ぷち自由研究2008その2・・・万年橋の歴史 [川と橋の文化誌]
8月になると、昔、自由研究がとても苦になっていたことを思い出します。
で、いまになって、こんなんやればよかったかなぁ・・・
そんな思いがいくつも浮かんできます。
このブログの昨年の8月の記事を読み返しても、ありましたよ。
「ぷち・自由研究」ということばが・・・(2007.8.5の記事参照)。
昨日に引き続き、第2弾です(内容に脈絡とか連続性はありません)。
それでは、初めの写真についてです・・・(問題の所在)。
この橋は、県内にいくつかある「万年橋」と呼ばれるものの1つです。
中央市乙黒地内にあって、鎌田川に架かっています。
この橋については、以前にも紹介したことがあります(例えば2007.10.17の記事)が、
もう一度、踏み込んで考えておきたいと思います。
なぜなら、それ自体に小さな歴史が見られ、やがてなくなってしまう
と思われるからです。
残っているうちに、観察記録をしておかなければ・・・。
先ほどの万年橋の位置についての文字的な説明を、あらためて
Googleが提供している航空写真をお借りして、見ておきたいと思います。
白い破線の円で囲んだのが、今回、テーマとして取り上げる万年橋です。
南側の笛吹川を渡る豊積橋からクランク状に折れながら、この万年橋で鎌田川を渡るのです。
この位置、この環境をよく確認しておくことがポイントです。
では、万年橋についての2つめの、この画像をご覧ください。
左右の欄干の形状と、路面のようすにご注目ください。
ここから次のような結論を導き出しました(と、すぐに結論を明示するレポートもありです)。
橋は、まず(1)の部分から始まったのです。
鎌田川の流れに直角に1車線分程度の幅員の橋として、渡されたのです。
その次、いつのことかは、不明ですが、南詰めが(2)のように
隅切りがなされました。
これでいくぶん、曲がりやすくなったのでしょう。
しかし、車両の大型化や交通量の増大により、その程度ではもたなくなり
(3)のように、拡幅されました。そして現在に至っています。