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長坂郷土資料館へ行ってきましたぁ [博物館・展示会]

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 早いもので、今日は1月最後の日となりました。
土曜日でoffの日だったので、北杜市長坂町にある長坂郷土資料館に行ってきました。
(長坂郷土資料館の公式HPは、http://www.nagasaka-kyodo.jp/index.html
建物は、まだ新しく、常設展示も、また開催中の企画展「ダムに沈んだムラのこと」も
とても興味深く、久々に良い時間を持つことができました。
 それから・・・

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 今日は、偶然にも、「縄文王国in長坂」というイベントが開催されていました。
こうしたことには、多少の関心がありますし、ねらいは子供向けのようではありましたが、
楽しそうな雰囲気につられて、会場をのぞいてみることにしました。
1つめのコーナーは、ジグソーパズル。
縄文土器や土偶のイラストが、畳1畳分はあるかという大きさのジグソーパズルを
お友達同士、相談しながら組み上げるものでした。

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 それから縄文人になりきって、弓矢で動物をたおして見るコーナー。
初めて弓矢をもつ子もいたようですが、みるみる上達し、
いろいろな動物を狩っていました。

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 こちらは、黒曜石で矢じりなどの石器を作ってみようコーナー。
縄文人の苦労や手先の器用さに、あらためて気づかされる・・・
参加された方は、そんな感じで取り組んでおられました。

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 また実行委員会の方で用意された黒曜石製石器で、
お肉や野菜を切ってみようコーナーもありました。
子どもたちも恐るおそる切ってみていましたが、
お母さん方のグループも包丁持つ手に石器をもって、
「すごい、よく切れるね」って、その切れ味を体験されていました。

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 それから、火起こし体験コーナー。
「これで火を起こしてたら、ご飯いつになるかわかんないねぇ」とか
みんな必死でやっていましたが、それでもいくつかのグループで
ちっちゃな炎が出るところまで、到達していました。すごい。

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 難しそうなものばかりでなく、おにいちゃん、おねえちゃんたちが
いろいろ楽しんでいる間に、無心に塗り絵に取り組んでいる3歳さんも
とてもよくがんばっていましたよ。
ちっちゃな子から大人まで楽しめる、よく考えられたイベントであったな、と。
今日は、とても付加価値の高い北杜市長坂郷土資料館でありました。

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 ところで、縄文王国ってなんだろう。
そう思っていろいろチェックしていたら、こんなブログがありました。
どうやら、次は2月8日(日)にも、釈迦堂遺跡博物館を会場に、
同じようなイベントがあるらしい・・・です。
(例によって最後の画像にはリンクが貼ってあります。そこから縄文王国ブログへどうぞ)

見上げてみました富士川大橋 [川と橋の文化誌]

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 先日、富士川大橋の周辺を、とくに河川敷を、さまよいました。
その折、見上げた富士川大橋の一部です。
橋の西詰めから数えて2つ目の橋脚部分です。

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 西詰め側の方向に向いて見上げています。
橋の下の遠景に、鳳凰山が見えています。

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 上と同じ場所から東側を見ました。

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 この橋の下流側、数百メートルでは、現在、中部横断道の富士川渡河橋の下部工、
あるいは国土交通省の防災関連の施設の建設工事とみられる
規模の大きな土木工事が進められています。

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 橋の見上げ写真の撮影ポイントよりずっと上流の、釜無川右岸から見た富士川大橋の全景です。
富士川大橋は、1998年に完成した山梨県内でも有数の長大橋です。
今回は、これまで見慣れていたこの橋について、橋下の河川敷から見上げた
ちょっと珍しい写真をご覧いただきました。

ウメ、2題 [はないちもんめ]

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 今日は、梅の花についての、ささやかな話題を2つ・・・。
まずは、紅梅、八重咲きですか、きれいでしょう。

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 これは、甲斐市竜王の赤坂総合公園で見たものです。
赤坂総合公園というよりは、「ドラゴンパーク」の方が通りがいいかも・・・。
で、そこの紅梅、かなり咲き進んでいて、公園を訪れた人々が、
次々に立ち止まって、眺めたり、中には携帯のカメラで撮影したり・・・。
そこだけ、ちょっと春が進んでいる感じでした。

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 うまい具合に少しひいた写真がなくて、
背の高い、赤白に塗り分けられて送電線鉄塔(甲信幹線429号)の
全体をおさめた写真から、赤く咲いたウメの木のある部分をぬきだしました。
鉄塔の手前の方に、ぼんやりとピンクのかたまりがわかるでしょうか。

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 話は変わりまして、こちらは先日(1/25)に、
「食卓に咲いたウメ一輪」と題した記事でご紹介した、
例のひろってきたウメの枝なんですが、
今はもう、こんなに咲いてきています。

 以上、紅白の、2つのウメをめぐる、ちょっとしたお話でした。

かお、と、かお [川と橋の文化誌]

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 川の上流部にいくと、突然、顔が現れました。
実は、これ、上流部によく見られる堰堤の1つなんですけれども、
ここでは、水の流れる部分が、赤っぽく染まるようでして、
コンクリートの色が、本来のグレーっぽいのではなく、
肌色に見えて、ほんとに顔みたいでしょ。

