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長野幹さんの書でありました [エートマン・モードの人物館]

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 前回のつづきとなりますが、南アルプス市川上に鎮座まします天神社の拝殿です。
正面三間の中間が広く、向拝がつきます。

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 向拝は、「ごはい」とも「こうはい」とも呼ばれ、参拝の折、神様をここで拝する場所です。
そこで見上げたのがこちらの写真。ここにも神号額が掲げられていました。
「天神社」とケヤキと目される板に彫り付けてあるのです。

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 今回のテーマは、こちら。
すなわち、神号である「天神社」の文字の書き手の情報がそこに添えられていたのです。
曰く「山梨県知事 正五位勲四等長野幹謹書」と。
 さてさて、長野幹さんって、どんなお方でしょうか。気になりますね。
ウィキペディアなどによると、1877年(明治10)福井県の生まれで、初め大木姓。
長野家の養子となり、東京帝国大学に学び、内務省に入省。内務官僚として活躍の後、
三重県、山梨県、秋田県、鹿児島県の官選知事を歴任。のち実業の道に入る・・・。
といった人物で、わが山梨では、官選第22代の知事として1919年(大正8)から21年(大正10)
まで勤められたのでした。ちなみに、お名前の読み方は「ながの・かん」なのだそうです。
 その任期中には、武田神社の創建や謝恩碑建設の工事が進められたりしたことが
知られます。
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