敷島大塚古墳 [公園・史跡]
甲斐市の旧敷島町で、島上条北部と境の南部との境界付近にある大塚古墳です。
右手の白く見えるのが説明板。そして画面の木々の集まっている部分の根元に
その古墳はあるのです。
こちらは、先ほどの写真に写っていた説明板です。
かなり老朽化して、文字が消えかかり、判読し難くなっていますが、
内容のうち本文のみを次のように読みとってみました。
古墳時代における低地築造の実例で甲 府盆地周縁部の古墳群の中では北限の 位置にある。円墳で上部の封土は失われ 横穴式石室(長さ8.7メートル)が 露出している。構造上から後期古墳の 頃の造営であると認められる。 塚の上には現在、大岳山三社権現 が祀られ、信仰の対象となっている。
石室部分をクローズアップしてみました。
こうしてみると、山梨のミニ石舞台古墳といえるのではないかと思いました。
火の見ちゃん 19 [火の見櫓]
前回の記事が、甲斐国分寺跡の六地蔵さんでした、国分寺続きで
まずは、出土瓦をあしらった石碑を初めにご紹介します。
これは6月13日に見たものでありました。
笛吹市一宮町の国分地区の集会所の前庭の傍らに置かれているものです。
で、こちらが本命の、国分地区の火の見櫓です。
この火の見櫓もけっこう高い部類に入ります。
中段のステップがかなり上の方に寄っていますが、
この下にももう一つ目立たないけどステップが設けられていて
立派なものだと思いました。
雨の中の六地蔵さん [いのり・信仰]
今日は一日雨降り・・・でした。
♪ 雨が降ってる日曜日、坊やどろんこなぜ泣くの・・・
なんて歌、歌いながら、それでもお仕事でした。
そのお仕事の一環として甲斐国分寺跡を訪ねました。
雨の中で、ずっとたたずむ六地蔵さんたちが目にとまりました。
ここは、史跡公園化の事業が進む中で、最近まであった
国分寺さんが、ちょっと西の方にお引っ越しして、
だんだんに趣が変わってきているところですが、
雨の中のお地蔵さんたち、心なしか、先行きをご心配のような表情に感じられました。
この墨書は何? [いのり・信仰]
前回の瑞龍院さんを西側から見ました。
ご本堂の西側には、墓地があります。
その墓地の一角に、どこのお寺さんでも見られる光景ですが、
無縁さんをお祀りしてあるところがありました。
注目したのは、無縁さんの石塔や石仏、石祠などを集めた中にあった
石祠の屋根が失われたものであります。
よく見ると、墨書きが、何通りも認められることです。
時として墨書は劣化せずに、長い間残ることは知っていましたが、
それが、こんなふうに風雨にさらされながらもよく残っているのには
ちょっとびっくりです。
またその文字が読み取れない、意味がわからない、・・・のがちょっと悲しい。
ずいりゅういん [寺院めぐり]
先日(6/15)、甲府市高室町の瑞龍院さんを訪ねました。
境内にもう少し入らせていただいた状況です。
この画像の左端にある石碑、ちょっと気になりました。
近づいて確認すると、「嗚呼戦友」と題された石碑でした。
碑の表面の中央に、「第二次世界大戦ニューギニア方面戦没戦友慰霊碑」
と書かれていました。
この碑の脇には、設置の経過、特に戦友への追悼の念が短いなかに
きっちりとつづられたものが、彫り込まれていました。
こちらは、お寺さんのご本堂を近くで見たところです。
境内につながれたワンちゃん。
問題はおイヌ様ではなくて、その傍らにある二つの石臼です。
右手の丸い石臼の上臼を地面にたてに半分入れこんであるものは、
少し大きめの穀臼で、その物配り穴にロープを通して縛り付け、
イヌをつないでいるようです。
で、興味深いのは、こちらのほう。
かなり大きくて、六角形をしていますが、石臼の、やはり上臼のようです。
初めから六角形なのでしょうか。
いったいどんな用途の石臼なのでしょうか。
不勉強でよくわかりません。どなたかご存知でしょうか。
