ある秋の夕暮れ [エートマンの日記]
この数日、曇りや雨の続くこのごろ。
なので、先日の「とけいとう」と同じところでの、
秋の訪れの雰囲気を見ていただきます。
イチョウも、かなり黄色みが出てきていました。
桜並木の園路です。
もう9月もお終いです。
このところ、というか、21世紀になってというか、
9月は大きな転換を巻き起こす事件が多く、
国際的に大きなところでは、例のアメリカでの連続テロ事件とか
国内でも、今年、内閣の急な入れ替え戦があったこととか・・・。
10月は、どうでしょうか・・・
(撮影: 2007.9.27 2007.10.1 12:42up)
甲斐の山々、雲の中・・・ [甲斐の山々]
甲府市南部の以前、隠池(おんぢ)と呼ばれたところから見た
甲府盆地周辺の山並みの一部、御坂山地東部方向です。
雲がたれ込め、山並みはほとんど隠れてしまっている中に、
笛吹市境川町藤垈の金比羅山だけが、その三角お山の姿を見せています。
視線を右側に移して、御坂山地西部を見ました。
写真中央の一番高いところが大畠山(1118m)です。
左手の、この付近では一番高い蛾ヶ岳は、雲の中です。
蛾ヶ岳だけでなく、南アルプスも八ヶ岳や秩父多摩甲斐国立公園方向も
みんな雲の中でした。
足もとには、夏の後半から秋の前半にかけての花、
マルバルコウの朱色の花が、静かに雨露をためていました。
とけいとう・・・(小瀬スポーツ公園の) [時計塔および類似施設]
時々、時計塔をとりあげますが、これは小瀬スポーツ公園の時計塔です。
今日は、薄日が差すときもありましたが、雲の多い一日、
曇り空に、薄日を受けた時計塔が屹立する姿は、きりりとした感を受けました。
文字盤をご覧ください。武田菱が表されています。
武田菱といえば、風林火山。といえばバンフォーレ甲府。
今年は、折からの風林火山ブームですが、わがサッカー・チームの方は
きりりとはいかないみたいです。
きりりでなくてもよいです。残留できれば・・・
秋風が渡り始めた空に立つ、武田菱アレンジド時計塔、
見方によってはさびしそうにも・・・
彼岸花、撮りました・・・。 [はないちもんめ]
私の住む町でも、稲刈りが始まりました。
遠くに右左峠を望む いまごろの田園風景です。
田の畦の部分に見られる赤いの、なんだかお分かりになりますか。
ヒガンバナです。
数日前から、いろいろな方のブログに、きれいなヒガンバナの写真が
取り上げられていて、こんなの撮ってみたい。。。って思っていたところ、
偶然、近くの氏神様の前で見ることができ、
早速にカメラに納め、ここに紹介する次第です、遅ればせながら・・・
さらにクローズアップして見ましょう。
さて、この花のことを、別のブログ(やまなしの自然余聞)で書き込みした後、
お風呂に入って、ちょっと考え込んでしまいました。
手元の図鑑の解説に拠れば、この花は、実をつけることなく枯れてしまいますが、
だいじょうぶ、繁殖は、地下茎でできることになっているのですから・・・
みたいなことがわかって、ふ~ん、そうなんだ・・・
で、ここからが風呂に浸かりながら思ったこと、
花が実を結ばないとしたら、その花は、いったい何のために咲くのでしょうか・・・
これはすごいナゾです。
少し前に、イチジクのことを書いたときも、
実であるけど、花でもあるなんて調子で、
またゴボウの花のことも、ヒト様がキンピラだとかいって
根っこさえ食べなかったら、ちょっとユニークな花を咲かせるんだよ、
なんて話もしたりして、
どんな植物にも花が咲き、実をつけて、繁殖をするんだ・・・っていってたのに。
いったいこの花は、なんてこった・・・。
中秋の名月撮りました・・・ [月や宇宙・宇宙開発]
本日17時4分撮影の、取り立ての名月です。
でも、撮影直後、目を疑いました。月がゆがんでいる・・・
で、頭に浮かんだことは、月齢が15に達していないのではないかということです。
撮影段階での月齢は、いつもお世話になっている「こよみのページ」という
ホームページで確認すると、13.9ということでありました。
さらに、このサイトには、
○中秋の名月はいつ? (旧暦の十五夜は満月か?)
