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長松寺橋 [橋と川の文化誌]

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 川と橋があって、そのずっと向こうに送電線が見える・・・
お気に入りの景色です。
 それにしても、このところ、橋のお話ばかりが目立っていて、
送電線の方はどうなってるのでしょう。
気にはしてるんですけど、あちらはタグを手書きする気力がもう一つで・・・。

 さて、今回のは、荒川をまたぎ、甲府市の飯田と下飯田を結ぶ
「長松寺橋(ちょうしょうじ-ばし)」です。

 ご関心のおありの方、お急ぎでない方は(続きをよむ)へどうぞ。080128choshojibashi03.jpg

 こちらは、西詰めの下飯田側から見た長松寺橋です。
甲府市の中心と甲斐市方面を結ぶ幹線道路の一つで、
毎日多くの人や車が往き来しています。
 向かって左側が上流側ですが、
そちらにだけ歩道が設置されています。

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 歩道を西詰めから渡っていき、橋の中ほどで、南側の欄干を撮りました。
ここの橋の最大の特色は、やはりこの欄干に取り込まれていたデザインにあると思います。
皆さんご存知だと思いますが、それは山梨県の県章があしらわれているのです。

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 ほぼ同じ場所で、北側の欄干を見ました。
あれれ・・・こちらはようすが違いますね。
コンクリート製の欄干に、南側と同じ意匠の鉄製格子がはめ込まれています。
このちぐはぐ感は、どこから来るのでしょうか。

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 いつものように橋の下に降りて観察してみました。
そうしたら、車道部分に2段階あるのが確認されました。
この写真は、アーチ型の“まど”のある橋脚越しに、東側橋台を見たものですが、
そのことがお分かりいただけるでしょうか。

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 前の写真の部分を少し引いて、北側から観察します。

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 東側から1つめの橋脚の詳細観察ですが、この橋脚もよく見ると
アーチ型の“まど”のある部分と、その向こう側に続く
コンクリートだけの部分とからなっているのがわかります。
 初めは、アーチ型の“まど”のある部分だけの幅員の橋だったのですが、
通行する車が大型化し、橋が狭くなったので、南側に橋台や橋脚を足して
橋の幅を改変する工事が行われたようです。

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 橋脚は8つあり、現在では、考えられないほど多く、
また当初部分には、勝手に“まど”と呼んできた部分があり、
橋脚自体、たいへん凝ったデザインではありますが、
強度という観点では、たいへんかなと思われます。
 ここで、橋の上で見た欄干の違いを思い出してみてください。
南側のすべて鉄製の欄干は、拡幅工事によって施されたもので、
北側のコンクリートのフレームに鉄の柵をはめ込んだ方は、
当初の欄干なんだという理解ができることになります。

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 こちらは当初部分に付けられた「道示」プレートです。
1955年の道示に準拠して1959年3月に設計され、施工された
2等橋だと分かります。
 やや規模的に小さい2等橋だったのが、交通事情の変化により
拡幅増強された・・・ それが今見る長松寺橋の姿なんだということです。

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 こちらは歩道部分に付けられている「道示」プレートです。
このとき、初めて知ったことなのですが、
「人道橋」という示方書もあったんだと気付かされました。
 で、この歩道部分は、1964年版の基準で、
1968年3月に設計されたものだと思われます。
橋の拡幅工事もこのころに行われたのでしょうか。
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