田の神まつり [まつり・行事]
甲府盆地では、昨晩のうちに、うっすらとした積雪がありました。
平地では、午後にはかなり少なくなりましたが、
暦は「大寒」 肌寒い一日となりました。
そんな中、中央市成島の水田で、お祀りの後を見つけました。
民俗学的なことは、まったく知らないので、よくわかりませんが、
田の神の祀り、それもお正月の、あるいは小正月の、
おそらく予祝祭だと思われます。
ひのみちゃん(その9) [火の見櫓]
火の見櫓は、伝統的な形をもつ集落の中ほどに多く見られます。
火災の際の火元の早期確認や半鐘による消防団員への告知などがその役割です。
だから、そんなに変わった火の見櫓が、そこここにあるわけではありません。
でも・・・
2回連続で「ひのみちゃん」になるなんて・・・・・
今回の火の見櫓は、前回の「ひのみちゃん8号」のあった鹿島とは、
富士川を挟んで西側の、鰍沢町箱原の集落にある火の見櫓です。
一見して、何の変哲もない火の見櫓ですよね。
でも、よく見ると、向かって右側の方は何か垂直に近くて、
全体が右に・・・屋根も頂部は中心より右側に・・・、何かあるな・・・。
ということで、迫っていくと、なんと三角の“ひのみちゃん”でした。
火の見櫓の向こう側の建物が、鰍沢消防団第2分団第3部詰所でしたので、
この部の皆さんの管理なんですね。
そうです。平面形が三角形をしているのです。
これは、けっこう珍しいですよ。
(でも、ほかでもチラッと見たことあるような・・・
きっと、あそこにも、ここにもという皆さんがおられるのでは・・・)
決め打ちに、真下から見上げてみました。
ひのみちゃん(その8) [火の見櫓]
各地の火の見櫓で気になるものを取り上げるシリーズ第8回は
鰍沢町鹿島の火の見櫓です。
で、どこに目をひかれたというのでしょうか・・・
1月17日のoberisukuさんのブログ『知ってるけ~』で、
7階建てもある背高のっぽの火の見櫓を紹介されていましたが、
それに触発されまして、こちらは9階建ての火の見櫓だということです。
もっとも、各階は上に行くにしたがって高さが逓減していて
その点でもちょっと特異な火の見櫓ではないかな・・・と。
写真右手にある建物が鰍沢町消防団第4部詰所であり、
この消防団の皆さんが管理されているものと思われます。
9階は丸いフロアで、屋根は四角で、頂部に風見鶏が付きます。
中心に半鐘が吊りされられるほか、スピーカが1つ
消防ホースを干すためのロープと滑車などで
かなり簡素、機能重視のものとなっています。
すだまおおはし [川と橋の文化誌]
須玉川に架かる「須玉大橋」です。
先日紹介した、須玉川の万年橋を訪ねた帰りに立ち寄りました。
橋の上から上流側を見ています。
雪をいただいた八ヶ岳がとてもきれいに見えました。
下流側を見ました。
この須玉大橋の辺りでは、川幅がたいへん広くなっていて、
河川敷を幾筋もに分かれて寄ってしながら、須玉川の流れがありました。
墓場にて [地域の小さな歴史]
正覚寺さん訪問の記の続編です。
写真は、国道141号から見た正覚寺の全景ですが、
寺の南側に広く墓地がありまして、そこで拾った地域の歴史のこととなります。
前回も見たように、寺の山門前の標柱に
「甲斐源氏始祖 新羅三郎義光公菩提所」とありましたが
こちらは寺の背後の一段高い場所にある源義光さんの供養塔です。
これ以外にも供養塔や墓石など、興味深いものが多くありました。
若神子の正覚寺さん [寺院めぐり]
前回の万年橋を訪ねる途中、正覚寺さんにお邪魔しました。
山門前に石段がありまして、その左右に石柱があります。
右には、「甲斐源氏始祖 新羅三郎義光公御菩提所」
左には、「陽谷山 正覚寺」と
それぞれ刻まれています。
石段を上がると、山門の間から本堂が垣間見えます。
こちら本堂です。
本堂の南側に、お地蔵さまがお祀りされています。
その台座には、「有縁無縁三界萬霊」と刻されていました。
無縁仏を中心に供養されているお地蔵さんだとわかります。
逆光で、「南無地蔵菩薩」の赤い幟旗が太陽光を遮ってくれています。
あえてこのカットを選んだのは、
無縁さんにしては、五輪塔がたくさんあって、年季がはいってるなぁ~
と感じたからです。
お寺の背後の一段高い場所から見た境内のようすです。
若神子の古刹、正覚寺さんでした。
また、万年橋 [川と橋の文化誌]
北杜市須玉町内にあって須玉川に架かる万年橋です。
現在は、隣りに新万年橋が架けられていて、
もとの万年橋は、歩行者専用の橋となっています。
向かって左の黄色の欄干の橋が新万年橋で、
右手にやや下がって青っぽい欄干の方が、古い「万年橋」です。
万年橋の東詰上流側の親柱です。
東詰上流側から見た万年橋。
