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河口村の忠魂碑(1) [忠魂碑の類]

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 富士河口湖町の河口地区で見た忠魂碑です。
ちょっとばかり細身な碑ですが、傾いて見えるのは、
太陽の光線のあたり方を考えて、文字がうまく読み取れるように、というためです。
 しかしながら、「忠魂碑」の文字のある正面は、影となったままで、
左側面となる部分にある2行の文字だけがクッキリと浮き上がるのでした。
 すなわち「明治三十七八年戦役為紀念」「明治四十年八月三十日建之」ということです。
「明治三十七八年戦役」って何だろう。

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 正面から見ると、こんな感じなのです。
細身だけど、立派な忠魂碑です。

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 台座の文字は、右から読みますが「河口村」とありました。

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 もう一度、はじめの写真と同じような見方で、「忠魂碑」の書がある部分、見ました。
どなたの書なのか、気になるところですね。

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 「陸軍大将男爵川村景明書」との文字が添えられていました。
 そこで、川村さんについてウィキペディアのお世話になると、
日露戦争の最中、乃木司令官率いる第3軍の中から精鋭、第11師団を引き抜き
これに30歳以上の「老兵」からなる後備役第1師団を混成した鴨緑江軍が編成された際、
その司令官となり、よくこれをまとめて功をなしたことで知られる人物です。

 ということは、最初の疑問の「明治三十七八年戦役」と同時代の人が表していたものは、
後の私たちがいう「日露戦争」のことだったのです。(ちょっとお利口になってしまった・・・)
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