全線開通記念ウォーキング大会 [what's new]
何が what's new なのでしょうか。
その1)今日アップされた・・・
県庁のホームページに、今日この記事がアップされました。
その内容は、3月8日(日)にウォーキング大会が行われるという情報です。
参加したいけど、その日は、仕事だな・・・。
その2)新山梨環状道路南部区間の全線供用開始・・・
ずっと工事が続けられてきた自動車専用道路です。
この新しい道路が、3月14日午後4時から利用可能になるそうです。
その3)県庁ホームページは新しくなって・・・
2月はまもなく終わろうとしていますので、そんなに新しい話題ではないですが、
このブログでは、確か、そのことにふれてこなかったような・・・。
だらか、とにかく新しい山梨県のHPから拾った話題でありました。
そうそう、この県のリニューアルHPの運用は、1月31日からでありました。
《追記》
ウォーキング大会については、上のHPの縮小画像にリンクしてある
県の当該ページにいくと、詳細な案内がPDFファイルにより提供されています。
関心のある方は、ぜひどうぞ・・・。
(いけないエート・マンの分まで楽しんできてください)
ちょっと不思議な若宮さん [神社まいり]
中央市乙黒にある若宮八幡神社をたずねました。
やや大振りの鳥居があり、また大きなケヤキの木が数本立っています。
昭和の終わりごろに建てられてコンクリート製の鳥居には、
「若宮八幡神社」の神号の額が掲げられています。
この若宮さん、何が不思議かというと、鳥居の向こうに拝殿がなく、
いきなり本殿が見えています。
もともとあった拝殿が片付けられたというような状況も見られないのです。
もう一つ不思議なのは、鳥居の前に参道らしいものがはっきりしていないのです。
鳥居の前に畑のあぜ道のような細いのが、右手の方にあるにはあるのですが・・・。
下河東の道祖神さん [いのり・信仰]
中央市下河東の道祖神さんです。
田園地帯の中の辻になっているところにお祀りされていました。
道祖神さんは、まん丸の丸石です。
道祖神さんの脇には、大きな木が植えられていました。
先ほどのは北側からですが、こちらは東側から・・・。
そしてクローズアップ。
小正月の道祖神祭りの時の飾りが、まだ残っていました。
電車は電気で動くのですが・・・ [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
この前の土曜日、甲府市酒折3丁目にあるJRの酒折変電所を訪ねました。
中央線酒折駅の少し東北側の線路の脇にあります。
右手に見えている変電所と、幅員の狭い市道を挟んで、
すぐ左手は、線路であります。
この写真は、とても縮めてあってわかりにくいのですが、
変電所から線路の上の電線に向かって、電力が供給されているケーブルが見られます。
黄色のカバーがされている電力供給ケーブルの、変電所からの出口部分です。
1回線ごとにプレートが付いていて、この2つは山梨市方面への電力供給ケーブルのようです。
それから、塩崎方面への2回線があって、さらに、これはよく考えるとビックリですが、
一番左は「市川大門方面 / 身延11H」と書かれています。
おそらく身延線への電力供給なのだろうと理解されますが、
この場所を身延線は通過していないのですよね。
ここから西に1km弱のところまでは、中央線と身延線が平行していますが、
酒折変電所付近では、身延線は、ずっと離れてしまっていて、
したがってどんな経路で身延線まで電力がいっているのか、
あらたな課題(?)となりました。
KPS2002と08-32U [鉄道・電気機関車]
前回に引き続き、JR中央線酒折駅の辺りで拾った話題です。
写真は、北側のお寺さんの近くから、駅の方向を見ていますが、
逆光の中で不明瞭ながら、2つの特殊車両が写っています。
東側(向かって左側)から見ていきましょう。
その全体像は、こんなんでした。
これでも、あまりよくわかりませんね。
状況的に近づけなかったので・・・。
酒折駅北口広場の整備工事が行われていて・・・。
車体に「KPS2002」と書かれています。
これは以前にも紹介したマルチプル・タイタンパー(MTT)のお仲間のようです。
その機種番号のお隣に、このようなマークが・・・。
これについては、後でふれます。
この特殊車両、すなわちKPS2002の向かって右端の状況です。
保線にかかわる仕事を進める装置が、ごちゃごちゃ付いています。
お次は、西側の方の特殊車両です。
こちらも、このままでは、よくわかりませんので、
この後、細切れに観察していきます。
こちらの車両の左端の方を見てますが、「TOTETSU」の文字が
はっきり読めますが、これって何なんでしょうか。
ネットで検索してみたところ、「東鉄工業株式会社」のことなんだとわかりました。
それで、ついでにその会社の概要を知りたくて、そこのHPにいったところ、
「鉄道専門技術の特性を活かした総合建設業です」との説明がありました。
いくつかの業務展開の筆頭に「線路事業」があり、各地の鉄道の線路の修繕や
レール交換などを請け負っているとのことでした。
同社では、MTT(マルチプル・タイタンパー)だけでも
16台(2008/3月現在)も保有しているそうです。
このTOTETSUさんのMTTも、あのPlasser&Theurer社の製品でした。
1つ前の写真に写っていた「08-32U」という番号は、
Plasser&Theurer社製のMTTの1機種としての型番なのでした。
そしてまたこのマーク・・・。
実は、このロゴマークは、TOTETSUさんのロゴマークでありました。
でも、よく見ると、マークの下に、薄く消し残っているJRのロゴが見えますね。
