江戸博にいってきましたぁ・・・ [博物館・展示会]
今日は月曜日ですが、海軍記念日、ぅん?
じゃなかった「海の日」のナショナルホリデーでありましたので、
東京両国にある江戸東京博物館にいってきました。
お目当ては、こちら、「発掘された日本列島2009展」でありました。
お茶シンポ応援記事・城跡では自然も豊かです [はないちもんめ]
古い、由緒ある歴史を伝える勝山城跡ですが、
そこでの魅力は、歴史ばかりではありません。
豊かな自然に目を向けると、これがまたわくわくです。
今回は、最近の自然のようすの、その一部をご紹介です。
1つめは、白くて小さな花を咲かせていたラン科の植物です。
正しいお名前は、目下、調査中です。
1つ前の記事でふれたスギの林の、下草として見られました。
そう、お茶蔵では、という建物跡が発見された場所の周辺での撮影です。
こちらも、ラン科の植物で、ヒメヤブランです。
淡い紫色の小さな花をつけています。
今が盛りの用に見受けられるこのヒメヤブラン、
うまくマクロ撮影が出来たので、大きな花のように見えますが、
実際は、とても小さな花で、気をつけないと見逃してしまいそうです。
「川棚見張り台」と呼ばれる郭に、いくつか分布していました。
これは、オカトラノオの花穂をマクロ撮影したのですが、
PCに取り込んでからよく見たら、ヤマアリが写っていました。
この花には、いろいろな昆虫が集まってきます。
実際、同じカットにツバメシジミも写っていたのですよ。
ほら、いたでしょう・・・。
これらは、ほんの一部、まだまだ、いっぱい見どころがありますよ。
このブログの別バージョンがありまして、そちらでもこのところ連載しています。
よろしければ、のぞいてみてください・・・「やまなしの自然余聞」です。
お茶蔵シンポ応援記事・城跡から発電所&変電所見ました・・・ [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
勝山城跡で、このほど行われた学術調査の一環の、発掘調査により、「本丸」から北側に延びる尾根の上の小さな平坦面に、
建物のあった痕跡が見つかっています。
この新たな発見の場所は、スギの木が植林され、大きく育ってきている林地です。
スギの木をいくつかおろぬいて、問題の建物跡は、発見されたのです。
これについては、そのときのお楽しみ・・・です。
今回の話題は、その勝山城跡のスギの植林地の、
樹木越しに見た、都留市下谷の遠景についてであります。
なんと、そこは、ずっと前から地図上でチェックしていて、
いつか尋ねてみたいと思っていたところでした。
勝山城シンポ応援記事・城跡から電車見ました・・・ [鉄道・電気機関車]
「勝山城お茶蔵を生かしたまちづくり・ひとづくり」シンポの会場の
最寄り駅となる、富士急行線「谷村町駅」を
勝山城跡の「川棚見張り台」と呼ばれる場所から見ました。
「谷村町駅」は、ドラマのロケ地になったこともある
かわいらしい駅です。
大月を発って河口湖に向かう電車の、最後尾です。
電車を利用して、当日(7月19日)、シンポジウムにご参加の方は、
大月(中央線接続の)からでしたら、こうした電車に乗っていただくことになりますね。
富士急行線には、こんな電車も走ります。
そうです、「フジサン特急」 かなり、かわいいです。
河口湖行きのこのフジサン特急、谷村町駅には止まりません。
1つ先の都留文科大学前駅で乗降できます。
富士急行線は、基本的に単線なので、上り線ホームに大月行きの電車が待機しています。
「勝山城お茶蔵・・・」シンポ・続々編 [調査・説明会・講演会・シンポなど]
今日も「都留市役所」の公式HPをじっくり拝見しました。
でも、見方が悪いのでしょうね。
なかなか求める情報がうまくとれません。
そんな中、「e-つるマップ」というページを見つけました。
けっこう便利でした。
そこからデータをこっそりいただいて、勝山城跡とお茶蔵?