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 お顔の、じゃなくて、堰堤の右手に、
プレートが埋め込まれていました。
高さ11m、長さ44m、昭和51年3月25日完成の、
都留市の大幡にあります、本社川堰堤でありました。

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 この堰堤、見ようによって、もう一つの顔と見ることができます。

めがそーらーはつでん [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

 本日、山梨県と東京電力(株)より共同のプレスリリースが行われ、
そのタイトルは、
「山梨県米倉山地点におけるメガソーラー発電の設置計画について」
でありました。
 これが、ニュースになって流れたせいか、当ブログでもカウンターが、
いつもよりたくさん回っていて、しかもアクセス解析を見ると
「米倉山」というキーワードで、このブログにお見えになっている方が多いことが判明。
つきましては、当初の予定を急きょ変更して「米倉山」における
「メガソーラー発電」のお話です。
正確な内容をお知りになりたい方は、テプコさんの公式HPの過去のプレスリリースの
ページの中にこのタイトルがありますので、お確かめください。
 テプコHPのURL: https://www.tepco.co.jp/cc/press/09012701-j.html

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 さて、ここに取りいだしたります画像は、JAXAのHPから借用したものに
当方が位置情報を書き込んだものであります。
「米倉山」は、ネイティブ甲州人は「komegurayama」と発音してますので、
現地の言葉でのせてあります。
ということで、「メガソーラー発電」の施設が建設されようとしている場所については
およそお分かりいただけたでしょうか。

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 次に、米倉山のもう少し突っ込んだ状況ですが、
プレスリリースの記事に添付された資料には、別の写真がついていますが、
著作権の問題もありますので、エート・マンが独自に撮影した写真でご説明します。
(写真は、2006年1月15日に笛吹市境川町の金刀比羅山からのもの、
 その時のお話は、https://bnvn05.blog.ss-blog.jp/2006-01-22-1 を参照)

 米倉山は、甲府盆地の南の縁に、ほぼ東西に横たわる曽根丘陵の一角をなすもので、
旧石器時代よりの人跡がおびただしく重なるところ、
言い換えれば古くより土地利用の頻度がたいへん高い場所でありました。
 平成の世になりまして、山梨の未来を託す大型プロジェクトが持ち上がり、
計画前進のため、41.8haの土地が粗造成まで進められたのですが、
そこで、バブルがはじけ、以来、ずっと“塩漬け”状態でありました。

 そうした中で、この程の「メガソーラー発電」の具体化となったわけです。
計画では、県が土地を用意し、テプコさんが出力約1万kWの太陽光発電所を建設、
県も太陽光発電の普及啓発活動などを目的としたPR施設をつくるといいうことだそうです。

 で、なぜいまソーラーか、ということですが、プレスリリース資料には、
次のような説明がありました。

  一般家庭約3,400軒分の年間使用電力量に相当する約1,200万kWhを見込んで
  おります。これによるCO2排出量の削減効果は年間約5,100tとなる見込みで、
  これは、一般家庭約1,000軒分の年間CO2排出量に相当します。


 つまり、ちょこっとECO、なんてもんじゃなくて、すごいエコ!
計画が早く実現することを期待して見守りたいと思います。
 そうそう、発電所であるということは、当然ですが、
送電線も建設されるのですよね。それも楽しみ・・・。


[補記:この記事の画像データ・リンクなど再整備しました 2023.9.4]

笹子駅前の忠魂碑 [忠魂碑の類]

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 この前の記事で触れなかったのですが、実は、笹子駅前の広場には、
大きな忠魂碑が建っていました。

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 「忠魂碑」の文字を書かれたのは、川村景明さんでした。
ここでは、肩書きがとても長いです。
「元帥陸軍大将正二位勲一等功一級子爵」と、とてもえらい方なんだと・・・。

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 こちらは背面の建造者銘の部分です。
「大正十年五月建設 / 帝国在郷軍人会笹子村分会」と記されています。
大正10年は、1921年で、いまはほとんど使われない皇紀では、2581年です。
こうしたえらい方が、地方にまで、文字で出向いて、
ムードを高めていったのですね。
「御国ノ為ニ」思想を・・・。

JR笹子駅周辺点描 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 先日、JR中央本線の笹子駅に立ち寄ることがありました。
ここにも、いろいろと見るべきものが多く、
わずかな時間でしたが、まったりとした時がもてました。

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 笹子駅前に立つと、まず目をひくのは、この背高のっぽの石碑です。
碑の表面には、「笹子隧道紀念碑」と大書されています。
その左わきには「陸軍大将伯爵桂太郎書」とあります。
 この石碑のかたわらに、次のような内容の
説明プレートが設置されていました。

     笹子隧道記念碑建設の由来
   笹子隧道は明治29年(1896年)10月
  に着工し、明治35年(1902年)11月に完
  成した。全長4,656mは、当時東洋一
  の鉄道トンネルとして注目された。
  また、峻岨を貫く大工事は、当時の技法
  からも驚嘆の的であった。就中、山梨県
  の交易の変革を遂げる第一歩としての
  意義は大なるものであった。
   この度、記念碑が舞鶴公園より笹子
  駅前に移転することとなり、昔日を回顧
  しつつこの一文を記す
        平成5年(1993年)6月29日
           大月市長 秋山重友


