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こうきょうじ [寺院めぐり]

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 ふたたび高橋寺について、です。
ちょっと、執心しました。
で、もうちょっと、じっくり見てみようと思います。
少し、お付き合いください。

 高橋寺は、山号を隆富山といいます。
曹洞宗の寺院で、笛吹市八代町米倉の竜安寺の末寺として
天文10年(1541)に、丹竜という人によって建立されたといいます。
開山は、宗節というお坊さんです。

 このお寺が建立された頃は、戦国時代。
当地は、高橋(たかはし)村といいました。
でも、寺の名称の読みは、“こうきょうじ”・・・です。

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 さて、高橋寺の境内の入口に、上の写真のような
「萬霊等」(万霊塔に同じ)が立っています。
背面の文字を読むと、嘉永年間の建碑で、
この寺の17代目の住職の瑞峰の時のものだとわかります。
「嘉永」の文字の下がうまく判読できませんでしたが、
いずれにしろ1850年前後だということになります。

 一般に万霊塔(ばんれいとう)は、寺院の入り口に建てられ、
「三界万霊塔」のように、「欲界・色界・無色界」すなわち世の中すべて
を意味する「三界」という言葉が付くものも、よく見られます。
「三界万霊塔」は、すべての霊を供養します、という意味となるようです。
 すべての霊を供養するといっても、個々の家の供養はそれぞれの
家を護る人が行うのであり、こうした万霊塔は、無縁となった仏を
供養する塔の場合が多いと考えられ、
また飢饉などで大勢の死者が出た時など鎮魂碑としても建てられるようです。

 これは想像ですが、高橋寺のある場所は、たびたび水害にさいなまれてきたところ、
あるいは嘉永年間の頃に、多くの犠牲者が出るような災害があったのでは・・・。
 そんなふうな歴史も想像に難くない環境にある高橋寺でありますから。

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 さてさて、もう一つ。
こちらは、やはり高橋寺の境内に見られる、庚申信仰に関する石塔です。
上の立ち姿の像は、青面金剛かと思われます。
そして、その下には、「いわざる」と「きかざる」が
浮き彫りにされています。「みざる」はなぜないのでしょうか。
当時の祈りのかたちに、特別な何かがあるのかもしれません。

 最後に、高橋寺の歴史を記載するのに、『甲斐国志』に基づいていますが、
手元にすぐに、刊本の同書をチェックするべきでしたが、
なかなか出てこなかったので、秋山敬さんのお仕事
  『甲斐国志』『寺記』所載寺院索引(稿)
という便利なご本を利用させていただきました。
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