きよさと・52 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
東京電力の送電線網の1つ、清里線の52号鉄塔です。
実は清里線は、ここでお終いになるのです。
で、どうなるか・・・。
新府城跡説明会に行ってきました・・・ [調査・説明会・講演会・シンポなど]
今日、韮崎市にある国指定史跡「新府城跡」で、史跡整備事業のため
現在行われている発掘調査について、現地で説明会が開かれました。
写真は、県道17号・茅野北杜韮崎線の脇で見た現地の状況ですが、
これは縦横比を無視しながら縮小した画像で、クリックすると別画面により
640×200ピクセルの元画像を見ていただけます。
説明会は、午前と午後、行われました。
実は、お昼のニュースで午前の部が放映され、あわてて午後の部に参加したのであります。
エートマン・アンテナの感度が、この頃一段と悪く、なかなかそうした大切なことが
まえもってつかまえられないので、ご関心の皆さまにご案内は出来ませんでした。
現地事務所の前で、受付をし、その後、市のご担当の方から概要説明がありまして・・・。
その後は、現地に即してのご説明となりました。
ご参加の皆さんは、受付で配布された説明資料を手に、説明を聞き入っておられます。
それで皆さんが取り囲んでいるところは、今回の発見の主眼となる部分で、
知られている絵図資料にも描かれていない堀の跡であります。
堀跡が発見されたのは、新府城跡の本体の北側に、およそ東西方向に見つかっていまして、
黄色の点線で示したのが、堀の外側の発見された「肩」のラインです。
この点線の右側が、すべて掘り上げられてはいませんが、堀の跡です。
今回発見された堀跡は、お城の全体的規模からすると、幅がそう大きくない、
大胆な言い方をすれば、やや貧弱なものと言えそうなんだそうですが、
さらに外側に、湿地帯があって、そちらが城の護りに関係していたと見られるようです。
地下からはいろいろな情報が出てきて、毎回楽しみです。
こうした次々に出てくる発見が、今後行われる史跡の公園化の中で、
どんなふうに実現されるのかも、また次なる楽しみでもあります。ワクワク・・・。
本郷の千年桜 [巨木・記念木・気になる木]
前回の「原間のイトザクラ」から西に少し入ったところに、
もう一つ桜の記念樹がありました。
こちらは山梨県指定文化財・天然記念物の「本郷の千年桜」です。
もうちょっと近づいたところです。
右手の白い標柱が、天然記念物に指定されていることを表示するものです。
また木の手前に白く見える説明板があります。それは・・・。
天然記念物としての指定概要を説明するものでありました。
どのような意味の文化財なのかがわかります。
まず、文化財指定年月日ですが、「昭和36年12月7日」
まもなく指定記念日がきますが、48周年となるようです。約半世紀が経過ですね。
そしてどんな特徴の木なのか。
本樹は、エドヒガンの巨樹で、白い花が咲くので、一 名シロヒガンとも呼ばれている。 植物形態学上興味深いのは、地上約五メートルの位置 で樹幹の空洞中に根をおろしている点である。
シロヒガンはともかく、「樹幹の空洞中に根をおろ」すとは、難解なことです。
確かに幹のようすを見ると、根っこがからみついているようには見えますが。
自然の不思議・・・。なかなかすべて「1+1は」式に説明しきれない。
さてこの千年桜ですが、先ほどの説明板では、文化財としての所有者は、
「本郷寺」とありましたが、実は元々ここは「妙善寺」というお寺の境内だったようです。
それがいつしか廃寺となり、地区集会所として利用されているようです。
お寺としての存在も持続していて、それは少し離れたところある本寺の
本郷寺さんが兼帯されているではないかなと見られます。
この写真の右手にある建物が地域の集会所となるもので、
その手前には、時折このブログで話題に上げている、先の戦争での
戦死者の供養石塔が4基、静かに並んでいました。
原間のイトザクラ、冬姿 [巨木・記念木・気になる木]
山梨県の南部にある南部町、その本郷の原間地区の集会所は、
以前は、日蓮宗の寺院でありました。
その旧境内に生えているイトザクラの大木です。
しだれ桜ではない、イトザクラ、ここではじめて知りました。
最初に出遭ったのは、葉桜の頃でありました。
先日、再訪してみて、すっかり冬の姿に、あらためてある種の感動を覚えました。
太い樹幹に見事な枝張り・・・、葉を落としてはじめて気付かされるものでした。
樹下に、「原間のイトザクラ」と記された白い標柱が見られました。
南部町の指定文化財・天然記念物だということを知らしめています。
樹木の周囲に目をやると、ここが日蓮宗の寺院であったことを示す題目碑が右手見えます。
左側には、いつか取り上げた先の戦争で犠牲となられた兵隊さん達の供養石塔が並びます。
そして文化財の白い標柱の、はるか向こう側に送電線鉄塔が見られます。
