SSブログ

南都屋根瓦ざんまい(9) [見てきたよ]

151106kyu_chinretsujo01.jpg

 少し雰囲気変わって「旧奈良県物産陳列所」のお屋根、見たいと思います。が・・・、
手前の樹木が建物の全景を覆っていて、このままではよくわかりません。

151106kyu_chinretsujo09.jpg

 建物はフェンスで囲まれ、正面玄関前の門に、こうしたプレートが掲げられていました。
屋根が見えないかわりに、説明の中身を読み込んでみます。

    重要文化財 旧奈良県物産陳列所
               昭和58年(1983)1月7日指定/奈良市登大路町50番1
   この建物は明治35年(1902)に竣工し、奈良県物産陳列所として開館したもので、
  県下の殖産興業と物産の展示販売をおこなう施設として利用された。設計者は、帝国大学
  工科大学造家学科(東京大学工学部建築科の前身)出身の建築史学者で、当時奈良県技師
  として古社寺建築物修理に尽力した関野貞博士(1867~1935)である。
   木造桟瓦葺で、壁や小屋組などに西洋建築の技術をとりいれつつ、外観は和風を基調と
  する。唐破風造車寄を正面につけた入母屋造の中央楼から、東西に切妻造の翼部を伸ばし
  端には宝形造の楼をおいている。関野は大学在学中より宇治の平等院鳳凰堂を研究してお
  り、屋根の形式や左右対称の優美な外観は鳳凰堂に範をとったものと思われる。また蟇股
  などの細部には、飛鳥時代から鎌倉時代にかけての伝統的な建築様式を取り入れ、この建
  設計と奈良における古建築研究との密接な関係がうかがえる。その一方で窓にはイスラム
  風の意匠もみられる。構造・意匠に東西の要素を巧みに取り入れた明治中期を代表する近
  代和風建築として高く評価されている。
   この建物は開館後、奈良県商品陳列所、奈良県商工館と名称を変え、昭和26年(1951
  )に国に移管されて、昭和27年(1952)から55年(1980)までの間に奈良国立文化財研
  究所春日野庁舎として利用された。昭和58年(1983)に重要文化財の指定を受け、同年
  奈良国立博物館が管理するところとなり、現在は当館の仏教美術資料研究センターとして
  利用されている。
            平成23年7月 奈良国立博物館

 少し長くなりましたが、以上が説明文の全文です(読み仮名省略)。

151106kyu_chinretsujo03.jpg

 こちらは、東西方向に棟を置く入母屋の南側に設けられた大破風による出の部分を
見ています。
確かに和風な中に窓枠上部には、イスラム建築に見られるような雰囲気が漂っています。

151106kyu_chinretsujo04.jpg

 肝心な屋根瓦を見ますと、奈良時代風の鬼瓦や軒丸瓦が観察できました。

151106kyu_chinretsujo05.jpg

 大棟の西端です。鬼瓦の横顔以上に、その背後にある棟飾りが目を惹きました。
棟飾りは東西のほぼ同じ位置に1対が設置されています。

151106kyu_chinretsujo06.jpg

 こちらは東側の棟飾りです。脇に避雷針も見られます。

151106kyu_chinretsujo07.jpg

 東側棟飾りの基礎の部分に、ヘラ書きによる銘文が見られます。
その銘文ですが、右側の2行は角度の問題から判然としませんが、おそらく明治○○年とかの
制作年にかかる情報かと思われます。
その次の情報ですが、製作者にかかわるもので、いわく。

  彫刻兼
  製造元
   相楽郡加茂村
     平岡栄吉

となっているようです。

恐らくですが、平岡さんはこの棟飾りだけをまかされたのではなく、こうしたこだわりの
屋根全体の責任を負ったのではないかと想像されます。
相楽郡賀茂村はいまの京都府木津川市の一部となっていて、今も平岡さんの末裔が造瓦に
かかわっておられるのかは不明ですが、こうした建造物は、瓦製造だけでなく
様々な技術者の結晶のたまもの。ありがたいことです。

151106kyu_chinretsujo02.jpg

 もう一つ、東楼の宝形造のトップをご覧ください。
宝形造りならではの屋根の造り、そのトップを納める仕掛けは奈良時代から
そんなに変わっていないようです。基本は桟瓦葺きなので近世後半以降の技術ですが
こうした奈良時代以降の永遠の課題をうまく調整した関野先生の設計の粋が堪能できた
ところでありました。
nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0