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芦川峡にて 2 [エートマンの日記]

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 笛吹市芦川町は、峡谷の一角にスズランの群生地があり、
観光的にも注目をされてきたことから「すずらんの里」という
愛称を持っています。
 そしてそのスズランの群生地「すずらんの森」にいたる道の脇には
こうしたスズランをかたどった、かわいらしい街路灯が設置されています。

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 別な地点で逆光をうまく利用し、点灯している気分を出してみました。

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 上の2つのものが基本のようですが、一部に
すこし異なったバージョンが見られました。
おもにガラスがカバーの形状が違ってます。

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 集落の辺りまで下ると、スズランをかたちどってはいますが、
こんどはまた別な形の街路灯になります。

(注: 2007.9.22 12:05に書き込みました)
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芦川峡にて [tunnels]

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 先日(9/17)、新道峠にいきました。
この日は、雲も少なく、富士山もきっちり見渡すことができました。

 最初の写真は、峠の少し手前からの芦川の峡谷の姿で、
右端前方のピークは釈迦ヶ岳です。

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 その釈迦ヶ岳の登山口辺りから、今度は新道峠を見上げました。
その西側には、大石峠が続きます。

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 林道を少し下ると、こんな表示が見られました。
そうです。大石峠の真下に、いま新しいトンネルが掘り進められているのです。
笛吹市芦川町と富士河口湖町大石とを結ぶ最短道路ができるのです。
そうなるとまた、芦川峡の変わっていくのでしょうね。
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かぐや がんば [月や宇宙・宇宙開発]

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 おとといの夜、仕事が終わり、外に出て、三日月が出ているのにおどろき
あわてて撮影してみました。
D50という機種にT社のズームレンズで200ミリでの撮影です。
19時03分と三日月を撮るのには少し遅い時間となり、
辺りがすっかり暗いため、コントラストが強すぎ、
肉眼では、ちゃんと地球照もわかったのに・・・。
多少の画像処理をしたのですが、まあこんな感じです。

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 きのうの夜、18時10分、まだ少し残照があり、かなり撮影しやすい条件。
D40という機種にN社のズームレンズで300ミリという機材を
ちょっと拝借しての撮影です。

 いずれにしても、月が出ているのは、このところ久しぶりで、
しかも、その月に向けて、わが「かぐや」が順調な飛行を続けている・・・
そう思うとこころなしか、わくわくするものがありました。
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忠魂碑 2つ [忠魂碑の類]

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 先日の記事の岩手橋を介しながら、2つの忠魂碑を見ることがありました。

 まずは、山梨市八幡の窪八幡神社境内のそれです。
神社境内の北寄りのやや奥まったところ、
忠霊殿のおとなりにありました。
背面の銘文により、大正4(1915)年11月に、
「帝国在郷軍人会八幡村分会」によって建立されたことがわかります。

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 りっぱな「忠魂碑」の揮毫は、碑面には「安正書」とだけありますが、
これは、明治時代後期に活躍した旧帝国陸軍の軍人、福島安正(1852-1919)によるものです。
 福島さんは、信濃国松本藩の出身で、日清・日露の戦役で働いた後、
参謀次長までになりますが、大正になって引退後は、
各地の在郷軍人会の求めに応じ、忠魂碑などの揮毫を多く残しています。

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 次は、甲州市塩山上於曽の向岳寺の境内にある忠魂碑です。

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 こちらの揮毫は、陸軍中将、廣瀬 猛によるものです。
こちらの忠魂碑については、あまりじっくりとは見ていられなかったので
建立の年月日などはわかりませんが、廣瀬 猛さんは、陸軍大学校長に在職中の
昭和9(1934)年7月19日に死去していますので、
それ以前に成立したものではないかと考えられます。
 福島さんの闊達な書風に比べ、廣瀬さんのそれは、
とても真面目で几帳面な感じを与えてくれているように見受けられました。
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1968年 [エートマンの日記]

どんな年か気になりましたので・・・

2月にフランスのグルノーブルで冬季オリンピックが開催されています。
『白い恋人たち(原題:13 Jours en France)』ですね・・・

4月に霞ヶ関ビルが完成しています。
このときからビールの消費量が霞ヶ関○○杯分といわれるように・・・

6月にはR.F.ケネディが暗殺される事件がおこっています。
敵対勢力は撃ってしまえ・・・という感覚は、依然として地球上に蔓延中・・・

8月、わが国で初めて心臓移植手術が行われました。
でも、今日、わが国内ではまだまだ。
必要にせまられた方の渡航の話がしばしばニュースに・・・

10月には、メキシコシティーで、夏季オリンピックも開催でした。
川端康成のノーベル賞受賞や明治百年記念式典といったものも・・・

12月には、アポロ8号が、月を周回しています。
わが「かぐや」も遅ればせながら、順調に月を目指しているようで
“なよ竹の翁”(?!)としては、喜ばしい限りです。

と、まあ、そんな年だったんですねぇ・・・!

