火の見ちゃん24 [火の見櫓]
先日訪れた甲州市大和町田野にあった火の見櫓です。
前回の火の見ちゃん23もそうですが、このときも、
あまり天気がよくなくて、さわやかな火の見櫓の写真ではないですが、
建設年代がわかる資料として記録しておきたいと思います。
田野の集落の中にある消防団詰め所の敷地内に、それは建っていました。
詰め所には、まだ合併前の名称で、「大和村消防団第九部」とありました。
初めの写真でもわかりますが、近くに送電線の鉄塔も建っています。
その東京電力笛駒線63号鉄塔の方から、火の見櫓の全体を見てみました。
けっこう高い火の見櫓です。
その火の見櫓の一番下の横材に、火の見櫓の建設の際の寄付者芳名を
記した鉄板のプレートが取り付けてありました。
もう少し細かく見ると、プレートの右側半分に寄付者のお名前、
そして左半分に建設時の消防責任者のお名前が、鏨彫りで書き込まれ、
真ん中辺りに「昭和三十八年一月十五日」とありました。
この紀年銘のあるプレートの存在で、
この火の見櫓は、1963年に建設されたことがわかります。
まだ結論づけるのには早いかもしれませんが、
こうした各地の集落の中心部辺りに設置されている火の見櫓は、
およそ、「高度経済成長」の“かけ声”が全国に渦巻いていた
昭和30年代に次々に建てられていったと思われますが、
今回の田野の火の見櫓も、そうしたものの1つであったのです。
とあるシンポに行ってきました [調査・説明会・講演会・シンポなど]
10月1日にご紹介したとあるシンポジウムに行ってきました。
さて、シンポジウムのタイトルですが、「勝山城の築城とその歴史性」でありました。
パネラーの皆さんですが、左から建築史・都市史がご専門の東京理科大学教授の伊藤裕久さん、
二人目は、考古学・城郭史などがご専門の帝京大学山梨文化財研究所所長の萩原三雄さん、
そして中世史・武田氏研究がご専門の県教委学術文化財課の平山 優さんでした。
ところで、皆さん、勝山城をご存知ですか。
こちらが、シンポジウム会場となった都留市文化会館から眺めた、
地元で“お城山”と呼ばれている、県指定史跡の勝山城跡です。
手前の市街地は、かつては谷村城下町でありました。
この城下町を含め、勝山城は、たいへん興味深い歴史を伝えています。
シンポジウムに話を戻しますと、都留市教育委員会が現在進めている
「勝山城跡学術調査事業」の中で取り組まれている調査のようすとその成果を
市民に知っていただこうという趣旨が中心で、
実際に会場となった都留市文化会館大ホールは、多くの都留市民で埋まってました。
そうしたことから、シンポでは、初めに調査事業のご担当である
市教委の森屋雅幸さんが、パワポに現地調査の状況をのせて最新の成果を報告されました。
この写真は、成果の中でも最も注目されるものの1つで、
城跡の中心部の北側で確認された石垣構造の一部です。
この新たに確認された石垣は、シンポの中で、その積み方から1590年代、
浅野氏の関与によるものである可能性が高いと説明され、
そこから勝山城の歴史が、より具体的に理解されてくると話されていました。
休憩時間中のパネラーの先生方と、左端はコーディネーターの数野雅彦さんです。
このシンポで繰り出された、一線の先生方から研究最前線の城の見方は、
多くの聴衆を感激させたと思います。
とりわけ、調査成果の中心は、考古学的な調査がもたらした、
先ほどの石垣のことと、お茶壺道中の舞台となっていたものに結びつく可能性のある遺構
などでしたが、それらの興味深い報告に接し、
以前聞いたことのある、同志社大学の森浩一先生の
「考古学は、地域に勇気を与える学問である」という言葉が
脳裏の浮かんだのでした。
これから、勝山城跡の調査成果は、都留市と都留市民に
どんな勇気を与えていくのか、楽しみに見守りたいと思います。
[補記:画像のリンク切れを調整しました 2023.9.5]
兵衛さんの書になる・・・ [忠魂碑の類]
ここは、甲府市下曽根町の中の公民館(集会所)の1つです。
以前、養蚕が盛んな頃には、稚蚕共同飼育所として利用されてもいました。
もっと前には、町立保育園でありました。
(実は、ハナタレコゾウの時分にここにお世話になりました)
もっと前は・・・、学校だったとも聞いています。
その一角に・・・
やや小さめの忠魂碑があります。
いまはひっそりと立っています。
この「忠魂碑」の文字、以前にも見たことがあるように思います。
そうですね、一戸兵衛(いちのへ・ひょうえ)さんの書になるもののようです。
(注:3点目の写真は、縦が70%に変形してあります)
なくなっちゃった“ある万年橋”の記憶 [川と橋の文化誌]
昨年(2007)12月26日の“ある万年橋”の更新をご紹介したことにともなう話題で、