またシンポの会場となる都留市文化会館の案内マップを作りました。
まあー、毎日ごていねいに、紹介文をのせているなぁー、
そんなふうに思われる方も多いでしょうね。
でも、大切なことは、ていねいに取り上げる・・・、これもエート・マンの流儀です。
そんなこと書き進めていたら、nontanさんからコメントがはいりました。
都留市の広報の14ページ下段に、情報が出ているそうですよ。
実は、この広報もささっと目をとおしたのですが、エート・マンの目は、節穴ですね。
見逃していました。
ご覧くださる意志のあるお方、記事のインデックスを付けましたので、
リンクをたどってご覧くださいますよう・・・。
「勝山城お茶蔵を・・・」シンポ・続編 [調査・説明会・講演会・シンポなど]
前回、ご案内した、市民参加型のシンポジウム、
「勝山城お茶蔵を生かしたまちづくり・ひとづくり」ですが、
まだ情報が不足しているかと・・・。
続編として、手元にある情報を追加してご案内します。
なお、関連のコメントも2つ、いただいていますが、それも参考に。
まず、都留市で毎年10月の最終日曜日に開催されている「お茶壺道中」
このイベントについて、都留市役所の公式HPから関連記事をとりまして、
上に使わせていた出来ました。
このシンポジウムが広げようとしている世界に理解を進めるために、
基本的に押さえておきたいので、上の画像には、関係記事へのリンクが張ってあります。
お茶蔵と勝山城跡、そして都留市の歴史、そしてお茶壺道中というイベント・・・
これらについては、ちょっとそれなりにボリュームがあるので、別記事にすることにして、
シンポですが、このシンポの運営を担当されているganさんよりいただいたコメントによれば、
>国井NHKアナウンサー「我が故郷 都留を想う」の基調講演の他、 文化財調査報告・パネルディスカッションと欲張りな内容です。 ディスカッションには都留市長が飛び入りするかも知れません。
そうですか、NHKの国井さんは、都留市のご出身なんですね。
きっと、“あつーい”お話しになるのでしょうね。 たのしみ・・・。
そして・・・、
>司会は桂高校放送部、記録写真は谷村工業高校写真部と高校生と市民の手作りシンポです。
それから、
>「えーと 何だっけ?」ファンの方、是非お出かけ頂ければとお願い致します。
ということです。
こんな注目すべきシンポなのに、
>都留市のHPには紹介されていないですよね。残念ですねえ。
というコメントをnontanさんからいただいています。
確かに、前回の記事を載せる際、詳細なHP記事があればリンクしようと、
都留市のHPをささっくりけえしたのですが、見つかりませんでした。
なので、『えーと 何だっけ?!』で、連続のご案内となりました。
(大切な情報なので、まだ続々編あるかも・・・)
「勝山城お茶蔵を生かした・・・」シンポ [調査・説明会・講演会・シンポなど]
今日は、故あって、単独で、都留市の勝山城跡に出かけました。
写真は、地元で「お城山」と呼ばれている、その勝山城跡の最高所の
「本丸」といわれる曲輪を南側から見たもので、
正面には、後世に縁起をもつ東照宮が祀られています。
「本丸」から眼下に都留市中心部の市街を見下ろすことが出来ますが、
山頂周辺に植栽されたソメイヨシノが、ずっと枝を伸ばし、視界を小さくしています。
その中で、向かいのお山(画面左寄り)の最高所には、烽火台の跡があります。
前の写真に写る都留市の市街の右端にある建物、
位置を変えて、全景を撮りましたが、これは都留市文化会館の建物です。
さて、この都留市文化会館の大ホールを会場に、
7月19日の日曜日、午後1時より午後4時まで、
『勝山城お茶蔵を生かしたこれからのまちづくり・ひとづくり』という
市民参加型のシンポジウムが開催されます。
ぜひ、ご参加くださいますよう、主催者になりかわり、ご案内・お願いを申し上げます。
「早川橋のモクゲンジ林」 [巨木・記念木・気になる木]
早川橋の北詰交差点の、さらに北側擁壁の前に、
何かの説明板がありました。
山梨県の自然記念物になっている「早川橋のモクゲンジ林」ということで、
山梨で見られるのは、たいへん珍しい・・・、ということでありました。
どおりで、初めて聞いた樹木の名です。
ネットで調べてみると、モクゲンジは、いまごろ、黄色い花を咲かせるとのこと。
実際に、先の擁壁の上を見上げると、黄色の花がたくさん見られました。
これが、「早川橋のモクゲンジ林」の中の1株のモクゲンジです。
はやかわはし [川と橋の文化誌]
歴史的なトラス橋の「早川橋」です。
北詰の交差点付近から見ています。
ここで橋を渡らずに、右手に道を選んで進むと、
前回の記事の遅沢という地区に行き着くことが出来ます。
北詰から、きちっと見ました。
3連の下路単純トラスという形式で、
昭和9(1934)年の9月9日に開通という歴史的な橋ですが、
親柱も重厚感がある石造りとなっています。
なお、この開通のデータは、「歴史的鋼橋収攬」というサイトによりました。
まだH鋼が採用されてなかったり、溶接といった技術が
こうした鋼製アーチ橋の部材作りに用いられなかったりで、
すべてリベット止めになっています。
こうした部分に、とくにはっきり歴史性が感じられます。
いつも橋観察するときは、可能な限り橋の下に潜り込んだりするのですが、
今回は、あまり時間をかけられなかったこともあり、これが限界でした。
またチャンスがあれば、その構造の詳細を観察したいと思います。
《補記:2024.3.26》画像リンクの再設定を行いました。
遅沢の田代幹線 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
身延町遅沢という場所で見た、田代幹線です。
山の上に見えているのは、その48号鉄塔です。
そして・・・、手前は、何とも不思議な光景ですが、
航空自衛隊の旧所属のジェット練習機であったT-33です。
まあ、タイトルにもあるように、今回の記事では、
あくまでも田代幹線がメインであります。
少し位置を変えて、山の上の田代幹線を観察してみました。
一番手前が48号、そして49号、50号と続いているようでした。