というページがあって、
・旧暦の8月15日には、必ずしも月齢15とならない
・年によって変動があり、平均すると月齢14.0くらい
・満月でなくても、旧8月15日の月が「仲秋の名月」でよい
ということでありました。
ということで、みなさん、必ずしも満月でないことを承知のうえ、
観月の宴でもはってみてはいかがでしょうか。
また参考までに、もう一つの名月、旧9月13日の「十三夜さん」については、
やはり「こよみのページ」さんの情報によれば、10月23日(火)だそうです。
「こよみのページ」を見ると、「十三夜の月」についての蘊蓄も確認できますよ。
墓参の後に・・・ [エートマンの日記]
「秋分の日」の振り替え休日の午後、墓参に出かけました。
その後に見た、荒川上流域の入口部分に当たる里の光景です。
水田も黄金色に色づき、刈り取りが始まってきてもいます。
空には、一部に、うころ雲。
空にも秋の気配です。
時折、雨がぱらつく天気に、墓所に咲くコスモスの花の色も
精彩を欠いていましたが、明日あたりにはコスモスが似合う青空がのぞめるでしょうか。
橋巡礼070922 [川と橋の文化誌]
2001(H13)年11月竣工の桃林橋です。
橋の形式の上では、桁橋で、4つのコンクリート製の橋脚に支えられています。
それぞれの径間は、45.2+53.0+53.0+53.0+45.2mで、
これに橋台部分などを合わせた全長は、251mとされています。
甲府圏域と峡南圏域を結ぶ主要道路の県道甲府市川三郷線が
笛吹川を渡るところに架かる橋で、設計調査段階では
混雑時でも一日6,803台の自動車通行量を見込んでいたようですが、
供用後は、一日1万3千台以上という状況になっています。
こうしたことから、県が行っている事業評価でも、この橋の整備事業は、
◎という結果だと山梨県公式HPが伝えていました。
なお、この写真の、桃林橋の桁下の向こう側に見えるのは、
JR身延線の富士川鉄橋です。
桃林橋の北詰めで下流側にある親柱には、橋の名前のプレートがありますが、
読み方は「とうりんきょう」です。
少しかわった橋の名前ですが、命名の由来は、この地域の発展に名を残した
渡辺青洲によるものであることが、地元の市川三郷町立市川小学校の
公式HPの中に見られました。
市川三郷町立市川小学校HP>先人の開発>青州堤
(小学校のHP:ichikawa-sho.ed.jpは現存だが 清州堤 /kaihatu/seisyu0.htmは終了の模様)
阪神淡路大地震の後に見直された耐震設計基準に準拠した安全な橋が
出来上がっているわけですが、橋脚の数4は、改築前より少なく押さえられ、
増水時の川の流れへの対応や周辺の生物環境に配慮したものとなっているそうです。
ところで、直近の改築以前は、どんな橋が架かっていたか、ご記憶でしょうか。
トラス鉄橋だったのですが、そちらの詳細は次のサイトに記録がありますので、
ご参照ください。
歴史的鋼橋 T11-02:桃林橋
http://library.jsce.or.jp/jscelib/committee/2003/bridge/T11-002.htm
この桃林橋をあらためて見学したのは、昨日の夕方5時過ぎ。
この日は、雲があつく、夕暮れがいつもより早めだった頃もありますが、
すでに通行する車両は、ライトを点け始めていました。
笛吹川の川面がまだ残る空の明るさを跳ね返しながら
静かに流れていました。
最後に、この橋の詳細データは、次のページに拠っているほか、
交通量や事業評価は、山梨県の公式ページを利用しています。
社団法人 日本橋梁建設協会 http://www.jasbc.or.jp/
(「橋梁年鑑データベース」入力フォーム)
(撮影: 2007.9.22 2007.9.24 13:20up)
《注記》2017年9月22日に画像の再構成、およびリンク先確認と表記修正)
デジカメ更新・・・ [エートマンの日記]
今日、コンパクトデジカメの更新がありました。
って、さりげなく書くと、ほんとにどうってことないですが、
ちょっと前なら一大事でした。時代も変わったなぁ~と。
いつも秋に更新されることが多いみたいだなぁ・・・
経緯と問題点をあげてみますと、
初代・・・ DSC-MZ1 なかなかよかったのですが、
数回の落下によりついに臨終を迎えました。
思えばけっこう激しい落下にも絶えながらよく戦いました。
2代目・・ DSC-AZ3 ちょっとした落下でしたが、
システム破壊が起き、短命に終わる。
3代目・・ DSC-T1 けっこうよかったのですが、
心変わりして、ほかへ譲渡。
4代目・・ DSC-E6 酷使のためか、内部で接触不良発生。
たぶんこれまで一番多く現実を切り取ってきたやつです。
5代目・・ PC1229 本日より投入。
5代目にして初めて2万円を切るお手頃品となりました。
それまでは、けっこうこだわりのものを購入していたのですが、
ようやく落ち着いて選択できるところまで成長(?)しました。
5代目ともなると手慣れたもので、カメラ店から出るとすぐに、
箱から取り出し、充電済み電池を放り込み、メディアも手持ちのものを
くわえさせ、速攻で使い勝手の確認のため、フィールドに駆り出しました。
で、帰還するときには、すっかり暗くなりましたが、
それでも信号待ちで、こんな状態でどう撮れるか、と最後まで厳しく
チェックを受け(初めの写真)、何とかいけるな・・・と相成りました。
ほんとに、2万円弱でここまで仕事ができるやつが、手にはいるなんて
いい時代になったものです。
初めてのデジカメが、2001年の10月でしたから
まだほんの6年ほどのことですが・・・
芦川峡にて 3 [火の見櫓]
芦川の峡谷をだいぶ下ると、そこは少し前まで「上九一色村」だったところ。
遠景は、甲府市古関町梯(かけはし)の集落です。
甲府盆地に比べ標高が高い分、秋の訪れも一足早く、
山がちな地域にあって、川沿いに開けた水田では、
稲刈りが進んでいました。
これは、同じ場所から梯地区の集落の中に見つけた火の見櫓です。
ちょっと遠目でよくわかりませんが、上部のステージが円形のやつです。
ずいぶん茶色っぽいので、環境に配慮した塗装なのかしらと思いました。
でも、その後、通りすがりに、一瞬眺めたところ、錆の色のように見受けられました。
(断定的にいうには、後々直近まで行って、じっくり観察する必要ありです。)
さらに少しだけ下り、梯集落を下流側から見たところです。
少し時間が経過していることもありますが、
だいぶ山陰になって、日が届かなくなる範囲が広がってきたようです。
そんな秋の初めの暮れかけた山間に、こんな廃屋が見られると
なんか、人生の無常が感じられてきてしまいました。
みんな、どこからきて、どこにいこうとするのだろう、あしばやに・・・。
(注、最後のは、単なるつぶやきで、
五七五七七とかの形式を踏んでいるのではありません。
またこの記事は2007.9.22 11:30にアップしています)