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 笹子駅のすぐ北側、国道20号の、中央線高架下付近では、
道路の改良工事がおこなわれていました。
具体的には、いたんだ舗装のやり直しです。
重要な幹線道路なので、それはそれでとても意義のあること、
ちょっと片側通行で、わずかな時間待たされましたけど。
 しかし、いったん車を降りて、ここを通行しようとして、
何と今の道路は、車に手厚くて、人にやさしくないか・・・。
ガード下の歩道は、前夜の雨の結果、大きな水たまりが出ていたのです。
もう少し手前に、排水ができる桝があるようでしたが、
歩道の施工がよくないためか、水は、その桝に流れきることなく、
たまっているのです。
しかたなく、改良の進む車道を横目に、水の中をバシャバシャと・・・。

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 ガードをくぐって、数十メートル、甲府方面に歩くと、
こんなバス停がありました。
おや、変電所があるんだ、へー。

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 ありましたよ、変電所。国道20号の南側の道路わきに。
変電所のゲートのところに、「東日本旅客鉄道株式会社/笹子変電所」
という表札がありました。
 JR中央線の電車を走らせるための電力を供給する
JR専用の変電所の1つでありました。

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 ふたたび駅前にもどり、観光案内版を見ました。
周辺には、首都圏の中高年者に人気のハイキングコースがいっぱいです。
お山の上に登って、あたりが開け、富士山がきれいに・・・。
いいところだらけだなぁ・・・。
 日曜の夕方、とある民放TVでやってる大喜利の中で、
しばしば、この大月と秩父の田舎比べみたいな場面が笑いを取っているけど
実際の大月は、すんごい、いいところなんだぁー。
まだ笹子駅の周りしか見てないけど・・・。
 そう、現在地からずっと西の山中には、東山梨変電所の表示も認められます。
うーん、急に西群馬幹線、見たくなってしまいました。

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 そんなこと思っていると、急に貨物列車の近づく大きな音が・・・。
振り返ると、まさにEH-200が引っ張る下りが通過していくところでありました。6号機でした。 

食卓に咲いたウメ一輪 [はないちもんめ]

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 この1月13日に、野山歩きをして、
ウメの花が咲いているのを見てきたのですが(そのときのことは--->こちらで)、
その時、梅畑の隅にうずたかく、ウメの木の剪定した枝が積まれていましたので、
そのうちの一部を折り取って、もらって帰って、花瓶にさし、
食卓において、毎日ながめて暮らしました。
はじめのうちは、こんなの咲くのかな・・・という感じでしたが、
徐々に芽が膨らんできて、日ごとに大きくなっていく生命力に感心していました。
そして、今朝、ご覧のとおり・・・。
一輪だけですが、見事に花を開かせてくれました。
す、すごい、じゃん。

田の神まつり2009 [まつり・行事]

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 今年も見ました、田の神のお祭りのあと・・・
昨年見たのは、2008年1月21日で「田の神まつり」という記事になっています。
この写真の状況は、松の小枝を用いている点で、
昨年のそれと同様です。

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 今年見たものに、もう1つ、別なバリエーションがありました。
それは、松の小枝ではなく、写真ではわかりにくいとおもいますが、
南天の実が供えてあるものです。
 いずれも1月20日に、中央市極楽寺の集落の周りで見たものです。

道祖神祭の名残り [いのり・信仰]

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 中央市極楽寺の集落のはずれで見た道祖神さんです。
1月14日を中心に各地で道祖神祭がおこなわれたばかりで、
あちこちの道祖神さんには、その名残りがとどめられています。

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 ところで、この道祖神さんのところで、道が急にせまくなっていて、
いまは、そうだけど、かつてはどうだったのだろうと
勝手に想像をめぐらせてしまいました。
昔は、ここを頻繁に行き来したことがあったのかな、それとも・・・
でも、いまもきちんとお祭りは続けられています。
祭りや年中行事の裏側に、忘れかけている地域の歴史やそこにあった祈りの形が
おぼろげですが、見て取れそうな気がします。

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 その極楽寺の集落の別な道筋に、こうした場がありました。
別段、道祖神場のようには見えませんが・・・。

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 道祖神さんへお供えされたのと同様の、お祭りのあとが見られました。
こうしたことは、地域の方々にきちんとお話を伺ってから
記事にしなければだめなのですが、
エート・マンは、民俗学者でもなんでもないので、
ただ見たままをメモする程度なんであります。

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 ところで、こちらのお花、昨日(2009.1.22)
釈迦堂遺跡博物館の前庭で見たサザンカです。
何故に、急に話が飛ぶかとご心配になるかと思いますが、
これは、「道祖神祭」が共通項となります。
 現在、釈迦堂遺跡博物館では、2月15日(日)までですが、
甲州市と笛吹市の両市内で見られた道祖神祭のようすを
記録したパネル展が開かれています。
昨日拝見しましたが、とても勉強になりました。