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主観的な見解による・・・ [地域の小さな歴史]

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 画面右奥に見えるお山は、茅ヶ岳です。
で、この写真は、茅ヶ岳の南麓地帯をとおっている、ごく普通の道路の交差点。
こうした道路が交わるところに、しばしば、道標(みちしるべ)が見られます。

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 「右・山道 / 左・逸見道」
自然石に彫りこまれた文字は、道行く人に、その先にある場所を教えています。

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 こちらは石でできた角柱に、道案内を刻みつけた、道標です。
やはり茅ヶ岳南麓地域で見たものです。

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 こちらは、左側面にも行く先の情報がありまして、
背面に当たる部分には、この道標を建てた組織の名称が刻まれています。
すなわち「登美村青年團大垈支・・・」と。
下の方は埋もれていてすべてはわかりませんが、
ともかく少し前の時代に活動していた「青年団」という団体が
この道標の設置者だったのです。

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 さらに右側の側面も見ました。
そこには、「大正十二年八月・・・」と読み取れました。
大正12年というと、1923年で、その年の9月1日には「関東大震災」が起きています。
微妙な時期を背景にした道標でありました。

 さて、主観的・・・とした記事タイトルですが、何が主観的だったのでしょうか。
それは、茅ヶ岳南麓地域には、道標が多い! という、短絡的な見解です。
2つ見たばかりで、そこまでいうか・・・と思われるかもしれません。
でも、たまたまですが、『知ってるけ~』というブログがありまして、
韮崎市のいろいろな見どころを楽しく、また興味深く発信しているものなのですが、
その本日付の記事が「道しるべの石標と木」というタイトルで、
同じ茅ヶ岳南麓地域の三之蔵という場所に見られるものを紹介していますし、
エート・マンの見てきた同様なものが、このブログの過去記事の中にあります、たぶん。
そんなわけで、あくまでも主観的に、いってしまいました。
 でも、どうして、道標が多いのでしょうか。
a)道、あるは交差点がたくさんあるから?
b)迷いやすい交差点ばかりだから?
c)行き先不案内な人がたくさん通る地域だから?
d)この地域のトレンドだったから?
 考え出すときりがなく、だからといって正解も見えるわけではありませんね。
下手な考え休むに似たり・・・ということで、今日はおしまい、おやすみなさい。