コンクリート造の上路アーチ橋です。
西詰め上流側から見た万年橋です。
この角度で一番手前となる親柱には、縦書きで「昭和七年竣工」の
プレートが埋め込まれています。
で、その傍らに、こうした説明板が設けられていました。
上部には、もっと古い段階の木橋としての万年橋の図があり、
下の説明文は、万年橋の歴史のあらましを伝えてくれています。
こちらが木橋の時代の万年橋の姿です。
解説文によると、かつて架橋技術が乏しかった頃には、
土橋だったこともあったようですが、何度も流され、
ついにこの図のように、両側からせり出す肘木のうえに橋桁をのせた
初代万年橋ができたのだそうです。
橋脚を持たないため、大雨の際の出水にも影響されず
これで万年でも持ちこたえることができる、との人々の喜びから
「万年橋」の名がうまれたとされています。
しかし、その万年橋も昭和になって、時代の変革の流れの中で、
コンクリート造の永久橋に架け替えられたのが、ここでの万年橋の歴史なのです。
で、こちらは新万年橋のプレートです。
欄干の親柱にではなく、こうした形式になっているのは、
古い万年橋に景観的に邪魔にならないよう
控えめにされたかと推測されます。
新万年橋は、鉄鋼桁を渡した上にコンクリート床盤を設けていますが、
こちらも橋脚を持たない構造のため、須玉川の流れに影響を及ぼさないとのことで、
新旧ふたつの橋が共存しているのだと思われます。
流れの中に橋脚を持つこととなると、以前紹介した新川に架かる万年橋のように
隣り合わせでも古いものは取り壊しとなるのが運命です。
ここの万年橋は歴史的にも古いもので、近代化遺産としての価値が認められ、
新旧の共存も可能な環境がつくり出されたのだといえそうです。
新万年橋も平成2年3月の竣工ですから、
再来年には、成人式を迎えるところまできていますね。
(撮影: 2008.1.14)
どんどんやき 2008 [まつり・行事]
今年も、わが集落のどんどん焼きをご紹介します。
初めは、小正月祭り行事のメインの道祖神さんです。
なお、次の過去記事もよろしければご覧ください。
* どんどんやき(2006)
・キーワードは、小正月・どんどん焼き・繭玉(おめーだま)・おぶっく
** どんどんやき 2007
・キーワードは、道祖神場・お神酒・ワラ・松飾り・習字・繭玉だんご
今年は、風もなく、集落の真ん中で火をたくにはよい条件となりました。
夕方6時過ぎに、ワラに火が入り、集まった集落の老若男女は
繭玉だんごを焼いたり・・・
子どもは、書き初めの習字を、字がうまくなるようにとの願いを込め
火に投げ入れます。
火を扱う祭りなので、今では地域の消防団の方の管理の下に進められます。
この火に当たり、よく体を温めると、一年間じょうぶでいられる・・・
そんなふうに伝えられてきていますが、火の周りで、
体を温めながら、話も弾んでいました。
火に当たりながら語らうというのは、「他の動物にはできないこと・・・」
ということをどこかで聞いたことがありますが、どんど焼きは正にそんな感じです。
なお、ワラ灰は、翌朝、消防の役員が片付けるのですが、
昔は、翌朝にこの灰を競争で持ち帰り、家の周りにまいて
厄除け・虫除けを祈ったという話も、
火に当たりながら年配から聞くことができました。
灰をこたつにいれ、火伏せを祈ったとも聞いたことがあります。
上市之瀬の小正月飾り [まつり・行事]
先日(1/8)見かけた、南アルプス市上市之瀬の小正月飾りです。
1月14日に行われる「どんどん焼き」と中心とする小正月のお祭りのための
飾り付けがすでに行われていました。
前回に紹介の市川三郷町帯那地区の飾りとは
だいぶおもむきを異にしています。
同じ祭り行事でも、ところ変われば・・・のようです。
鳥居型に建てられた2つの竿の先の飾りのうちの1つをクローズアップです。
そして、こちらがその根元の方の飾り付けのようすです。
中心的位置づけの道祖神さん。
カラフルな注連飾りの中で、いつもより華やいでおられました。
お供えのミカンも、色を添えています。
集落の中心から、上の方(県民の森方向)に町並みを眺めてみたところですが、
すこし簡素にしたものが、組ごとでしょうか、点々と建てられていました。
(撮影: 2008.1.8 南アルプス市上市之瀬にて)
なお、近くの下市之瀬地区での小正月の飾りのようすについて、
南アルプス市をフィールドにされているzohzohさんのブログ
『南アルプス市で散歩して』の2008年1月11日付けの「道祖神祭り 間近です」
という記事に紹介があります。ご参照ください。
URL: http://blogs.yahoo.co.jp/zohzoh2587/28280852.html