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にげる・・・2007 [エートマンの日記]

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 よくいわれることですが「2月は逃げる・・・」と。 3月は、「去る!!!」とも。  2月はもともと短い月だし、3月も年度末で 学校や役所など、4月から3月までの会計年度で 動いているところは、この時期あわただしく時が 過ぎていくので、“逃げる”も“去る”も“じっっかん”ですよね。

と、以上は、昨年の2月28日に「にげる・・・」のタイトルで
書き出した記事の冒頭ですが、一年たってもまったく同じことです。

 まあ、“2007年の”2月は今日で終わりで、
そうした日に、仕事の上で、とても大きな会議をしまして、
終了後に別席でさらに課題を深めましたが、
難しいですね、大人の世界は・・・。

 写真は、2007年2月28日の17時23分の
日没後の夕照にはえる南アルプスです。
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はちまんぐう・・・続き [神社まいり]

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 前回の岡八幡神社の続きで、境内点描となります。
まずは、狛犬のうち、向かって右手の阿像です。
けっこう丁寧で、迫力のある狛犬となっています。

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 続いて狛犬の吽像です。
子の狛犬もしっかりと掘られていて、迫力満点です。

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 説明板の終わりの方にあった、本殿の北隣りにある庚申石殿です。
石造ですが、建物(お堂)をかたどっており、
その特徴がよく分かる秀品です。

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 さらに細部です。中にお祀りしてある庚申の神様です。
青面金剛なんなんかなぁ・・・。
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はちまんぐう [神社まいり]

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 先日(2/19)訪れた岡八幡神社です。
石の鳥居、その奥に拝殿が・・・ だいぶ、逆光ですが・・・。

 この岡八幡神社は、笛吹市八代町岡1250番地に所在します。

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 こちらは、その拝殿です。
拝殿の軒下に掲げられている額をしたためられておられるのは、
公選6人目の県知事、望月幸明氏です。

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 拝殿の奥には、本殿が・・・。
社叢の中に静かにしずかに、鎮座ましましていらっしゃいます。

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 本殿や拝殿には、彩色がなされています。
わが国の伝統的な彩色法(漆に顔料)ではなく、
現代的な合成塗料が用いられています。
 生い茂った社叢に囲まれ、けっこう湿潤な環境で
木部が痛みやすいため、建物を長持ちさせるための塗装だと思われますが、
少しばかり雰囲気が、変わって感じられます。
形は、この国の伝統に則っているのだけど、
何か外国の建物みたいな感覚が・・・

 別に、そうした取り組みを否定しようというのではありません。

 信仰の形が変わってきているので、
そういつもいつも伝統的なメンテナンスをしていくわけにもいかないので、
科学的な皮膜で包んで長持ちさせようと・・・
氏子の皆さんの苦労が偲ばれます。

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 お終いに、岡八幡神社の由緒について、境内の前面に
説明板がありましたので、ご紹介します。

 当社は誉田別命(応神天皇)、大中津姫命、神功皇 后の三神一体の八幡神が祭神として勧請されている。  誉田別命の後胤と言われる朝日長者夕日長者の一族 が当地開創の時祖先の神霊と宇佐の八幡宮分霊を奉遷 したと伝えられる。  本殿は一間社流造で延宝二年(一六七四)に再建さ れ、更に嘉永五年(一八五二)に現在のものに新築さ れた。拝殿の建立は詳かでないが、延宝二年と享保九 年(一七二四)に修復がされている。  鳥居は明神鳥居で延宝四年(一六七六)の造立で天 地七尺、柱間六尺の規模を有し、石華表額字「八幡宮」 は、後陽成天皇第八の宮良純親王の書と伝えられる。  本殿には法華経八巻が本殿再興の延宝二年に諸大夫 前内侍主事藤原清重により奉納されている。  境内には向拝付入母屋造りの庚申石殿があり技を尽 した精巧のもので、願主銘から江戸末期の造立と推定 される。明治十五年に浅間社、御崎社、伊勢社の三社 が境内へ合祀された。
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昨晩の花 [エートマンの日記]

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 鉢植えのカランコエです。
赤や黄などいくつかの色があって、きれいだなと思い撮影しました。
といっても、炉端焼き屋さんのおトイレの中です。
少しよいよいでした。
某機関の本日の会議&研究会の前夜祭でした。
今日の会議もきっと充実したものとなったことだと思います。
関係のみなさま、ご苦労さまでした。
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てんぼう・・・ [エートマンの日記]

