霧の朝に・・・ [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
今日は、甲府盆地に霧が出ました。
12月10日に次いで、この冬、2回目です。
でも、今日の霧は、朝のラジオ放送を聞いて分かったのですが、
かなり全国的に広い範囲で見られたようです。
朝の通勤時、車の運転もゆっくりゆっくりで、
ついハンドルを持つ片手を話し、デジカメのシャッターを切ってしましました。
ちょうど御坂線という送電線をくぐろうとするところで、
晴れていれば、前方の右手に66号鉄塔が、
左手には、67号鉄塔が見えるところですが・・・。
ぎりぎりまで近づいて、おぼろげながら、霧の中に浮かび出た
御坂線67号鉄塔です。
そしてこちらが、御坂線66号鉄塔。
それに、2導体2回線の御坂線がぼんやり写っています。
明るくなっている部分には、太陽が上がっているはずです。
甲府盆地の霧は、師走の風物詩でもあり、霧の中でもがんばっている
主要送電線のようすを記録してみました。
フクロウの形した・・・ [田や畑でスケッチ]
フクロウの形をしてるものですが、
いったい何でしょう???
まあるく大きなお目々は、鏡になっています。
そこがポイントのよう・・・。
畑の隅のカキの木の枝に下げられていました。
悪さをする野鳥を寄せ付けないための、鳥除けだと思われます。
市川三郷町の山保地区で見た光景で、
先ほどの鳥除けも、こうした光景の延長にありました。
農家の二階には、オレンジ色に輝く吊し柿、その下には大根が干され、
白壁のお蔵の屋根には、昔ながらのテレビアンテナが建ち、
お蔵の手前には、竹竿に作業着が干され、
屋敷の隅には、ナンテンが赤い実を輝かせ・・・
年の瀬を迎えてはいるものの、どことなく時間がゆったりと流れている
とてもすてきな光景として感じられました。
富士には墓塔がよく似あふ・・・ [忠魂碑の類]
きれいな富士山に、墓塔が似合うなんて・・・、
そんなおかしな話は、ない・・・ですよね。
でも、現実に、背の高い墓塔がいくつも並んでいる光景があり、
それがぐっと、心に焼き付いたことがあります。
先月の終わり(11/30)のことでありました。
今日、12月8日は、「開戦記念日」
多くの命を散らした太平洋戦争が、1941年のこの日に始まったのです。
その結果として、いま、こうした光景がある・・・。
この墓地の、背が高い墓塔は、太平洋戦争において、命を失った
忍野村内野地区出身の方々のお墓なのです。
墓域の一角、この写真の右手に、
「墓碑銘」と題額が付けられた記念碑が建てられています。
碑文は、掘りが浅めなので、碑の文字を読み起こし、次に示します。
この碑文から、内野地区から61名の戦没者を出したことが知られます。
建碑されたのは、昭和26年(1951)3月のこと、
この時点で、7名の方については、遺族の手により墓碑が建てられていたけれども、
残る54名の方については、「殆んど荒涼に任せ」た状態であったそうで、
そのままでは、無駄に歴史の流れに埋没してしまうとおそれ、
先にあげた写真のような、たくさんの方々の墓碑が建立された・・・
ということであります。
今や富士山は、世界的な人類共有の遺産として、ユネスコに
お願いしようとしているのですが、
こうしたワールドワイドなステージに富士山が上がっていくことの
すぐ隣り合わせに、幾多の平和の礎となった方々が静かに眠られていることも
忘れてならないように思われました。
これまで、いくつか忠魂碑を並べてきましたが、
その多くは、日露戦争後のわが国の軍事一辺倒の勢力が、
国民の意識を「忠」ということに向けさせるべく、
帝国在郷軍人会という全国組織の、分会というかたちの下部組織を
各町村に置き、そこで在郷軍人会長を務めた陸軍大将経験者たちが
「忠魂碑」と大書したものを配布し、碑を建て、それをあがめさせることによって、
着々とあの戦争へ導いていったことが分かります。
その結果として、富士山を背景に、林立する墓碑群が成立することに・・・。
とかく目を向けることをいとい、そうこうしているうちに忘れ去ってしまう・・・。
エート・マンは、えーと、えーと、と、とぎれとぎれになりがちですが、
そんなことを意識することを続けていきたいと考えている次第です。
希典さん・・・ですか [忠魂碑の類]
少し変わった形ですが、これも忠魂碑です。
笛吹市一宮町の広厳院さんの境内にあるものです。
スリムな柱状の石に、「忠魂碑」と大書され、
その下に、「希典書」とあります。
乃木希典さんの書になるものではないかと思われます。
こんな感じでお寺の境内の小高い場所に祀られていました。
なお、今回の写真は、2007年8月26日の訪れたときのもので、
その翌日(8月27日)の「広厳院点描」の中でもふれられています。
特に後の写真は、その記事に用いたものの再掲です。
(付記:2021年9月2日)
当初ブログに使用した写真(280ピクセル幅)が失われ、再度upしようとしたので
すが、当該データが見当たらなかったので、オリジナル画像から調整し直しました。
一戸さんの・・・(県外編) [忠魂碑の類]
いささか時間が経過してしまいましたが、先月の24~25日、
ある企画で、丹波国から山城国にかけて、旅をしました。
