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昨日のキーワード [エートマンのウェブメモ]

 前回の記事は、かなり踏み込んで、写真もばしばし載せて
当局のチェックにふれ、問題化するようなことがあってもいけないので、
すぐに、あわてて別な内容をかぶせておきます。

 今日は、もう1月31日。一月も終わりです。

 昨日(1/30)のこのブログのアクセス解析を見ると
86人のアクセスがあり、延べのページビューも199ページと
好成績でした。
で、細かな内容を見ると、常連さんも多かったですが、
検索エンジンのお力で、いろいろなキーワードを媒介に
このブログにご訪問なされた方もたいへん多かったようです。

 ここに、その昨日一日の検索キーワード一覧をあげます。
なお、順は不同です。

  三星院   てぷこ   葛野川発電所   秋山喜蔵   秋山敬   甲斐源氏   史跡 武田晴信の墓   西行   山口素堂   デカルト   ハイブリッドクロック   いもむしロボット

 書き上げてみて、やはりこのブログの特徴ともいうべきか
脈絡のなさが目立つように思われました。
そうです。頭の中がごちゃごちゃしていて
いつも「えーと 何だっけ?」なんです。
まあ、そんな感じでこれからもよろしくお願いいたします。
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李さんの講演会 [調査・説明会・講演会・シンポなど]

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 昨晩(1/30 18:30~)、山梨市の文化講演会に参加してきました。
初めの写真は、講師の李さんとのお付き合いの始まりなど、
経過を交えながらの、中村市長さんのご挨拶です。

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 で、いよいよ李さん登場です。えっ、以前に比べるとちょっと貫禄が・・・
と、思いませんか。
 李映福さんは、四川大学歴史系考古学科助教授。
10年ほど前に、山梨に研修で1年近くおられ、
某機関で山梨の遺跡調査などの実際を真摯に見ていただきました。
その後、母国で、ずっと三峡ダム建設に伴う
遺跡保護のお仕事をされておられ、
本日は、三峡ダム影響地域での
発掘調査の成果などをお話いただく講演会であったのです。

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 講演は、パワーポイントによる詳細な説明で、
予定された時間は、あっという間に過ぎてしまいました。
この画面は、長江流域の遺跡調査の状況の説明シーンです。

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 今回の演題は「沈む遺跡 ―中国・三峡ダム建設によって
埋没する遺跡発掘に従事して―」というものでしたが、
終わりの方で、四川省における最近の新発見についても
解説をいただきました。
 この写真は、その最たる成果で、金沙遺跡の状況の写真です。
あの有名な三星堆遺跡に匹敵するものなのだそうです。

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 その金沙遺跡の出土品の美しい金器は、いまや中国の文物分野での
シンボル的な存在になっているとのことでした。

 ということで、たくさんの情報を語っていただき、
ご講演の終了後に、ちょっとだけご挨拶もさせていただきましたが、
覚えていていただいて・・・

 ああー、また成都にいってみたくなってしまいました。
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調査です 4 [調査・説明会・講演会・シンポなど]

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 昨日(1/29)は、一日、調査に出かけました。
例によって、都留市の勝山城跡です。

 この日は、午前に、地元で「お城山」と呼ばれている
この写真の中程に見える勝山城跡をほぼ全山歩き回り、
午後は、市街の反対側(南東側)にある「谷村の烽火台」
の跡を調査しました。

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 調査といっても、詳細な測量図の現地確認作業なので、
藪の中に見落としなどないか、歩き回っての確認です。
正直言ってつかれました。くたくたです。
このため、夜に予定されていたある会への出席を
ドタキャンしてしまいました。関係のみなさまごめんなさい。

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 そういうわけで、とてもお疲れだったということですが、
疲れたきった心身によく効く栄養剤が、送電線のある光景です。
谷村発電所から山中湖までつながっていく、山中線というもので、
あわせて河口湖線というラインも併設されているので、
たくさんの線がおりかさなって見えます。
ファイト一発っていう感じで・・・元気が出ました。

《おまけ》
 次の関連記事がありますので、よろしければ、そちらもどうぞ!
  裂送電線のことがもっと知りたい方は・・・こちら
  裂途中でであった花のことを知りたい方は・・・こちら
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川に想う 6 [橋と川の文化誌]

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 中央市浅利の笛吹川右岸堤防上から見た1月27日の光景です。
遠くに大菩薩嶺を見ながら、笛吹川は緩やかに蛇行するようす。
川は、いま渇水期。水が少なく、川筋はやせています。

 冬は山に雪が降って、それが農耕が始まることゆっくりと流れ出し、
田畑を潤してゆくのが、長い長い自然の営みだったと思いますが、
今見ると雪も少なく、今年はどんな感じの春、
そして夏、秋のめぐりになっていくのでしょうか。

 写真の中の手前側に、幾筋かの堤防と、それに挟まれた小河川が見られます。
向こう側から、間門川、滝戸川、そしてわからん川、
さらに写真には写り切りませんでしたが浅利川。
これら、いくつもの川が合流するところでは、
本川から出水時に逆流が起こらないように長い堤防が築かれます。
こうした長い堤防は、子どもの頃からは「中土手」と呼んできましたが、
専門的には、「背割堤」といわれています。
一見すると無駄なようにも思えがちですが、よく考えると
川がもつ恵みと裏合わせのリスクを踏まえた構造物
だということが理解されます。
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しおかわから [橋と川の文化誌]

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 昨日の記事の写真の撮影場所です。
富士山も見えるのです。
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鳳凰三山によせて [忘れないように]

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 今日の午後、韮崎市岩下の、塩川右岸堤防上から見た
鳳凰三山です。
 鳳凰三山とは、一般に、観音岳、薬師岳、地蔵岳の三つの山の総称です。

