ほうきゅうじ [寺院めぐり]
先日(1/22)、中央市高部にある法久寺を訪ねました。
曹洞宗の寺院で、山号を浅利山といいます。
左右の灯籠は、宝永年間(1704-11)に、二親菩提のため寄進されたものです。
その先、左手に折れて、山門をくぐり、南面する本堂に進みます。
山門を過ぎて、本堂への参道の右手、山すそを一段上がったところに
この寺の開基とされる浅利与一義成の墓所があります。
この地は、中世浅利郷にあたり、甲斐源氏の一人義成(「吾妻鑑」では義遠)が
この地に住して、浅利を姓とし、鎌倉幕府の成立に貢献したとされています。
義成の法名は「宝弓寺一箭存誉」とされていますが、
義成が弓の名人とされることから、<弓>の文字と<箭>が込められていて、
初めの<宝弓寺>は、現在の“法久寺”という寺号に音が通じています。
つまり法久寺は、浅利与一の菩提寺。
浅利山という、この寺の山号も、浅利氏の姓をとっているのです。
こちらは、法久寺の本堂です。
この寺は、浅利氏の影がこの地で薄なると、長く荒廃してしまったようです。
戦国時代になって、曹洞宗の寺として再興されましたが、
寛文5年(1665)に、諸堂と記録類などを焼失してしまったと記録され、
さらに享和2年(1802)に再び火災にかかり、
昭和55年(1980)に三度、焼失するという、
ちょっときびしい歴史をとどめていますが、関係者の多大なご苦労もあって
現在は写真でご紹介したように、古い由緒とともにりっぱなお寺として
落ち着いた構えを見せていました。
2007-01-27 20:40
nice!(0)
コメント(2)
内容に全く関係なくて申し訳ないのですが。
カウンター、前からカエルでしたか?
今日気づいたんですけど。
ずっと気づかなかったんだったら、「蛙屋」の名が泣きますなあ。
by 蛙屋 (2007-01-27 21:56)
すみません、kawazuya様のお株をうばうかたちになりましたが、本日(1/27)の夕方にカウンターのデザイン変えました。数ある中からこれを選択しました。これから当分、これで行きます。
by bnvn05 (2007-01-27 22:00)