日軽金・上富士川線40号鉄塔です。
それから、今回は冬のイトザクラの姿でしたが、やがて春が来るとどんなだろう・・・、
そう思ってネットを見てみると、春の美しい姿を紹介されているサイトが目にとまりました。
サイトの名称は『桜日和』 そのなかで、「原間のイトザクラ」を紹介の記事(URL)は、
http://watarigraphic.com/sakura/harama.php
でありました。
[補記:画像リンク切れを修正しました 2023.9.5]
安正さんの書になる・・・ [忠魂碑の類]
方々を見て歩きながら、いくつかのコレクションをしていますが、忠魂碑もその1つ。
こちらは、笛吹市春日居町鎮目にある山梨岡神社さんの境内にあるものです。
山梨岡神社は、背後に神体山とされている御室山があって、
この忠魂碑は、その山裾の傾斜を利用して設けられていて、
なかなか立派なものであります。
とても近づきがたい雰囲気をもっている忠魂碑でありましたので、
望遠レンズを通しての観察のみになりましたが、福島安正(1852-1919)さんの
書になる忠魂碑であるとわかりました。
なお、安正さんの忠魂碑は、ほかに山梨市の窪八幡神社境内にもありますが、
そちらの紹介記事(2007年9月17日)に、安正さんの紹介もありますのでご参照ください。
山梨岡神社の境内のようすですが、左手に見えるのが拝殿、右手に神楽殿が見え、
両者の間の奥まったところに、今回の忠魂碑はあります。
完成が近づく若彦トンネル [tunnels]
雪をいただいた富士山の美しい姿・・・。
でも、今回のお話しは、富士山についての直接的な話題ではありません。
この写真は、この3連休中に、御坂山地の中の新道峠付近から見たものです。
手前に見える湖は河口湖、そこにポコッと浮かぶ島は、鵜の島といいます。
鵜の島の手前の湖岸地域は、富士河口湖町の大石地区になります。
そこに山側から湖に向かう形で新しい道路が確認できます。
この道路こそが、富士河口湖町大石と笛吹市芦川町上芦川を結ぶ県道富士河口湖芦川線で、
手前の山側の延長には、建設中の若彦トンネルがあります。
こちらが、すでに一、二度ふれている若彦トンネルの芦川町側の坑口となります。
来年3月の供用開始との情報でありますが、待ち遠しい気がします。
完成間近で、だいぶできあがってきていましたが、
まだトンネルの銘板プレートは付けられていません。
また、前回までに取り上げた1995年完成の新鳥坂トンネルと比べると、
トンネル・ファサードの装飾はずい、ぶん簡素なものになっていますね。
橋やトンネルには、それぞれに基本的な役割があって作られますが、
建設年代の社会情勢をよく映し込んでいるところがあって、
観察するのに十分なおもしろさがあります。
お金周りのいい時代には、新鳥坂トンネルのようなものが出来るし、
昨今の厳しい(金回りのよくない)情勢では、さっぱりとしたものになりますね。
なお、蛇足ながら付け加えますと、とかく「ムダ」という言い方が多くされますが、
ほんとにムダかどうかは、そう簡単に決まらないのではないかなぁ・・・との
つぶやきをここで発しておきたいと思います。
新鳥坂トンネル [tunnels]
笛吹市内で、県道36号・笛吹市川三郷線が鳥坂峠を越えるところに、
この新鳥坂トンネルがあります。
前々回の記事、「エートマン的菊花展」の会場ということでも取り上げましたが、
このトンネルのコンクリート製のファサードには、芦川町側の入口でキクが、
反対の八代町側の入口には、スズランが描き出されています。
トンネル・ファサードに、相互に、反対側の特産植物を配置した形になっているのです。
トンネル出口の上部には、「新鳥坂トンネル」の文字が見られます。
その向こう側には、紅葉したお山の模様が目に入ります。
トンネルの芦川町側ファサードの左手に、建設にかかるプレートが見られました。
1995年5月の竣工でしょうか。長さは479mとなっています。
このトンネルは、八代町側から入ってかなりの部分まで直線でいきますが、
芦川町側では、ご覧のとおり、緩やかなカーブを描く線形になっています。
今でこそ、通行量はそう多くないようですが、
その先、現在建設中の、仮称・若彦トンネルが供用されると、
笛吹市や甲府市方面と富士河口湖町を初めとする冨士北麓地域との行き来がより円滑になり、
通行量も増大するのではないかと思われます。
新しいカテゴリ「tunnels」の追加 [エートマンのウェブメモ]
前回の「エートマン的菊花展」の記事のカテゴリをどうするか、
とても悩みまして、最終的にはそう(エートマン的kokoroに)なったのですが、
やはりまた新たな“えーと 何だっけ”的なカテゴリが必要だろうと「tunnels」を
追加しました(本当にこの記事は単なるメモ、備忘録です)。
なお、次ぎに登場する予定の記事が、新カテゴリの最初の記事になりますが、
もしそれ以前のものが出てくるとしたら、過去記事のカテゴリ変更だとご理解ください。