ほうじょうじ [寺院めぐり]
先日訪ねた、笛吹市八代町北にある法城寺さんです。
このお寺についての予備知識を全く持たずにおじゃましたので、
何宗なのか、気になりましたが、
屋根の棟の飾りを見て、わかりました。
日蓮宗の寺院によく用いられる紋章が確認できました。
お寺さんを訪ねると、屋根だけではなくて、
失礼ながら、床下なんかものぞいてみたりします。
近世以降の本堂建築の、基礎部分、けっこう気になりますので・・・。
いまの建築基準法に照らすとビックリするような状況ですが、
これで長い年月もってきた実績があるのですよね。
お寺の裏手には、当然といえば当然の話ですが、墓地がありまして、
またお寺の本堂と肩を並べるような大きなカヤの木が目につきます。
しかし、さらによく見ていただくと、その右手に送電線鉄塔がありまして、
御坂線の53号鉄塔なんです。
この鉄塔は、送電の一部を分けて、鉄塔の下の方におろしていまして、
実は、そこに変電所があったのです。
法城寺さんをたずねたのは、変電所見学のついで、といってはしかられそうですが、
そうなんです。
話を墓地に戻しまして、墓地というところには、往々にして、
とても豊かな歴史情報が詰まっているので、勉強になります。
なので、じっくり色々と眺めたりするのですが、
その姿は、けっこう怪しいものとなります。
そうした中で、今回の成果の1つとして、写真のようなものがありました。
ともに江戸時代の石塔で、やや傾いていて歴史を感じさせます。
手前には「日昇聖人」、向こう側には「日鶴聖人」というお名前が確認できます。
「日」の字がつくお坊さんの名前は、日蓮宗にあることなので、
このお寺の住職もしくはゆかりのお坊さんのお墓なのかもしれませんが、
どちらのお方も、出身が佐渡のようなんです。
佐渡は、日蓮宗の宗祖、日蓮とゆかりがある場所であることはよく知られていますが、
たまたま目にしたお二人のお坊さんが、佐渡出身らしいことは、
ちょっと興味がそそられました。
辻の“こかげさん” [いのり・信仰]
笛吹市八代町に「北」という地区と「南」という地区があり、
その堺を接する辺りの、集落内の交差点、古い言い方で「辻」といえる場所に
小さなお堂がありました。
その謂われなどはまったくわかりませんでした。
で、今回の話題は、そのお堂ではなく、そのお隣にあった・・・
そうです、“こかげさん”です。
「蚕影大神」と書かれた石碑がそれで、養蚕の神様です。
(もっとも1字目は「蚕」という字の異体字となっています)
いまでこそ、この地域の産業の主力は、モモやブドウなどの果樹栽培ですが、
以前は、養蚕が盛んな時期があったんだなあと、
そして、その安定的なカイコ(蚕)の飼育、生糸の増産を
こうした神様に祈った歴史があったんだなあと思いました。
このブログの過去記事から「こかげさん」を検索したところ、
次のようなものがありました。
よろしければ、あわせてご参照ください。
1)「こかげざくら」2008年4月8日
2)「こかげがみ」2008年3月14日
3)「さんえん2」2007年1月15日
4)「こかげさん」2007年1月10日
そうかい・・・30th [調査・説明会・講演会・シンポなど]
今日(2009年2月15日)の午後に、ある会の年次総会と記念講演会があり、
出席して、お勉強してきました。
上の写真は、その総会でのひとこまです。
ある会というのは、山梨県考古学協会といいます。
この会は、1970年代の終わりに、規模の大きな開発が、山梨県下の各地で進む中で、
貴重な考古学的発見が相次ぎ、そうした重要な歴史の証人となるべき遺跡が、
次々に消え去ろうとしていることに対し、
考古学遺跡の保存と活用を訴え、誕生したものなのだそうで、
このほど設立30周年を迎えたとのことです。
総会の後に続けて、記念講演会が開かれました。
講演会に先立ち、講師紹介をかねて挨拶される谷口会長さんです。
そしていよいよ講演会の始まり。
演題は「戦国期金山と黄金の世界」、講師は
帝京大学山梨文化財研究の萩原所長さんでした。
今回のご講演では、戦国期の金の精錬に関する最新の知見や、
全国各地の鉱山遺跡の事例、文献などに基づく細かなデータなどが
織り交ぜられて、とても豊かな世界が紹介されました。
まさに、まばゆいばかりの世界に、
しばし、心豊かな時間を過ごすことができました。
こちらが、総会と記念講演会がもたれたYGUの学舎です。
こちらも、講演会が終わった頃の西に傾いた早春に日を受けて、
まばゆく輝いていましたよ。