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 一番東側に位置する薬師岳です。

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 そして、観音岳。

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 一番北西側にある地蔵岳です。

 さて、この鳳凰三山ですが、そういう名称で、
ここで初めにあげたような内容の山となったのは、
明治43年の陸軍陸地測量部の5万分の1地形図
「韮崎」の段階からのようで、それが定着し始めたのは
昭和10年頃だそうですが、その後も異説は残っているとか。
この問題については、『角川地名大辞典』19のp.723
をご参照ください。

 今回、鳳凰三山をとりあげて、想いを残そうとしたのは
山名論争のことではなく、この山がこのように見えるところで
あるお世話になった方の葬送があったことでありました。
 いつもこの山が見える町で、ずっと元気に過ごされていたと思っていたところ
急な訃報に接し、この日、お別れをしてきたのです。
 何とはない影響を受けました。
感謝とともに冥福を祈ります。
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ほうきゅうじ [寺院めぐり]

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 先日(1/22)、中央市高部にある法久寺を訪ねました。
曹洞宗の寺院で、山号を浅利山といいます。
 左右の灯籠は、宝永年間(1704-11)に、二親菩提のため寄進されたものです。
その先、左手に折れて、山門をくぐり、南面する本堂に進みます。

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 山門を過ぎて、本堂への参道の右手、山すそを一段上がったところに
この寺の開基とされる浅利与一義成の墓所があります。
 この地は、中世浅利郷にあたり、甲斐源氏の一人義成(「吾妻鑑」では義遠)が
この地に住して、浅利を姓とし、鎌倉幕府の成立に貢献したとされています。

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 義成の法名は「宝弓寺一箭存誉」とされていますが、
義成が弓の名人とされることから、<弓>の文字と<箭>が込められていて、
初めの<宝弓寺>は、現在の“法久寺”という寺号に音が通じています。
つまり法久寺は、浅利与一の菩提寺。
浅利山という、この寺の山号も、浅利氏の姓をとっているのです。

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 こちらは、法久寺の本堂です。
この寺は、浅利氏の影がこの地で薄なると、長く荒廃してしまったようです。
戦国時代になって、曹洞宗の寺として再興されましたが、
寛文5年(1665)に、諸堂と記録類などを焼失してしまったと記録され、
さらに享和2年(1802)に再び火災にかかり、
昭和55年(1980)に三度、焼失するという、
ちょっときびしい歴史をとどめていますが、関係者の多大なご苦労もあって
現在は写真でご紹介したように、古い由緒とともにりっぱなお寺として
落ち着いた構えを見せていました。
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造形 20 [エートマンの日記]

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 中央市高部の法久寺の本堂前に置かれた
小僧さんの像です。
何とも頬笑ましいお姿ですが、
手に持つほうきで、世の中のよくないことや
人々の心の中のゴミを掃き清めてくれる
そんな意味を持つシンボルなのかな、と・・・・

 ところで、先週の終わりから今週にかけて
このブログの日々の来訪者がぐっと少ない状態が続き、
「ぽつぽつと、やっていければいい」とか書いたりもしましたが、
それはそれ、やはりアクセス・ログが気になります。
 そんな中、これまたどうしたのか、と思うほどに
昨日のアクセス解析結果は、訪問者81、延べページビュー177という
数字を残しました。
平均的な数字よりずっと高いのです。
読んでくださったみなさん、ありがとうございました。
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ばとうさん 2 [いのり・信仰]

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 このところ、天気のよい休日に、外をあちこち歩いて撮影し、
それで一週間くらいもたせるというような暮らしをしています。
 この前の休日の1月22日に、200カット余りを撮影した
画像を見直していると、もう一つ馬頭観音さんを
撮っていることに気付きました。

 前回の馬頭観音さんは、けっこう頭の上の馬の形がリアルで、
日光の当たり方もちょうどいい感じでしたが、
今回のは、既に日陰になっている場所でしたので、
写真とすれば、ちょっと目立たない感じでした。

 前回の馬頭観音さんをアップしながら、いつごろのものかな・・・
なんて思っていたのですが、カメラをもって歩くと
パチって撮って、さあ次・・・と、そのものをじっくり観察したり、
メモを取ったりすることが少ないので、年代とか細かな情報までは
たいていうまく拾い切れません。
 しかし、今回のものには、馬頭観音像の右手に「文化」の元号が
写真から読み取れ、文化年間(1804-18)のものであることが
わかります。
ふーん、約200年前か・・・。

 ちなみに、前回のは笛吹川支流の七覚川左岸堤防下の道路脇にあったもので、
今回のは、同じ笛吹川支流の浅利川右岸堤防の下の道路脇にあったものです。
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ばとうさん [いのり・信仰]

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 先日(1/22)見かけた石造馬頭観音像です。
ちょっといい感じに撮れたので、ここにのせることにしました。

 前回の記事で、このブログの訪問者履歴をたどるグラフをのせながら
軌跡という言葉を使いましたが、特段にはじめから軌道ができている訳ではなく、
歩いてきた結果が軌跡という意味であります。

 昔の人は、長い道のりを旅するなかで、
道程の安全をその通過する土地の神様に祈りました。
やがて、そうしたものの象徴として、馬頭観音菩薩が
この写真のように板碑状の石にレリーフにより表されたり、
また「南無馬頭観音」などとそのまま名号が刻まれたりしたものが、設置され、
道行く人や荷駄の馬などを守るものとして、長く信仰を集めてきました。

 当ブログも、これまでとこれからのささやかな発展を
ここに登場願った馬頭さんにお祈りしたいと思います。

(撮影: 2007.1.22 中央市高部にて)
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