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「ぢちんほうゆう」碑@十谷分校跡 [地域の小さな歴史]

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 旧鰍沢町立五開小学校十谷分校の一角。写真は前々回記事中の2番目の写真の再掲です。
この写真の中央に、今回の話題は存在しました。

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 とある記念碑です。廃校の隅っこに建てられたこの石碑、何を語るのでしょうか。

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 文字がわかるまで寄ってみました。
そこに刻されている文字は、漢字4文字でしたが、四字熟語とかではないようです。
曰く「地鎮豊邑」
地静まりて豊かなる邑・・・というふうに解するのが浮かびました。
でも、それって何を意味しているの? 背後にきっと何かがある・・・。110723bunkoato06jichinhoyuhi.jpg

 「地鎮豊邑」の背景を探るために、手っ取り早い方法として
石碑の背後を見ることにしました。
そこに手がかりとなる文面がありました。書き写します。

   十谷地区は、上方山腹の崩壊で土石が厚く堆積   し、周辺断層の影響を被った構造性の地すべり地   帯として、永年にわたってこの対策に悩まされて   きた。    平成元年に入り、十谷地区全体を巻き込む大地   すべりの危険性が高まったため、全国治水砂防協   会々長 金丸信先生のお力をいただき災害関連緊   急地すべり対策事業として採択となった。    総額四十億八千三百万円を投入して総合的な地   すべり防止工事に着手し、このたび竣工の運びと   なった。    南アルプスの清流を集めた大柳川の美しい渓谷   に面する十谷地区の地すべりが鎮まり、安全で豊   かな邑となることを祈願し、この碑を建立する。      平成三年十一月十九日    山梨県

 今では、こうはいかないな、という部分もありますが、
ともあれ、多くの公金を投入して対策を施した結果、地(地すべり)が鎮まり、
村が豊かになっていって欲しいという想いが込められたものであることが理解されました。
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