はちまんだいじんしゃ(前記事の続き) [神社まいり]
前の記事の続きです。
山梨市下神内川の八幡大神社、境内南側の正面を、
西寄りから見ています。
真ん前に進み、改めて境内正面を拝しました。
「八幡大神社」の石の標柱が立派です。
そのやや奥、木製の両部鳥居、風格があります。
そして、鳥居の向こう、左手の奥に、例の土俵が見えます。
この記事の最初の写真の右端に写っている
神社の由緒が書かれた説明版です。
とくに前半の部分が重要なので拡大してみます。
鎮座地、御祭神、由緒、祭典日、境内社・・・と項目が続く中で、
「由緒」の部分の末尾の2行に注目してみましょう。
曰く、
江戸時代末頃、下神内川の相撲取、小雀の故事に 因んで現在でも奉納相撲が行われている
ということでありました。
あの、砂山じゃないかとビックリした(ドヒョっと)
境内の土俵は、そうした由緒に基づくものだったのですね。
この八幡さんの境内を観察して気付いた話題をもう一つ。
木陰になっているため、写真ではわかりにくいですが、
土俵の近くに、門のような建物があったことを物語る礎石が並んでいました。
神社の門だとしたら、通常、神門といわれるものですが、
礎石だけになってしまったのは、いつのことか、ちょっと寂しく思われました。
そういえば拝殿の西側の壁面に、建築部材が積み上げられていたのですが、
それは、ひょっとすると、神門の建築材だったのかしら・・・。
まだまだ興味の尽きない下神内川の八幡大神社のお話は、これにて・・・。
じゃまだなぁ・・・いやいや [神社まいり]
今日の切り口は、創作ではありません。真実です。
少し前のことですが、日本カーボン線という送電線を見たことはお話ししたかと・・・。
送電線から少し先に目をやると、神社がありましたので、
やはり、お参りしていかねば・・・。
で、正しく参道からお参りすればいいのに、横っちょからアプローチ。
そこで、この写真見てください。
なんだ、なんだぁー、こんなところに砂盛り上げちゃって、
せっかくの神社が台無しじゃないか・・・。
正面に回っても、やはり砂山がおじゃまです。
神社の雰囲気壊れてしまうじゃないか・・・。
まあ、せっかくだから砂山に登って、神社の写真、少し高いところから・・・、
きっとかっこよく写るよなぁー。
あれれれ・・・、ちょっとビックリ、砂山じゃなかった。
それは、なんと、お相撲よいしょ、の、土俵なんでありました。
ドヒョッ。
火の見ちゃん30 [火の見櫓]
先日、十日市の祭典に出かけたときのこと、
国道52号(甲西道路)の十日市場交差点に架かる歩道橋を渡りながら、
火の見櫓を見つけました。
火の見櫓のある場所は、およそ古くからある集落の中心部・・・。
最上部の望楼と、中段の望楼とそれぞれに半鐘が下げられています。
この火の見櫓のあった場所、実は、あの安養寺のお隣だったのでした。
写真の右端、少し赤っぽく見えるところ、それが安養寺さんのお堂の前なんです。
それで、例によって火の見櫓の建設年代がわかるかと
手がかりを探しましたが、ここではダメでした。
見上げると、あらためて、とても高い火の見櫓だとわかりました。
途中の望楼が四角い平面形で、最上部の望楼も四角、その上の屋根も四角です。
それで、火の見櫓を見ると、そこで地域の安全を守っている
消防団の皆さんのことが気になります。
火の見櫓の近くに、消防車庫がありまして、
閉じられているシャッターの上の方に古い組織名が、
「若草町消防団三恵分団第三部」とあり、右手には、新しい表札がかけられていて、
「南アルプス市消防団若草分団第四部」とありました。
火の見櫓そのものには、確認できなかった、地元の消防の歴史がたどれました。
それから、シャッターには、何か、きれいなおねーさんがいるポスターが貼られてますが、
風でまくれあがってしまっていますね。
風の呼吸が止まったときに見てみると、消防団員募集のポスターと、
「火のしまつ 君がしなくて 誰がする」という防火標語入りの啓発ポスターでした。
前者は総務省消防庁の、後者は南アルプス市消防本部のポスターでした。
今回の火の見ちゃんは、シリーズ第30号記念となり、
周辺情報などに、少し力が入ってしまいました・・・。
紅白の梅の花が見頃に・・・ [公園・史跡]
県立考古博物館の西側に接続する、県内でも有数の規模の古墳が点在する公園、
そこには、歴史もあるのですが、花もありまして・・・、
今の時期、梅の花が楽しめます。
ここでは、紅梅が先行していて、白梅も徐々に咲き始めています。
