川中島に勘助墓を訪ねて [エートマンの日記]
前回の続きのお話ですが、信州川中島にある「山本勘助の墓」も
訪れました。これはこの日がちょうど命日なんだそうで、
(もっともそうであっても旧暦なんではありますが)
みなさん、「勘助」の遺徳を偲びながらのお参りとなりました。
これが「勘助の墓」が営まれた経緯も刻されている石塔です。
「勘助の墓」がある場所は、現在では、
千曲川の河川敷の一角となっています。
土手を降りたところで、写真の背の高い樹木のある場所がそれです。
傍らに設置されている説明板には、かつては、河川敷ではなく、
当地には阿弥陀堂があって、その境内に当たるところが今に見る
「勘助の墓」だと解説が見られました。
図中の赤い点線で囲んだところに、今も見られる石塔が造立されているのが見て取れます。
当地にもボランティアガイドさんがおられて、詳細について
ていねいに解説してくださいましたが、なぜいま河川敷にあるかについてのお話の中で、
かつての阿弥陀堂の境内の古写真も示してくださいましたので、
たいへんありがたかったです。
かくして、千曲川の河川管理上の課題で、阿弥陀堂は移転し、
「勘助の墓」を河川敷に取り込むように堤防が構築されたことを知りました。
「勘助の墓」は、いまはブームで、多くの方が訪れるらしく、
先ほどの説明板も新たに設置し直されたようですし、
ボランティアさんが用意されている資料もいくつか見られましたが、
これはその一つ、現在の阿弥陀堂は、どう行けばいいか、という資料です。
最後に、「勘助の墓」のお参り道の脇の柿の木に、
詠み人知らずの歌が掲げられていたのを紹介します。
ドラマにて勘助一躍ヒーローに フィーバーブレークカリスマ軍師
カタカナが多いのは、今様ですね。さらにもう一首。
大河べりひっそり閑と鎮まれる 勘助墓所の様変わりかな