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 このところ、新しい材料の仕込み活動が途絶えていて
一週間も前の材料を使いまわしていますが、あしからず・・・です。

 写真は、笛吹市八代町岡の四ツ沢川橋東詰めの“展望台”からの
甲府市東部から笛吹市石和町西部にかけての展望です。
画面の中心に山梨学院大学のキャンパスが見えますが、
ずっと縮小したこの状態では、そこまでは無理ですね。
後ろには、濃いめに見える茅ヶ岳と、その向こうにうっすら八ヶ岳が・・・。

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 もう少し西側にふって、甲府市中心部です。
甲府にもずいぶんと高い建物ができましたね。

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 さらに一部切り出しました。
黒く見える甲府城跡の天守台がお分かりになるでしょうか。

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 こちらは、釈迦堂遺跡博物館。
その背後には、甲州市勝沼町の鳥居焼きのお山が見えていました。
 
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 そしておしまいに、これは何の施設だか、すぐに分かりましたか。
そう、県立博物館です。
 県立博物館では、現在、「オオカミがいた山」というシンボル展が
とてもおもしろいと評判らしいです。
私もけっこうグッドだと思います。ご一覧あれッ!!!

《追記》
 この記事、途中で、夢見ちゃいました。アップは日付変更線を
大幅に越えてしまいましたが、ないしょで25日の記事とします。
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もようがえしました070224 [忘れないように]

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 今日は、土曜日。お仕事は、お休みでした、途中まで。
今日は、某機関のシンポジウムが予定されていたので
それに行くことにしていました。でも、ばつ・・・

 去年の、そのシンポジウムのあとは・・・、
確か駅前のいつもの郷土料理店で、情報交換会をしていたような。

 で、去年のこのブログの記事ひっくりかえして確認したところ
やはり飲み会してましたね。今年はおとなしく・・・。

 それで、昨年のこの日(2006年2月24日)には
“のび太”君になりきって、「しずかちゃん、よかったね」とかいっています。

 また来年、今日という日を振り返ることもあるかと思いますが、
今日は、H2Aの12号機の打ち上げ成功とか、思い出すことでしょう。

 それともう一つ、このブログのテンプレートを
2005年11月6日の「はじめのいっぽ」の時と同じに
模様替えしたことも、思い出してください・・・ね、来年の今日・・・。

 この記事の初めの写真は、とても気に入っている稲山溜池with
四ツ沢川橋and天竜南線56号鉄塔です(2007.2.19撮影)。
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きりばん7777 [忘れないように]

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 このところ、日々の訪問者の数はまあまあですが、
日々の積み重ねにより、7777というカンター数字の並びが
つい先ほど現れました。

 このところの日々の訪問者数はまあまあと申しましたが、
過去の一つひとつの記事を見てくださる方が多いようで、
一日の延べページビューが500オーバーの日も見られます。

 毎日見に来てくださる方も多く、ここにあらためて感謝申し上げます。

 ちなみに5555は、2006年11月9日
また6666は、2007年1月7日でした。
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「水に取り組む」のお話 [ふむふむ そうなんだぁ!]

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「水に取り組む」は、博物館のコーナータイトルですが、
このところの四ツ沢川砂防公園などもそうしたことの現場だといえます。
 今回の記事は、さらに踏み込んでの「水に取り組む」のお話です。

 写真は、笛吹市八代町岡の山裾にあります、稲山溜池です。
画面のずっと遠くに南アルプスがかすんで見え
(残念ながらこの写真ではわかりませんねェ・・・)
右手には、あの四ツ沢川橋が見えます。
とても風光明媚な場所です。

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 さて、この池は灌漑用水を得るための人工の池なのですが、
この池の畔に「稲山溜池之碑」が建っています。

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 この地で、人々がいかに水に取り組んできたのかが偲ばれる歴史が
この「池山溜池之碑」の背面に記されています。
ちょっとの労により、書き起こすことができたので、ぜひご紹介したく
次に碑文の全文をのせます。