ということは、元々は、JRの保有するMTTだったようです。
いろいろ調べてみると、JR東日本も、以前は自社で線路の補修を行っていたそうですが、
いまではそうした仕事はアウトソーシング・・・だそうで、
そこにTOTETSUのような会社が活躍する場が生まれ、
そのTOTETSUのMTTが働いているのですが、
そうした流れの中で、JRのMTTの払い下げがあったのだと思われます。
はじめに見たKSP2002にも、同じロゴマークがあり、やはりその下に薄く
JRのロゴが確認できましたが、そのKPS2002のごちゃごちゃした部分に
小さいながらも、そのまんまのJRロゴが見られたのは、少しおかしかったです。
最後に、お断りですが、あくまでもてっちゃんではありません。
そうした機材を観察することを通じて、世の中のいろいろなことがわかるなあ・・・
という、個人的な覚え書きなでのあります。
それから、この記事では、マルチプル・タイタンパーについての説明を省略していますが、
そのところについては、次の2つの過去記事がありますので、ご参照の上
よろしくご理解ください。
1)「マルタイ・・・」2007年12月1日
2)「マルタイ・・・追加情報」2007年12月14日
鉄男ではない・・・ [鉄道・電気機関車]
昨日の午後のこと、JR中央線酒折駅の近くで、
偶然にもブルーサンダーを撮影する機会にめぐまれました。
EH-200の9号機でした。
撮影しながら、心の中で(鉄男ではない、鉄ちゃんではないんだよ)と、
周囲の目を気にしながら、いっぱいシャッターを切っている
エート・マンでありました。
ある万年橋の暫定供用始まる [川と橋の文化誌]
中央市乙黒に、このほど完成した万年橋です。
まだ関連工事が残っていて、暫定供用らしく、
本格的な供用は、新山梨環状道路南部区間の供用開始と連動し、
3月中旬のようであります。
この写真は、笛吹川に架かる豊積橋の北詰から見たものです。
こちらは、鎌田川を渡る、この万年橋を北詰から見たものです。
新しい万年橋と豊積橋は、一直線となり、流れがよくなっています。
それから、まだ橋の欄干には、プレート類がついていません。
万年橋の北詰の交差点ですが、以前とは少し状況が変わり、
なれない方はまごつくかもしれません。
真新しい信号機には、交差点名の表示もまだありません。
本格供用の際には、「万年橋北詰」とかいう交差点名表示が
付くのではないかと思われます。
希典さんの忠魂碑の追加情報 [忠魂碑の類]
笛吹市一宮町金沢の古刹、広厳院さんを先日、おたずねしました。
何度目かわかりませんが・・・、何度おじゃましても
いいお寺さんだなぁと思います。
こちらは、境内にある、「希典」と署名がある忠魂碑です。
これについては、2008年12月7日に、すでに紹介していますので、
その過去記事もご参照ください----->こちらから。
今回の追加情報というのは、碑の背後の銘文が確認できたこと。
以前に見たのは、夏で、草があって背後までまわる気になれなかったのでした。
で、背後の文面を見ると、碑の建立年が「明治三十八年」だということ、
それから建立主体が「御代咲村軍人家族保護會」となっていること、
以上の2点が追加情報の要点です。
多くの忠魂碑は、大正から昭和初年にかけて、“在郷軍人會”という全国組織の
地方ごとにおかれた下部組織によって設置されているのですが、
これは、それらに先立つ、初現的な忠魂碑であると考えられます。
なお、文字の書き手が、野木希典だというのも、それとよく合っています。
火の見ちゃん32 [火の見櫓]
笛吹市一宮町金沢地区で見た火の見櫓です。
前回の同市一宮町市之蔵地区の火の見櫓を見た後、
連続で見たものです。
もう少し寄ってみました。
ここは、とても景色がよいところで、火の見櫓の右手には、
雪をかぶった南アルプスの主峰、白根三山が望めています。
ここでも、火の見櫓には、年代がわかる手がかりは
付いていないようでした。
しかし、たまたま近くの家の方にお話を伺うことができ、
「私が昭和39年にここに来たときにはあったので、
その前だろうね」
ということでありました。
とても貴重な証言でありました(感謝です)。
金沢(ここは、「かんざわ」と)の火の見櫓、角度を変え、
北の方から見ました(当然、逆光です)。
見ている場所の背後には、少しばかり距離をおいて、
この地域では有数の古刹、広厳院さんがあります。
火の見ちゃん31 [火の見櫓]
県道31号・白井甲州線と県道303号・市之蔵山梨線の交差点の近くに、
立派な火の見櫓があります。
高さも高いのですが、全体的にどっしりしていて、とても風格があります。
その風格は、望楼の平面形が八角形という、
あまり例のないものになっているところにあるのかな、
と思われます。
ただし、屋根は、四角形です。
中段と上段の2つの望楼がともに八角形をしています。
それから、望楼に昇る梯子が、櫓の外から(この写真で左側から)
取り付いているのも、どっしり見えるのに結びついていると思われます。
そんな立派な火の見ちゃんを、大変失礼ながら、
下からのぞかせていただきました。
正八角形の望楼平面がよくわかりますね。
この火の見櫓の隣に、消防機材庫があり、そこには「一宮町消防団市之蔵部」
という表示がありました。
現在は、笛吹市消防団の傘下の市之蔵地区の団員が管理されていると見られます。
この火の見櫓には、建設年代を知る手がかりは、確かめられませんでした。
消防機材庫の方には、昭和50年12月の年号があるプレートが見られました。
火の見櫓の方は、どうなのでしょうか。
地元の方におたずねすると、わかるのでしょうね、きっと・・・。