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内船八幡さん(その5・とくに「慰霊之碑」) [忠魂碑の類]

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 前回の記事の最後の写真(再掲)でありますが、今回の話題は、この中にありました。

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 内船八幡さんの境内に合わせ祀られている護国神社の本殿覆い屋を見上げる視線を
少し落としてみると、手前に石碑が建っているのに気付くのでありました。

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 正面から見ました。

 碑文の上部にある題額の部分には「慰霊之碑」とありまして、
碑文の末の方(左端)に「昭和二十九年春彼岸 榮村婦人會 建之」と
少し大きめに刻されていましたので、この時期にあちこちで進められた
戦没者の慰霊の碑の1つだと理解されました。

 碑文の中心は、戦没者の氏名を地区別に書き上げたもので、その数は、
内船上地区で30名、内船中地区で23名、内船下地区で17名、井出地区で15名、
十島地区で23名、上佐野地区で6名、下佐野地区で9名の、
合わせて123名となっているのでありました。

 「榮村(さかえむら)」は、明治7年から昭和30年までの間の村名(ないしは自治体名)で
内船・井出・十島・上佐野・下佐野の5つの村が合併して成立したものだそうです。
合併後もこの5つは栄村の大字を構成していましたが、とくに内船は、上組・中組・下組の
3つに別かれて扱われることがあったようであります。
碑文の地区別は、これに対応しています。

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 折から石碑の背後にはサザンカの赤い花が盛りを迎え、
無言でふるさとに帰った123名の霊を慰め続けているようでございました。
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