その行程に京都古知谷の阿弥陀寺さんがありました。
阿弥陀寺さんへのお参り道は、たいへん急さかでしたが、
木食上人さんよろしく、せっせと長い参道を歩いてお参りしました。
さて、今回のテーマは、そこで見た忠魂碑です。
忠魂碑は、山梨県内に限ることなく、全国的な存在であります、いうまでもなく。
存在意義も建立年代もおよそ同じです。
ここの忠魂碑は、「陸軍大将一」の下が欠けています。
同行の方々は、あまりご存知ないご様子で、「なんだろうね」的に
通り過ぎて行かれましたが、エート・マンはそれだけでもうピンと来ちゃいます。
一戸兵衛さんの書になる忠魂碑なのでありました。
で、例によって、背面に回り込んで観察もました。
「昭和二年八月建之」とだけありました。
1927年の建立で、ざっと80年が経過しています。
どうでもいいことですが、後から碑の欠損部分を観察すると、
考古学の人が石器の作り方を見るみたいに見て、
何か打ち欠いたように見えなくもありません。
何か不都合があって、「一戸兵衛」の部分を欠き取ろうとしたのでしょうか。
見ただけで答えが分かるものではなし、ナゾです・・・。
笹川さんの・・・ [忠魂碑の類]
前回にご紹介した招魂社の、拝殿の東隣に、
この忠魂碑が祀られていました。
「忠魂碑がありました」ではなく、「忠魂碑が祀られていました」としたのは、
碑の上部に、鉢巻きみたいに、しめ縄がかけられていたからです。
で、この碑文の文字の書き手ですが、碑面の左手に「笹川良一謹書」とあることから
あの、笹川良一さんであることが知られます。
よくある忠魂碑では、名前の上に「陸軍大臣」とかの肩書きがつくのですが、
笹川さんの場合は、そんなものつかないのです。
碑の背面には、「昭和四四年九月二三日 / 大森正男建之」とありました。
1969年の建碑で、碑を建てられた方は、前回の記事の「由来記」に
出てこられる方のようであります。
こうした、忠魂碑のあり方もあるのだな・・・
そんな想いがいたしました。
しょうこんしゃ [神社まいり]
先月末に訪ねた「招魂社」という神社さんです。
忍野村忍草にあるもので、“招魂”という神社の名前が
その性格を表しています。
そう、“招魂”からおよそは察しがついたのですが、
その神社の境内に、上の写真の石碑がありまして、
そこに詳細に、この神社の由緒が記されていました。
さて、このほど、その由来碑の全文を読んでみました。
もちろんいつものように撮ってきた写真を大きく表示して文字を読み、
ワープロソフトで、データ化したものです。
でも、これでは小さすぎて読めませんね。
では、ワープロソフトをちょちょっといじって・・・
さあ、これで何とか、この神社さんの歴史がおわかりいただけるものと
思いますがいかがでしょうか。
今に見る招魂社の境内です。
赤い橋を進んで、右手に、木々に見え隠れする、鳥居とその先の拝殿にたどれます。
赤い橋をはいったすぐの左手に、先ほどの由来碑がおかれています。
こうしてみる光景は、まさに由来碑がいう「荘厳で完備された村民憩いの場」
ということです。
この記事のカテゴリ、「神社まいり」としましたが、
本来的には「地域の小さな歴史」の方がよいかもしれません。
鈴木さんの・・・ [忠魂碑の類]
昨日、鈴木荘六さんの書になる忠魂碑を見ました。
いまは、甲府市役所中道支庁舎の敷地内に置かれています。
「忠魂碑」と大書され、左側に「陸軍大将鈴木荘六書」と記されています。
裏面には、「昭和九年四月十六日建設」「帝国在郷軍人会右左口村分会」
とありました。
先ほど、「いまは、・・・」としましたが、元々は、
南小学校の敷地内に建っていたものです。
同小は、わが母校で、洟垂れ小僧の頃、この碑のまわりで
鬼ごっこや隠れんぼなどして、よく遊んだものです。
それが、どういう意味を持つものかも知らずして・・・。
移転の経過はよく知りません。
ずっとどこいったのか、気になっていたのですが、
ふとしたことから、再開を果たしました。
12月8日が近づいてくると、こんな碑を
すこし注目してみようかと、新たに記事カテゴリを追加して見ました。
かさじぞう [いのり・信仰]
先日(11/30)、とあるミッションの遂行のため、
訪問させていただいたお寺さんの境内で見ました。
とてもかわいい六地蔵さんです。
2等身がかわいさを醸し出しているようです。
それと、まあるく丸めた頭の上に笠がのせられて、
笠地蔵さんになっているところも、お話の世界からやってきたよう・・・。
あちこちで見るお地蔵さんなどの石仏の、頭部がかき取られたものを
しばしば目にし、そのたび心が痛むのですが、
ここでは、とても心が温まりました。
(2008.11.30 忍野村忍草・東円寺境内にて)
12月になりました・・・ [おおっ!]
今日から師走。
何かと気ぜわしい・・・。
1年の締めくくりを・・・。
ああ、時間がない・・・。
年をとっていく・・・。
昨日、忍野村内野で、トウモロコシが軒先につるしてあるのを見ました。
お日さまの光を浴びて、かちかちになっていきます。
それを石臼などで粉に碾いて、お焼きなどにするのでしょう。
懐かしい光景です。
師走のはじめに、こんな美しい実りが、1年の締めくくりに出来たら、
そんな想いがしました。