もちづきの・・・ [エートマンの日記]
昨晩(7/28)の、右左口の山の上からの 月の出の直後、
19時15分の お月様です。
月齢は14とちょっと。望月(月齢15=満月)の一歩手前というところです。
今晩は、梅雨末期の強い雨がときどき音を立てていて
せっかくの満月なのに、見ることはできません。
この世をばわが世とぞ思う 望月の欠けたることのなしと思えば
藤原道長
満月といえば、時にこの歌が思い出されます。
平安の御代、藤原氏の絶頂期に、その栄華を謳ったものとして有名ですが・・・
今夜の満月は、雲に隠された・・・
驕り高ぶりに・・・いやいや もうそれ以上は書かない方が・・・
沼川のこと [橋と川の文化誌]
甲府市高畑3丁目の荒川に沼川が注ごうとする場所に、
沼川河川公園がありますが、その公園の一角にたたずむ
「沼川改修竣工記念碑」です。
背の高い石碑の下半に、沼川の由来と工事の概要について
次のように書かれています。
沼川は貢川から引入れられ、貢川国母地区東南部一帯の水 田耕地をうるおす重要な感慨水路であった。沼川の名の 示す如く各所に小沼を配し、農民や子供の絶好の釣り場で もあった。時移り戦後の激しい都市化により、その流域に 多くの住宅や工場が進出し、塵芥の流れと工場廃液の排水 路と化し、平常時には汚水と悪臭、雨季には増水による床下 床上の浸水をくり返し、附近住民の生活に対する大きな脅 威となり、転出者を出す状態とまでなった。この問題解決 のため、高畑町中部、南西、南部、駒形町、四自治会は、昭和四十二 年「沼川改修工事促進期成同盟」を発足させ、地域住民の 切実な要望の声を、市、県、国に向けて強い陳情活動を展開し、 昭和四十三年、遂に着工の途を拓いた。以来十二年間の歳月 を経て、総工事費五億六千余万円を投じ、延長一二五〇米、盤 石な都市河川として、ここに完成を見るに至った。この秋 にあたり、関係当局並びに同盟役員の永年にわたる、ひたむ きな情念と多くの土地、物件、権者の犠牲的協力を高く讃え 地域発展と生活安定の礎となることをここに銘記する。 昭和五十四年四月一日
こちらは、その沼川の、まもなく荒川に合流しようとする場所の現在の景観で、
上流方向を見たものです。
写真右手が沼川河川公園となっています。
荒川に合流しようとするところには、水門が設けてあり、
本流の荒川の水位が上昇したときなどに、逆流が起こることの
備えています。
最後は、荒川と沼川の合流ポイントです。
上空を送電線(甲信幹線)が横切っている場所でもあります。