高室町で見た旧家 [地域の小さな歴史]
ずっと遠くからも大きなお屋敷の構えが伺えましたが、
近づいてみると・・・
長屋門の前に小さな石の祠が祀られ、何とも古風な鳥居まで・・・。
前の通りに面した門は、固く閉ざされていました・・・。
門扉にもえもいわれぬ風格があります。
門にとりつく塀の屋根です。
棟にのる瓦は、新しいものは断面が丸形ですが、こちらのは少し古めの
山形をしています。
手前の長屋門の屋根と、その向こうのお屋敷内の蔵の1つの屋根が
重なって見えていました。
こちらは長屋門の屋根の軒の瓦のようすです。
軒桟瓦の紋様は、何種類か有るようですが、
明治から大正、昭和の初め、といった時期のものでしょうか。
土壁と屋根のコントラスト、きれいです。
高い台をもつ道祖神さん [いのり・信仰]
右手が正面で、そちら側に簡素な鳥居(?)が設けられています。
背後は鎌田川の右岸堤防です。
それにしても、ずいぶん丁寧な高座に
お上がりになっておられる道祖神さんですこと。
道祖神本体の状況です。
大小の直方体の石を二つ重ねた上に、まん丸の石を据えています。
昨日(6/15)、甲府市高室町で見た道祖神さんです。
かまたがわおおはし [橋と川の文化誌]
甲府市の南郊を流れる鎌田川。
東側の堀之内町と西側の高室町が接する辺りで、中央自動車道がこの川を渡っています。
この中央自動車道の下り線側の側道が、鎌田川を渡るのに架けられている橋が
今回の鎌田川大橋です。
手前の上部に一部が見えるのが、中央自動車道下り線の橋梁で、
その向こうに見えているのが鎌田川大橋なのです。
上の写真の左右を付け足して、全体の感じを見るため、3点の画像の合成ですが、
他にこの橋をうまく撮影できるポイントがなかなかありません。
ところで、大橋と呼ばれる橋の定義は何だろう・・・
って、考え込んでしまうのです、この橋を通るたびに。
鎌田川の両岸の堤防を含めて渡っているので、太鼓橋のような感じではありますが、
もともと中央道の側道ですので、そんなに幅員は大きくなく
車のすれ違いの際には、けっこう注意しなくてはならないほどです。
鎌田川大橋の、やや東詰側によった一番高い部分から上流側を見ると
中央自動車道の路面に迫るほどの高さになっていることがわかります。
梅雨の時期にしては・・・ [さんせっとorとわいらいと]
撮影: 2008.6.14 18:42
撮影: 2008.6.14 18:45
撮影: 2008.6.14 18:46
撮影: 2008.6.14 18:47
撮影: 2008.6.14 18:48
梅雨の時期にしては、けっこう晴れ間もでて、暑い日となりました。
そして日没時、空を赤く染めて沈み行く夕日を見つめる時間が持てました。
こうして一日が静かに終わろうとしていますが、
実は静かな日ではありませんでした。
すでにご承知のとおり、「平成20年岩手・宮城内陸地震」が発生し、
当該地域では、広い範囲で大地が崩れ落ち、たいへんが災害に見舞われています。
関係の皆様には、謹んでお見舞いと
一日も早い復旧・復興のあらんことの祈念を申し上げます。
火の見ちゃん 18 [火の見櫓]
県道市川三郷鰍沢線の旧市川大門町地内を南から北に向かって進むと
道路際にある2つの火の見櫓が目を引きます。
取り立てて特別なことはないのですが、不謹慎にも自動車のフロントガラス越しに、
その2つの火の見櫓を観察(?)してみました。
はじめのは、市川三郷町下大鳥居地区の火の見櫓です。
そして・・・
2つめは、市川三郷町高田地区の火の見櫓です。
どちらもよく似た形式だなぁと、あらためて理解しました。
違いといえば、前者にはスピーカがまったくなく、
後者には3つ付けられていることくらいです。
またよく見ると、前者の方がすこし高いようです。
《補記:2024.4.19》画像リンクの再設定を行いました。