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荒木さんの忠魂碑(2) [忠魂碑の類]

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 韮崎市清哲町の旧清哲小学校跡にある忠魂碑で、
少し斜め方向から見ました。
力強く大書された碑文「忠魂碑」の文字は、かなり遠くからでもそれとわかるものです。

 実はこの夏、小学校跡の北側を通る県道12号韮崎南アルプス中央線を武川方面から南進の際、
運転中の視野の中に、ほんの一瞬、あっ、と気付かせるものがあったのです。
その時は、時間もなかったのでそのままにしてしまいましたが、9月後半の連休中に
この忠魂碑を訪ねることになったという経過があったのです。

 それではいったい、大書の書き手は誰なのか・・・。

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 お決まりのごとく、「忠魂碑」の文字の左脇に、署名者の情報が見られました。
「陸軍大将男爵荒木貞夫謹書」の後に花押まで添えられていました。

 荒木貞夫さんは、明治10(1877)年、東京府多摩郡生まれで、昭和41年に没した
旧日本陸軍の軍人さんです。
昭和6年に陸軍大臣になり、同10年に軍功により男爵に叙せられています。
 ですからきっと、この碑文が書かれたのは、昭和10年以降なんでしょうね。

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 お終いに碑の裏側をチェックしてみました。
と、意外な記述がありました。その部分を書き出してみましょう。

   昭和十五年三月帝国在郷軍人会清哲村分会に依り建立し昭和二十年終戦に
  依り埋没して拾餘年を経過し諸霊位を祀らんとして之を再建す
    昭和三十一年三月二十一日再建  韮崎市清哲町殉國顕友会

 全部で57名(日清戦争1名・日露戦争1名・大東亜戦争50名・軍属徴傭者5名)のお名前が記された
その末尾にある上記の3行、それからわかることは、
   昭和15年に荒木陸軍大臣の書になるところの忠魂碑をたてたのですが、
  終戦と共に埋めてしまった・・・。
   それから10年ほどして、戦没者の追悼・慰霊の為の建碑等が各地で進められた時分に
  当地でもオリジナルの復刻版としてこの忠魂碑が再建された・・・
ということでした。

 1つの歴史です。 戦陣に倒れた先人に敬意を表しつつ・・・。
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コメント 1

4thBP

エートマンさんコメントの件ありがとうございました。
お役に立てたようでよかったです。

それはさておきこの忠魂碑・・・やっぱり気付いてましたか。
去年の夏に韮崎を廻った時に撮ったのですがその時は隣のイチョウが張り出していて再建の年月日を確認しきれていませんでした。

今は手入れされて見えるようになっているのですね。
参考になりました。


全く関係ないですが以前エントリーされていた「みずがき湖畔」の碑をこの前撮りに行きましたが・・・その道中にもありましたね、忠魂碑。
江草の見性寺道向かいです。

長文で失礼しました。
by 4thBP (2013-10-07 23:00) 

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