(この記事は『ウィキペディア』の「1968年」の記事に拠っています)
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橋巡礼070913 [川と橋の文化誌]

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 岩手橋です。
笛吹川に架かる道路橋の1つで、山梨市の岩手地区と七日市場地区を結んでいます。
長さおよそ100mほどのコンクリート造の桁橋で、3つの橋脚をもちます。
 この画面の正面が岩手(いわで)の集落で、画面左端を少し出たあたりに
前回の記事で紹介した「ひのみちゃんNo.5」が立っています。

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 橋の上から上流側(北側)、笛吹川の源流域を眺めました。

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 反対に下流側を見ました。
先日の台風の際にたくさんの水が流れたあとが見られますし、
このところの雨で、水量も多めになっていました。
遠くの山並みに、雲を襟巻きにしながら、ちょこんと飛び出しているのは
富士山です。

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 岩手橋の東詰、北側の欄干親柱です。
コンクリート製で、ちょっとくたびれていますが、
ここでだいじなのは、橋の呼び方です。
「いわでばし」と表記されています。
山梨県山梨市にある橋で、決して岩手県にある橋ではないのです。

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 いま「ちょっとくたびれて・・・」と書きましたが、
東詰の南側の親柱には、橋の竣工年を示すプレートがあり、
それによって、昭和43年3月にできた橋だとわかりました。
1968年か・・・どんな時代だったんだろう???

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 最後にもう一度、東詰から見た、岩手橋の全景です。

 どうでもいいことですが、この橋を訪れた後、
なぜか頭の中で、井上陽水の「いつの間にか少女は」が
流れ続けるようになっています。


《追記》
 この記事を書く作業の中で、「岩手橋」を検索する中で、
次の興味深いサイトに出会いました。
それによると、茨城県にも「岩手橋」(いわてばし)があるそうです。

  『愛橋全集』 http://satoshi.moo.jp/nippn.files/hashi.htm

《追記2017.9.22》
 画像リンクの修正とリンク先の確認・修正を行いました。

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ひのみちゃん (その5) [火の見櫓]

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 山梨市東の岩手地区にある火の見櫓です。
笛吹川の対岸の、岩手橋東詰から眺めました。
おそらく岩手地区の久保区集会所辺りに建っているものと思われます。
遠くからでも気になったのはなぜでしょうか。

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 もう少し上部をクローズアップしてみましょう。
お気付きになりましたか。この火の見櫓には、とてもたくさんの
ラウドネススピーカーが付いています。
とりわけ屋根の上に、さらに櫓を組み上げて
そこに全部で7つのスピーカを取り付けているのがすごいと思います。
屋根の下にも4方向に向けた4台のスピーカーが見られます。
この地域では、こうした拡声器を使用してのお知らせがたくさんあるのでしょうね。
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造形 29 [エートマンの日記]

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 最近は、口が大きく開いたまま、ふさがらない・・・
てなことが、よくありますねぇ~。

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 ほら、こんなに大きく口が開きっぱなしですよ~。

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 で、開いたお口は・・・というと、
水飲み場でした。

 長野県飯山市の飯山城跡の傍らの児童公園(?!)で見た、
ちょっと心ひかれた造形でありました、ケロッ。
                     (撮影: 2007.9.10)
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夢のような・・・ [エートマンの日記]

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 またまた続きです。
9月10日に飯山城跡を訪ねました。
城跡の見学なのに、城跡から垣間見た、美しい、夢のような景色に呆然。
「夢のような・・・」というのは、あくまでも個人的な感覚で、
あいにくの曇り空の中で、そこだけ華やかな橋が見えたことが
そうした感覚を与えてくれたのです。

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 見学も無事終了して、またバスに乗り、次の目的地に移動開始したところ、
なんとあの橋に近づいて行くではありませんか。

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 道路標識や信号機に付けられた地名表示から、橋の名前は「中央橋」だと。
中央橋は、飯山市の中ほど、千曲川に架かる6連のアーチ橋です。

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 結局、渡ることなく、中央橋西詰交差点を右折してしまいました。
さよなら中央橋。
あとで、ネットで調べてみたところ、地元では、
この橋の架け替えが議論されているとのこと。
やがて歴史の中の一時の夢のように消えてなくなるということでしょうか。
こうした鉄橋は、やがてみんな消えていくのでは・・・と。
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川中島に勘助墓を訪ねて [エートマンの日記]

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 前回の続きのお話ですが、信州川中島にある「山本勘助の墓」も
訪れました。これはこの日がちょうど命日なんだそうで、
(もっともそうであっても旧暦なんではありますが)
みなさん、「勘助」の遺徳を偲びながらのお参りとなりました。

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 これが「勘助の墓」が営まれた経緯も刻されている石塔です。

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 「勘助の墓」がある場所は、現在では、
千曲川の河川敷の一角となっています。
土手を降りたところで、写真の背の高い樹木のある場所がそれです。

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 傍らに設置されている説明板には、かつては、河川敷ではなく、
当地には阿弥陀堂があって、その境内に当たるところが今に見る
「勘助の墓」だと解説が見られました。
図中の赤い点線で囲んだところに、今も見られる石塔が造立されているのが見て取れます。

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 当地にもボランティアガイドさんがおられて、詳細について
ていねいに解説してくださいましたが、なぜいま河川敷にあるかについてのお話の中で、
かつての阿弥陀堂の境内の古写真も示してくださいましたので、
たいへんありがたかったです。
 かくして、千曲川の河川管理上の課題で、阿弥陀堂は移転し、
「勘助の墓」を河川敷に取り込むように堤防が構築されたことを知りました。

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 「勘助の墓」は、いまはブームで、多くの方が訪れるらしく、
先ほどの説明板も新たに設置し直されたようですし、
ボランティアさんが用意されている資料もいくつか見られましたが、
これはその一つ、現在の阿弥陀堂は、どう行けばいいか、という資料です。

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 最後に、「勘助の墓」のお参り道の脇の柿の木に、
詠み人知らずの歌が掲げられていたのを紹介します。

  ドラマにて勘助一躍ヒーローに フィーバーブレークカリスマ軍師

 カタカナが多いのは、今様ですね。さらにもう一首。

  大河べりひっそり閑と鎮まれる 勘助墓所の様変わりかな
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