身延町瀬戸にある発電所は・・・ [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
身延町古関(平成の合併前は下部町)から、県道416号折門古関線を、
反木川に沿って上がっていくと、前方の山の斜面に、
長い水力発電所の導水管が現れます。
水力発電をするからには、所用の用水が無ければなりませんが、
あの山の上に、そんなにたくさんの用水が確保される水源とは・・・。
実は、この疑問、かつてこのブログで、一度ふれたことがあります。
今回は、ともかく、そこにある発電所を見てみます。
導水管が反木川まで、下ってきた場所に、発電所がありました。
この発電所の入口に、こうした立ち入り制限を告げる看板が出ていました。
これにより、日本軽金属(株)の本栖発電所だとわかりました。
でも、どうしてここが、「本栖」発電所なのでしょうか。
この発電所で発電された電気の送り出し口です。
発電された電力は、送電線で送られていきますが、
発電所敷地内にある最初の送電線鉄塔です。
鉄塔の右側に発電施設があり、この鉄塔にあげられた線は、
折り返し右側の古関方向に中継されていきます。
本栖発電所の場所から見える、その先の送電線鉄塔群です。
ここで誕生した電力は、最終的に静岡市清水区蒲原にある日本軽金属株式会社の
アルミニウム精錬工場に送られていくのです。
それでは、そろそろまとめをしておきましょう。
この発電所が、「本栖発電所」という名称が付けられている理由は、
このマップでわかりますね。
水力発電用の用水は、富士五湖の1つ、本栖湖から得られているので、
身延町瀬戸に所在する発電所ではありますが、本栖発電所というのです。
それから、電力を送る送電線のルートですが、木喰の里として知られている
身延町の丸畑地区を通過していっています。
この春、木喰の里を歩いたことがありましたが、そこで見た景色の中に、
この本栖発電所の導水管の存在が気にとまり、2008年3月25日に記事にしています。
その際に、本栖発電所の存在は、およそ見当がついていたのですが、
今回、発電所の具体的な位置や環境を見ることが出来ました。
それと、木喰の里を歩いたとき、そこを通過する、3相1回線の送電線が
どういう意味を持つ送電線なのか、までは気にとめなかったのですが、
このまとめの地図のとおり、本栖発電所の電力を伝える送電線だと判明しました。
(注:本栖発電所については、8月5日に現地確認をしましたが、
いろいろとあって、すぐに記事に出来なくて、9月中旬ごろ
このまとめのマップを作成し、まとめようかとしましたが、それも延びのびとなり、
もう9月も終わってしまうので、今回何とかアップしておくことにしたものです)
2008-09-29 23:59
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コメント(4)
祖母の家に行く時いつも車の中で「これ何だろ?」と思っていたのですが、発電所だったんですね・・・。
by shun (2009-11-14 18:23)
shun様 コメントいただきましてありがとうございました。
そうですよ、実に歴史のある、民間会社(出発時は国策に基づくものですが)の発電所なのです。
エートマンは、仕事で、県内のあちこちに出かけることがあります。以前は、およそよく記憶していたのですが、だんだんと忘れがちになって、えーとあれは、いつだっけ、とかえーとあれは、どこのことだっけ、とか、えーとなんだっけ、とか。
そこで、ブログを書き、いろいろと見聞きすることを書き留めていくことに・・・。お陰様で、いろいろなことを書き留めていくうちに、いろいろと奥深い歴史や文化の広がりを知ることが出来るようになりました。
そんなことでこれからも書き続けますので、よろしくお願いします。
by エートマン (2009-11-15 09:27)
歴史や背景を調べたりするのって面白いですよね。
僕も最近旧下部町の過去のことをネットで調べたりしています。
これからも頑張ってください!
by shun (2009-11-15 23:46)
shunさん、重ねてのコメントありがとうございました。
初めてのときの敬称は「様」ですが、2回目からは、「さん」づけとなるエートマン流の流儀がありますので、どうぞよろしくご理解の上お付き合いをお願いいたします。
さて、旧下部町の過去のことを調べられておられるとのこと、旧下部町においても、たくさんたくさぁーんの歴史や、この地域独特の文化、いろいろな文化遺産や地域の魅力があります。それらを楽しく調べていくことは、人生を豊かにしてくれるように思います。
競争(?)で調べていきたいですね(*^m^)o/
重ねてよろしくお願いします。
by エートマン (2009-11-16 23:58)