今月いっぱいは楽しめるでしょうか。
今日は、雲が少し広がり、時々曇りはしたものの、
穏やかな休日となりました。
梅の花とその心地よい香りを堪能される方や・・・、
梅の花をバックに記念写真を撮られる家族連れなど、
結構たくさんの人が見えていましたよ。
とても、いい公園になったなぁと、感じました。
こちらは、先に咲き進んでいる紅梅です。
そして、後を追いかけるようにして花開いてきた白梅です。
どちらも園芸種で、八重咲きのよう、美しい花が楽しめますが、
梅の実はどうなんだろう・・・。
それから、梅と並んで植えられているサンシユも、
そろそろと、黄色い花を咲かせる準備が進んでいるようで、
またユキヤナギなども芽がふくらんできていて、
今月後半から来月にかけ、次々と花盛りを迎えるようです。
こちらは、ご存知、甲斐銚子塚古墳です。
本県最大の前方後円墳。
「建国記念の日」に、この地域の歴史をしのび、
十分に花の香も堪能した、心地よい日でありました。
地中の彼らも、その歴史と春の訪れを感じているだろうか・・・。
門前、市をなす [まつり・行事]
直前の「あんようじ(安養寺)」の記事の続きですが、
年に一度、お寺さんの前に県道に市が立ちます。
沿道約1キロメートルほどの間に、さまざまな出店が出て、
お参りを兼ねた多くの人出が見られます。
安養寺のお地蔵さんと、門前の位置の歴史について、
境内の説明板は、お地蔵さんが鎌倉時代に祀られ、
市は江戸の初めには確認される、と伝えています。
市には、農家の仕事や暮らしの中で使う木製品が中心で、
古くは、そうした什器を調達するまたとない機会であったようで、
売る人、買う人が値段の交渉など掛け合いが行われ、
ある意味、地域社会、暮らしを支えていたように思われます。
門前の市は、十日市と呼ばれ、
甲府盆地に春の到来を告げるお祭りともいわれています。
市が開かれる一帯は交通規制があり、車の乗り入れができないので、
マイカーで乗り付けた場合は、近くの若草小・中学校の校庭などに設けられた
臨時駐車場を利用することになります。
この場合、駐車場代としてではなく、
祭りへの賛助金として500円が必要となるようです。
祭りは、今日、2月11日の夕方近くまで続きます。
今日は、「建国記念の日」
身近な地域の伝統や文化に、じっくり触れてみるのも
いいではないでしょうか。
(って、この文句は、毎年この日の決まり文句です(〃^∇^)o彡 )
あんようじ [寺院めぐり]
南アルプス市十日市場にある、真言宗の寺院、安養寺さんを訪ねました。
たくさんの老若男女がお参りにみえていました。
いつもこのようににぎわっているわけではありません。
2月の10日と11日の両日、門前に大きな市が立ち、
近郷近在からたくさんの人々が集まるのです。
今日の“ぱとへり”事故 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
今日のニュースで、ちょいと気になりました群馬県下で起きたヘリの不時着事故ですが、
要点を確認すると次のようなこと・・・。
・事故は、午前9時53分頃、群馬県みなかみ町付近で起きた
・送電線を空から巡視するヘリコプターの不時着で、乗員2名が大けが
・ヘリの接触により、送電線が切れ、沼田市周辺で1万世帯あまりが停電
・停電は、午後2時12分頃までに復旧
・問題の送電線は、15万4千ボルトの幹線の「水上線」
以上は、TEPCOさんの公式HPからリンクされている
群馬支店さんのHPの発表内容をまとめたものあります。
上に示したのは、そのHPで公表された資料を示していますが、
そこには事故機や切れた送電線などの現場写真がついていました。
まあ、一大事ではありましたが、とても大事にはならずにホッとでした。
実は、当ブログでは、過去に(2006.5.17)、こうした送電線をパトロールする
ヘリコプターのお仕事ぶりを紹介しています。
今回のヘリコプターは、このようなお仕事をしている間に、
送電線に接触、送電線を切断、という事故を起こしてしまったようです。
私たちの家や職場、その他あらゆるところに、毎日、電気は欠かせないのですが、
その電気は、そうした送電線によって送られてきます。
これを維持するのは、大変なことで、常に監視がなされています。
地上から点検をされているスタッフもおられますが、
山間地もあったりするので、定期的にヘリでパトロールが行われているのです。
これからもそうしたお仕事は続いていくのでしょうが、くれぐれもご安全に!!!