小さな歴史の記録 [寺院めぐり]
甲府市高畑3丁目の荒川の右岸に、小さなお寺がありました。
入口が閉まっていたので、門扉越しのお参りとなりました。
小さなお寺というのは、曹洞宗の慈光院さんです。
この小さなお寺の境内に、ひっそりと石碑が置かれていました。
何か、歴史をとどめていそうです。
「国母小学校発祥之地」と題された碑文に惹かれるものがあり、
望遠レンズを通して得られて画像から文面をおこしてみました。
国母小学校沿革之碑 豊住村は 高畑の慈光院を仮校舎とし て明治十四年に豊住学校を開校し 十九 年下石田に移転 明治二十年四月勅令により豊住学校は 廃止され貢川尋常小学校の分校となる 豊住 富田の両村が明治二十二年合併 国母の郷に由来し 村内国母地蔵の旧跡に ちなんで国母村が誕生し 二十五年分校は解 消し国母尋常小学校となるも校名はそのまま で新たな出発となった 明治三十七年 現在地に新築移転 昭和十二年国母村は 甲府市と合併 校名 も甲府市立国母尋常小学校と解消されその 後幾度か校名が変更され現在にいたっている この八十年 時代の変遷と共に幾度かの増 改築が行われ 幾多有為の人材を世に送り出 し 社会の発展に貢献するところ大きなもの があった 国母小学校の卒業生にとって 思いで多い存在 として 心の奥深く残っていることであろう ここに現在地創立八十周年を迎えるにあた りこの碑を建立して記念とする 国母小学校校庭沿革之碑より 昭和六十三年十一月吉日本堂修復落慶之碑 建之
いまの国母小学校は、この慈光院さんから見て
南西に500mほど離れたところにあります。
その国母小学校のはじまりは、この小さなお寺さんからだったのですね。
碑文の最後の一行からわかること、それは現在見る慈光院さんの
ご本堂は昭和61年11月に修復(立て直し?)されたもので
その折、国母小学校の校庭に置かれている「国母小学校沿革之碑」を
コピーする形で、本堂落慶記念として、こちらにも設置された・・・
ということです。