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宮木の烽火台 [地域の小さな歴史]

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 身延町下田原の富士川左岸堤防から、南側を見渡すと、
遠くに、ひときわ高い、とんがりお山が見えます。
この画面の中央の、遠くに見えているお山ですが、
身延町宮木という集落の南側にそびえる、標高約400mの山です。
これより東の高山、醍醐山(634.8m)から西に、
富士川に向かってせり出すように伸びる尾根の先端に当たります。
ここは、中世、山城であった場所で、とくに“のろし(烽火まはた狼煙)”の中継を担う
烽火台といわれるものであったと伝えられています。
のろしは、目で見て見える煙に情報をのせて、それをリレーするもので、
目で見るというだけなら、光の伝送ですから、現在普及が進んできた
光通信と同じ、とても早い情報伝達手段です。

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 その昔、ここに登ったことがあります。
山頂は岩山で、それを削って平坦地を造成し、山城の遺構とした形跡がありました。
その場所に、神社が祀られていたようで、国土地理院の2万5千分の1地形図には、
神社のマークがありますが、そのときには、社殿は倒壊し、荒廃していました。

 富士川の流れの周辺地域には、たくさんの、特色あるこの地域の歴史や
文化のようすを伝える文化遺産があります。
これもその1つ。
6月から、エート・マンの関心は、この富士川流域に向かっています。
なんか、「富士川流域王国」協賛事業みたいです。