SSブログ

「水に取り組む」のお話 [ふむふむ そうなんだぁ!]

070219inayamaike.jpg

「水に取り組む」は、博物館のコーナータイトルですが、
このところの四ツ沢川砂防公園などもそうしたことの現場だといえます。
 今回の記事は、さらに踏み込んでの「水に取り組む」のお話です。

 写真は、笛吹市八代町岡の山裾にあります、稲山溜池です。
画面のずっと遠くに南アルプスがかすんで見え
(残念ながらこの写真ではわかりませんねェ・・・)
右手には、あの四ツ沢川橋が見えます。
とても風光明媚な場所です。

070219inayamaikenohi.jpg

 さて、この池は灌漑用水を得るための人工の池なのですが、
この池の畔に「稲山溜池之碑」が建っています。

070219inayamaikenohi02.jpg

 この地で、人々がいかに水に取り組んできたのかが偲ばれる歴史が
この「池山溜池之碑」の背面に記されています。
ちょっとの労により、書き起こすことができたので、ぜひご紹介したく
次に碑文の全文をのせます。

当地ハ大覚林ト呼バレ 面積五、三六三平方米 西ト北ニ一米余リノ 土塁ガアッタ 昭和八年七月 米倉村ト灌漑用水ノ争ガ起リ石和警 察署ノ仲介ニヨリ解決シタ コノ時溜池ノ必要性ヲ痛感シタ当時ノ岡村 担当 石倉勝次郎氏ヨリ コノ地ノ寄付ノ申シ出ガアッタ 九月一七日 村会デ村営工事トシテ溜池ノ建設ヲ決定 昭和九年二月二一日起工 全戸出役シ 総テ人力ニヨリ施工 五月六日竣工式ヲ挙ゲタ 総工費 一、八五〇円 内県補助一、一一〇円 工事中 五輪塔数基ガ出土シテイル 翌一〇年三月 漏水止メ工事ニ県補助金三一〇円ヲ以テ総テ完成シタ 以来 農業灌漑ニ大イニ役立ッテキタガ六〇年ノ歳月ヲ経テ築堤等 ニ老朽ガ進ンダタメ 平成七年 土地改良施設維持管理適正化事業 ヲ導入シ 大規模改修ニ着手シタ 堤内張ブロック 樋門底樋工事 導排水路ノ工事ガ 国県ノ補助ヲ得テ総事業費五、〇〇〇千万円ヲモッテ 完成シ 清水ヲ満々ト湛エテイル ココニ今日迄 溜池ノ建設ニ維持管 理ニ携ワッテキタ関係者ノ努力ヲ称エ記念碑ヲ建立スル       平成十年三月                八代町岡区

 いかがでしょうか。
なぜか漢字カナ文で、読みにくいかも知れませんが、
尊い歴史を伝えるのだという地区の皆さまの意識の現れではないかと思われ、
ついつい頭が下がる心持ちがします。

 で、碑文を読んで、気になることがいくつかあります。
 一つは、石倉勝治郎さんがもともと所有されていたこの土地ですが、
土塁が巡らされていたり、五輪塔があったりしたということなので、
中世の屋敷跡または、寺跡なのではなかったのでしょうか。
「大覚林」という古い地名は、寺だった可能性を示唆するのかもしれません。
 また、工事中出土した五輪塔は、その後どうなったのでしょうか。
 それはともかく、碑文の前後の文脈の中で、“五輪塔数基出土”というのは、
そのことにふれる必然性が、あまりないようにも思われますが、
唐突にもそのことを織り込んだことも、この地域の方々の
歴史への関心の現れとみられるのではないかと思います。

 初めの溜池建設の工事が起こされたのは、1934年の2月のこと。
それから73回目の2月が回ってきて、あらためてこの地の人々の
「水に取り組む」姿をまじまじと見るとき、
まあ、蛇足ですが、それが今だったら、工事前に、試掘調査などして
より古い歴史は、果たしてそのまま壊してしまってよいのか、
せめて詳細な記録を残しましょうみたいな相談もあったのでしょうが、
時代は、だんだんあの戦争に向かって突き進んでいく、
とても暗くきびしい世相にあり、当時では、とてもそんなことはいえなかったでしょうね。
 そうしてみると、今は、いい時代だなって、しみじみ思います。
(ちょっと心許ないところもありますが・・・)


 話は変わりますが、「水に取り組む」といえば、
明日(2月24日)午後1時から、甲府市社会教育センターを会場に、
山梨県埋蔵文化財センターが主催するシンポジウム『堤防今昔』があります。
こうしたことに、ご関心をお持ちの皆さま、ぜひ会場にお運びください。
nice!(0)  コメント(5) 

nice! 0

コメント 5

bnvn05

nontanさま いつもコメントいただきありがとうございます。前回の記事に付けていただいたコメントには、別にメールさせていただきましたが、今回の記事は、前回の記事へいただいたコメントに触発されて書いた部分があります。またご感想などお聞かせください。
by bnvn05 (2007-02-24 03:05) 

nontan

このコラムは、私への挑戦状ですよね(笑)。
冗談はさておき、今日、町誌を確認したのですが、これに関する記載を見つけることができませんでした。実は、合併に伴い、町村誌を読む機会が増え、気になる記載が少なくありません。八代に関しては、他にも大規模な寺院があったと言われる場所があるのですが、そこについてもまだ把握できていません。
一宮・御坂については郷土史家の方々が活字にされていることが少なからずありますので、助かるのですが、他はよくわからないことがあります。お前のところはどうかって? きちんと県博に納めてありますよ。
by nontan (2007-02-26 21:54) 

bnvn05

nontanさま やあ~ さっそくにご感想いただき ありがとうございました。
何でもそうですが、意識をもってことにあたるのは、たいへんですよねぇ・・・。それから、それなりの目をもってあるくと、身近なところに、いろいろな興味深いものがころがっているんですね。ちょっとした発見がうれしいですよ。このごろ、本業ができなくなり、考今学みないなことになっています。またよろしくお願いします。
by bnvn05 (2007-02-27 02:00) 

nontan

挑戦状をもらったので、少しむきになって調べてしまいました。
実は、大正時代に刊行された『東八代郡誌』に大覚林の関する記事を見つけました。それを元に『甲斐国志』をみると、大覚林の文字こそありませんが、記事を見つけることができました。
ご一読下さい。
by nontan (2007-02-28 19:12) 

bnvn05

nontanさま いろいろとご教示ありがとうございました。
by bnvn05 (2007-03-01 21:12) 

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。