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続・分校の跡 [地域の小さな歴史]

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 前回の記事で取り上げた旧鰍沢町立五開小学校十谷分校の跡での話題。
その続編となりますが、今回のテーマは「閉校記念碑」です。

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 その碑の上部、いわゆる題額と呼ばれる部分です。
そこに「五開小学校十谷分校 / 閉校記念」と二段書きされています。

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 もう一度、碑を正面から見てみます。
上部の題額の下に縦書きの碑文が見られますね。
その中身がポイントなんですが・・・。

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 なので、その碑文の主文を細かく見てみました。
碑文の1行目が、また題名のようになっていて、曰く「校歌 明本京静作詞作曲
そうか、碑文の主要部分は、十谷分校の校歌だったのです。
ちょっと関心が向いたので、文字に起こしてみました。

  山また 谷の ほそ道に   父母兄姉の 血は通う   不動の滝の 心もて   うまずたゆまず 一筋に   進むわれらが 五開校

 ということで、校歌の一番と思われる歌詞の後にさらに続きがあります。

   昭和五十六年三月三十一日     鰍沢町長  深沢昭典建     十谷分校閉校記念事業実行委員会 撰

 とありました。
これにより、十谷分校は昭和56年すなわち1981年に閉校となった・・・ということが知られます。

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 さらに碑の裏面をチェックしたところ、このような文面が見られました。
これも関心のまにまに文字に起こしておきましょう。

    十谷分校沿革   明治 八 年 二月  公立十谷学校開設   明治 二十年 九月  十谷部落火災のため閉校   明治二十一年 五月 柳川尋常小学校分校となる   明治二十五年 五月 五開尋常小学校十谷分教場と改称   昭和 十三年十一月 開校五十周年記念式挙行   昭和 十六年 四月  五開国民学校十谷分教場と改称   昭和二十一年 四月 新制五開小学校十谷分校として発足   昭和二十六年 五月 新校舎落成   昭和五十六年 三月 学校統合により閉校    五開小学校第二十五代校長 杉山長太郎謹書

 校歌といい、沿革誌といい、短い文字列の中にとても大きな意味を持つ情報が
いくつも存在することが知られました。そして考えさせられました。
廃校の片隅に、忘れ去られたようにポツンとたたずむ石碑ではありましたが、
まだまだ歴史の証言を続けていただかなければならないなと感じたのです。
がんばれ、閉校記念碑!!!
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