今日、新たに耳に入った関連情報を書き留めます。
まず、最初の写真ですが、「なくなっちゃった“ある万年橋”」
と題した、そのときの過去記事で使用したものの再掲です。
手前の「新川」という表示のところで、こちら側の道路は切れていているのですが、
以前は、対岸に見える橋台のところまで、道路橋が架けられていました。
この対岸に見える橋台部分までは、取り壊される前の
旧「万年橋」が架けられていたのです。
この写真は、前の記事では未使用(未公開)のカットで、
今回、新たにアップしてみました。
今回の主題は、こちらから対岸のあの橋台まで、
どんな構造の橋が架かっていたのか、ということです。
本日、このブログ見てますよー、という「えーと何だっけ」ファンから、
これに関した情報をうかがうことができました。
以前、まだ旧橋時代に、ここを通勤に使われていたのだそうですが、
その方のお話では、「上が道路になっているトラス橋だった」とのことでした。
要するに旧万年橋は、「上路トラス」という構造だったのです。
新橋「新万年橋」の完成に連動して取り壊されしまった旧橋は、
上路トラスだと・・・。そのころの写真なんか、どこかにないかなぁ・・・。
当方も、もちろん、この旧橋段階の万年橋を何度か通っていますが、
どんな構造だったのか、ということはもとより、橋の名が何であるかまで、
全然関心を払ってきませんでした。
こうしたことは、じゃんじゃん忘れ去られてしまうので、
ここにメモっておきます。
(情報提供に感謝!!!)
地球に優しい戦争を! [ふむふむ そうなんだぁ!]
今朝のNHK-TVのニュースの中での話題についてのコメントです。
鳥は、空を飛ぶとき、エサを食べて体力を確保し、飛びます。
飛行機は、民間機、軍用機を問わず、燃料を燃やして、推力を確保し、飛びます。
でも、飛行機の場合、燃料を燃やすと、CO2の排出など、環境への影響が残ります。
そこで米軍では・・・、
「戦闘能力を落とさない範囲で、CO2の排出削減などの取り組みをしてますよ、hi!」
と、いうようなインタビュー内容・・・。
そうです、これからの世界では、地球に優しい戦争をしなければならないのです。
軍用機を飛ばすときの燃料を改善して、CO2の排出を何パーセント削減とか・・・、
基地で使用するエネルギーに太陽光を取り入れるとか・・・。
ここまで来ているのです。
私たちも、見習わなければ・・・。
地下の“お宝” [博物館・展示会]
こちらは、山梨県立考古博物館です。
考古博物館では、昨日(10/1)から第26回となった秋の特別展が始まりました。
今年のお題は何でしょう・・・
『埋められた財宝』だそうです。
サブタイトルは、「大形装飾土器、銅鐸、そして埋蔵金」
開催期間は、10/1~11/24(月・振休)
とても、興味津々・・・。
国宝26点、重要文化財30点を含むおよそ330点を展示、だそうです。
う~ん、そそられます。
はやく考古博物館へ行き、うわさの特別展、見たいなぁ・・・。
そういえば、私事で恐縮ですが、年間パスポート、紛失中・・・、
はやく探さなきゃ!!!
※考古博物館の公式HPは、
http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/kouko-hak/index.html
※※第26回特別展の概要については、
http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/kouko-hak/61474070951.html
※※※特別展の展示の見どころは、
http://www.pref.yamanashi.jp/barrier/html/kouko-hak/28448038941.html
とあるシンポジウムへの誘い・・・ [調査・説明会・講演会・シンポなど]
今日から10月。
天高く馬肥ゆる秋、ですが、私たちの心も肥やしたいところ・・・
そんな関係で、手元に届いているシンポジウム開催のお知らせをご紹介します。
テーマ 勝山城の築城とその歴史性
日 時 2008年10月5日(日)13:40~16:30
会 場 山梨県都留市中央3-8-1
都留市文化会館4F大ホール
内 容
《報告》
勝山城の発掘調査成果(森屋雅幸・市教委担当者)
勝山城および谷村城下の武家屋敷から移築されたと
伝承される門遺構について(伊藤裕久・東京理科大学教授)
《研究発表》
勝山城と築城技術―石垣などが語るもの―(萩原三雄・帝京大学山梨文化財研究所所長)
勝山城と浅野氏(平山 優・県教委学術文化財課)
《パネルティスカッション》コーディネーター(数野雅彦・山梨郷土研究会)
いかがでしょうか、ぜひ、ご参加されてみてください。
[補記:失われていた画像の再構成しました 2023.9.5]