えいたいじ [寺院めぐり]
今月初め(7/1)に、永泰寺さんをたずねました。
『甲斐国百八霊場』の93番にあげられた古刹です。
参道脇の石の標柱に「永泰禅寺」とありました。
そうですね、禅宗系のお寺さん(臨済宗建長寺派)です。
山門は、屋根が手入れされてまだ新しい感じがしました。
山門の柱に、おもしろい札が掛けられていました。
とくに2行目の「寺貧乏に付き、盗人入るべからず」には、思わずにやりとしました。
そして「ただ、写真を盗るだけです。いれてください」とお許しを請いました。
このお寺さんを有名にしていることの一つに、
寺宝の釈迦立像があります。
とくに清涼寺式という独特なスタイルの仏さまで、県指定文化財となっています。
こちらは、そのお釈迦様をお祀りする「釈迦堂」です。
お堂の前の説明板には、この建築が、旧上九一色村時代には、
村指定の文化財となっていたことの説明が書かれていました。
釈迦堂の前の境内には、先の戦争で戦没した方々の供養碑が並んでいました。
お釈迦様のお膝元で、安らかにいていただきたいと念じました。
釈迦堂の前から本堂と庫裏を望みました。
お参りを終えて、お寺さんを後にしようとしたとき、
境内前面の高い石垣が気になりました。
立派な石垣ですが、山門の左右で、積み方が少し違っています。
これらの石垣は、いつ頃に積み上げられたのでしょうか。
いずれにしても、そこここに歴史を感じさせてくれるお寺さんでした。
火の見ちゃん 20 [火の見櫓]
火の見ちゃんシリーズも20回目となりました。
今回のは、甲府市古関町の本郷地区にある火の見櫓です。
この火の見櫓のポイントは、時代性です。
その一つに、一番上の四角い平面形の望楼に半鐘がない、
ということです。
この火の見櫓の場合、半鐘は中段のステップのところにしかありません。
それはあくまで現状でのことで、当初はきっと
上の望楼部分にもあったのだと推測されます。
火の見櫓の下の部分を見ました。
櫓の下は、機材庫になっていたようです。
思わず過去形で書いてしまいましたが、だいぶ老朽化している上、
扉の前は、草が生えていて、ここしばらくの間は開け閉めした形跡が見られません。
近くに消防団詰め所があります。機材も大型化しているので、
小さなこちらの機材庫は、となりの詰め所の方に機能移転しているのでしょう。
火の見櫓の目の高さに取り付けられている半鐘の信号表も
ずいぶん古くなっていて、読めるのかなぁと心配になるほどです。
最後に、一番下の横方向の構造材に取り付けられて、製造メーカーのプレートです。
このプレートは、この火の見櫓の年代を推定する手がかりとなります。
メーカーの所在地が「甲府市東青沼町商高前」とあります。
「東青沼町」は、明治36年から昭和41年までの甲府市の町名です。
(角川地名辞典19による)
また「商高」というのは、現在の甲府市立商業高等学校のことで、
たいへん古い学校ですが、「商高」というのが該当するのは
昭和23年の学制改革以降からのことです。
ちなみに通称「甲府商高」は、昭和52年に現在地の甲府市上今井町に移転しています。
こうしたことから、この火の見櫓は昭和23年から昭和41年までの間に
いまも鉄工建設株式会社と改組して、甲府市青沼2丁目に本社機能を置くメーカによって
建設されたと理解されます。
20回記念として、やや力が入りました。
参考までに、全国の火の見櫓のことを取り扱っている興味深いサイトが
見つかりましたので、ご紹介します。
※サイト名:「火の見櫓っておもしろい!!」
※URL: http://homepage2.nifty.com/Soto/hinomi/index.html