当地ハ大覚林ト呼バレ 面積五、三六三平方米 西ト北ニ一米余リノ 土塁ガアッタ 昭和八年七月 米倉村ト灌漑用水ノ争ガ起リ石和警 察署ノ仲介ニヨリ解決シタ コノ時溜池ノ必要性ヲ痛感シタ当時ノ岡村 担当 石倉勝次郎氏ヨリ コノ地ノ寄付ノ申シ出ガアッタ 九月一七日 村会デ村営工事トシテ溜池ノ建設ヲ決定 昭和九年二月二一日起工 全戸出役シ 総テ人力ニヨリ施工 五月六日竣工式ヲ挙ゲタ 総工費 一、八五〇円 内県補助一、一一〇円 工事中 五輪塔数基ガ出土シテイル 翌一〇年三月 漏水止メ工事ニ県補助金三一〇円ヲ以テ総テ完成シタ 以来 農業灌漑ニ大イニ役立ッテキタガ六〇年ノ歳月ヲ経テ築堤等 ニ老朽ガ進ンダタメ 平成七年 土地改良施設維持管理適正化事業 ヲ導入シ 大規模改修ニ着手シタ 堤内張ブロック 樋門底樋工事 導排水路ノ工事ガ 国県ノ補助ヲ得テ総事業費五、〇〇〇千万円ヲモッテ 完成シ 清水ヲ満々ト湛エテイル ココニ今日迄 溜池ノ建設ニ維持管 理ニ携ワッテキタ関係者ノ努力ヲ称エ記念碑ヲ建立スル       平成十年三月                八代町岡区

 いかがでしょうか。
なぜか漢字カナ文で、読みにくいかも知れませんが、
尊い歴史を伝えるのだという地区の皆さまの意識の現れではないかと思われ、
ついつい頭が下がる心持ちがします。

 で、碑文を読んで、気になることがいくつかあります。
 一つは、石倉勝治郎さんがもともと所有されていたこの土地ですが、
土塁が巡らされていたり、五輪塔があったりしたということなので、
中世の屋敷跡または、寺跡なのではなかったのでしょうか。
「大覚林」という古い地名は、寺だった可能性を示唆するのかもしれません。
 また、工事中出土した五輪塔は、その後どうなったのでしょうか。
 それはともかく、碑文の前後の文脈の中で、“五輪塔数基出土”というのは、
そのことにふれる必然性が、あまりないようにも思われますが、
唐突にもそのことを織り込んだことも、この地域の方々の
歴史への関心の現れとみられるのではないかと思います。

 初めの溜池建設の工事が起こされたのは、1934年の2月のこと。
それから73回目の2月が回ってきて、あらためてこの地の人々の
「水に取り組む」姿をまじまじと見るとき、
まあ、蛇足ですが、それが今だったら、工事前に、試掘調査などして
より古い歴史は、果たしてそのまま壊してしまってよいのか、
せめて詳細な記録を残しましょうみたいな相談もあったのでしょうが、
時代は、だんだんあの戦争に向かって突き進んでいく、
とても暗くきびしい世相にあり、当時では、とてもそんなことはいえなかったでしょうね。
 そうしてみると、今は、いい時代だなって、しみじみ思います。
(ちょっと心許ないところもありますが・・・)


 話は変わりますが、「水に取り組む」といえば、
明日(2月24日)午後1時から、甲府市社会教育センターを会場に、
山梨県埋蔵文化財センターが主催するシンポジウム『堤防今昔』があります。
こうしたことに、ご関心をお持ちの皆さま、ぜひ会場にお運びください。
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造形 23+ [橋と川の文化誌]

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 富士川支流の笛吹川の支流の、さらにその支流の浅川の、
また支流に当たる四ツ沢川に架かる、
笛吹市八代町岡に所在する四ツ沢川橋です。

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 金川地区第二農免道路と呼ばれる農道の橋で、
ニールセンローゼ橋という構造形式の下路アーチ鋼橋です。

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 ニールセンローゼ橋というのは、アーチ部材と桁材の間に
斜めに張ったケーブルを配置しているのが、大きな特徴です。


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 岡銚子塚古墳などがある「ふるさと公園」の一角に当たり、
2001年に完成していますが、この橋から東側の道路に
まだ未整備区間があるらしく、正式な供用はされていません。
この日、初めて通りましたが、大型車はまだブロックされています。
 この橋の下を流れる四ツ沢川も、砂防公園として
整備されていて、その状況は、「造形22」の記事で
紹介したとおりです。
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造形 23 [橋と川の文化誌]

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 何色というのが正しいのでしょうか。

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 いったいどんな造形だと思います?

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 ますます不思議な写真・・・

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 何かなぁ?
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