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地名『清哲』のこと [難読地名・珍しい地名]

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 今年の春になって、山梨での難読や珍しい地名について、カテゴリを設けて
折に触れて投稿することにしました。
今回は、「清哲」で、その読みは、「せいてつ」です。
 こうした話題は、当地にお住まいの方や近いところの方々にとっては先刻承知というところですが、
ブログという形で打ち出しをする上で、遠くの方もご覧になるのであえて載せさせていただいてます。
 「清哲(せいてつ)」そのものの読みは、そんなに難読と言うことではないと思われ、
どちらかというと珍しい地名の部類になると思います。

 冒頭の写真ですが、前々回までに登場しました韮崎市清哲町の旧清哲小学校跡にある忠魂碑
背面にある文字群の一部ですが、「帝国在郷軍人会清哲村分会」は昭和15年の表記、
そして「韮崎市清哲町殉國顕友会」の表記は昭和31年のもので、
戦前の村であったものが、戦後には町になったという移り変わりが理解されます。
 もう少し調べて見ると、「清哲」という地名は、合成地名として山梨の中では
けっこう有名なものあるということです。

 こうしたことを知る上で便利なのが『角川日本地名大辞典』(1984年 角川書店刊)で、
第19巻・山梨の巻の507ページに「清哲村」の見出しで出ています。
 それによると、明治7年に、それまでの4つの村が合併する際、旧村の村名の
それぞれ1字を組み合わせて考えられたものなのだそうです。
さらに細かくふれれば「合併した旧4か村の村名のうち、水上の水、青木の青、
折居の折、樋口の口を組み合わせて清哲とした」とのことです。
 水上の水をさんずいとして青と合わせれば「清」に、折を上にして下に口を付ければ「哲」の字に
それで旧村すべて公平に取り込んだ新村名のできあがり・・・。考えたものです。

 ちなみに、清哲村から清哲町に変わったのは、昭和29年の韮崎市との合併によるものです。

 なお、これまでの「難読地名・珍地名」の一覧がまとめてありますので、よろしければ
ご参照ください。こちらから・・・
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