管理した代償として地代の配分を受けたが、
    その全額が神社の拝殿新築などに当てることとされ、工事が実施された
    諸神の守護に依り氏子一同の安泰を永遠たれと祈念する
      昭和61年10月吉日 氏子一同

 この地は、昔から水害にさいなまれてきた土地なんですね。

 水害といえば、この数日、梅雨末期の豪雨による土砂崩れなどが各地で発生し
多くの災害をもたらしていると報道が繰り返されていますが、
『角川地名大辞典』の「〔近世〕大田和村」の項によりますと、
当地も、江戸時代初期の慶長14(1609)年に、たいへんな水害に襲われ、
当時、11人いた百姓のうち、9人までが屋敷とともに流失してしまい、
壊滅的な打撃を受けたとのことです。

 この3年後に笛吹川に堤防を整備し、また近隣から村人を集めたりして
村が再興された、という歴史があったことが、確認されます。

 お諏訪さまは、戦の神さまで、この神様が祀られているということは
中世には、きっと地域をリードした武士層がいたんだろうとも想像されますが
現在の神社の石柱の銘文などから、甲府盆地で最も標高が低いところの
一つに当たる当地の過去がしのばれました。

060724suwashahonden.jpg

 蛇足ですが、こちらの神社の本殿は、石造で、覆い屋はありません。

 もともと露座の祠のみの諏訪神社であったと思われますが、
圃場整備事業の中で発生した地代をどう使うか議論を重ね、
結論として“地域を水害から守る”役割を負わされたお諏訪さまに
拝殿を新築するとは、まだまだ地域の力があるなぁ・・・
と、思うことしきりでした。

 さらに下世話な話で恐縮ですが、それから20年経った現在、
同様な課題があったとして、同様な結論になるのかしら・・・
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