SSブログ

さきみつさんの娘(前編の本題の前に、とくにその父のこと) [エートマン・モードの人物館]

140901kofujoato_by_kurochan.jpg

 さきみつさんのこと考えてたら、どうしても甲府城が出てきてしまうのでした。
写真は、くろちゃんのアジトから見た甲府城跡(らしい)。
『くろちゃんの甲府城つづりII』というブログの今日の記事から借用です。
(断っておきますが、オリジナルはもっといい写真でして、当方では画像サイズを
極力小さくしておりますので、粗々というわけです)

 さきみつさんとは、フルネームを柳原前光さんといいまして、嘉永3年、
京都生まれのお公家様でありまして、明治27年に、御年45歳でご他界あそばされました。
奇しくも明日、すなわち9月2日が命日でございます。

 さきみつさん、いやこの後は前光さんとしましょう。
弱冠18歳で迎えた慶応4年、戊辰戦争が起こりまして、前光さんは東海道鎮撫副総督という、
官軍の大将の一人とおなりになったのであります。
 その年の3月、副総督・前光さんは、甲斐に入国。この甲府城で御維新の幕開けを
迎えようとしていたのです。
 具体的には、それまでの城代に取って代わって、甲府鎮撫使として、わが山梨
(まだ山梨ではなく甲斐だけど)を治めていたのであります。その11月、
甲府鎮撫府は甲斐府となり、翌明治2年に甲府県、さらに2年後の明治4年の11月20日に
山梨県となった経過があります。

 前光さんは、山梨県の誕生の前に、その歴史に大きく関わってこられたのですが、
あまり知られていません。(学校でもちっとも耳にしなかった)
 前光さんは、新政府では外務省などに活躍の場を得、西南戦争の終結に現地に赴くなど
また皇室典範の制定に関わったりと、たくさんのお仕事をなさいました。

 それから前光さんの妹・愛子(「なるこ」とお読みします)さまは、明治天皇の典侍となられ
大正天皇の生母となられた方です。
 前光さんの家は、伊予宇和島藩伊達家の血を引く正妻との間に設けられた長男・
義光さんに嗣がれていきますが、後に義光さんはたいへんな目にあうのであります。
 その原因は、前光さんの次女・燁子がもたらした一大事件によります。
(続きは、「前光さんの娘(前編の本編)」に・・・)
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0