てんりゅうみなみ・17 (一部追加) [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
今日(2010年7月24日)の午後7時30分頃、押原公園の近くを所用で通過したので、
気になっていた天竜南線17号鉄塔の足下に、確認に行きました。
気になっていたこととは、これです。
下の方の、すなわち天竜南線17号鉄塔に併架されている玉幡線の
「2」という回線表示プレートの右側にどうかいてあるか・・・。
答えは「山梨(変)側」でした。
山梨変電所の方向ですよ、その2号回線です・・・という意味です。
電信柱、また見つけたよ~ [鉄道・電気機関車]
この7月も、もう一週間ほど。毎日あわただしく、あつあつしく、過ぎて行きます。
ぼーっと、今日はどんな記事にしようかなぁ・・・と考えている中で、
はたとチャンネルが繋がったのが、この話題。7月の初めの方で見たものです。
身延町上八木沢の小さな集落の中に、忘れかけられたように建っていたものです。
すこし近づいて見てみました。
まさに、あの鉄道通信線の支持木柱でありました。
反対側から見ています。
背景が空になったので、かなりよくその姿が観察できます。
どうやら、地域の放送用のスピーカーが付き、そうした形で生き残っているようです。
木柱には、木柱番号が記されたプレートが取り付けてありました。
そのうちの1つです。
これから105号木柱かと理解されます(以前に19号を見たことが・・・)。
一番上のカタカナの「エ」のような記号は、鉄道レールの断面形からとった
旧国鉄のマークのように見受けられます。
ところで、鉄道用の通信線支持木柱という説明をしてきていますが、
ここには、線路が見あたりません。それはどうして?
そうか、ここは、足下の下を身延線がトンネルで通過しているのだったっけ。
今回取り上げたものと、同じものを、身延線芦川駅の西側の脇の畑の中に見ています。
合わせてご参照ください・・・「鉄道通信線のなごり」2010年3月17日
暑中見舞にかえて、ねんが! [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
7月17日に梅雨が明けると、待っていたかのように暑い日が続きます。
写真は、その翌18日に訪れた押原公園でのスナップです。
運動(スポーツ)がテーマの公園ですが、親水部分もあり、
もう夕方でしたが、まだ子どもたちが水遊びを楽しんでいました。
そんな中で、遠くに目をやると、撚架(ねんが=捻架)鉄塔が見られました。
玉幡線の3号鉄塔です。
この撚架鉄塔は、甲府の郊外という場所から、けっこう注目度が高く(?)、
てっきりもう、このブログでも取り上げていると思って検索してみたけど、
結果としてまだみたい・・・。
それにしても、玉幡線3号鉄塔。立派な撚架しているのに、いったい電気は流れているの、いないの?
ともかく、皆さま、酷暑の砌、くれぐれもご自愛のうえ、
このブログにも、はんでめた、お出かけください。
押原公園で見た・・・ [時計塔・ハイブリッドXX]
唐突に・・・、これなぁ~んだ?
ヒントです。
4つの柱が立っていまして、上の方でまとまって・・・、その中心の下の方に
ステンレスの半球形のパーツが置かれ、その表面に、天竜南線17号鉄塔が写っている・・・。
さて、おわかりになりましたか?
お答えは、またいつか・・・じゃなくて、この後すぐ。
押原公園で見つけた時計塔でありました。
時計部分のクローズアップです。時計は両面になっています。
逆光になっている背後の面を、少し離れたところから望遠しました。
時計の上に何か重要なパーツが付いています。
たんぶん、ミニソーラーパネルと電波時計としてのアンテナ・・・ではないかと思われます。
それと、文字盤の「SHOUWA」は、時計のメーカー名ではなくて、
設置自治体の名前なのかなぁ・・・。
ちなみに、押原公園は、甲府盆地のほぼ真ん中、昭和町押越に近年完成した運動公園です。
最新の斬新なデザインの時計塔の、4本の柱の間に、天竜南線18号鉄塔を見ました。
これは、おまけです・・・。
てんりゅうみなみ・17 そこにある意外な事実とは(後編) [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
完結しないうちに、時間が経過してしまいました。
相撲でいうと水入りの大勝負(?)。なので、ページを切り替えて仕切り直しです。
さて、1つ目の写真は、いま話題にしている天竜南線17号鉄塔の腕金部分の状況を見るもので、
前回の記事でも使用した写真の再掲です。
この写真の右側が、甲府の中心方向、山梨変電所側です。
そして、左手が、釜無白根変電所側です。
もっとも、天竜南線は、山梨変電所は直接には関係ありませんが。
下段に併架されている玉幡線は、この17号鉄塔の右側で、19号鉄塔まで併架されていきます。
そして左手側は、天竜南線とは独立し、平行して釜無白根変電所に続きます。
と、ここまでは、いわば今までの知識の総点検であります。
でも、問題発生・・・。
この写真、よーく見てください。
たいへん大きなナゾがそこにあるのです。
夏休みの宿題にチャレンジしたつもりが、かえって泥沼にはまってしまったような感じです。
解説します。
本来、この写真に赤いラインで書き加えたように、ジャンパ線と呼ばれる線で、
繋がっていないと電気が流れません。
上の天竜南線では、ちゃんとジャンパ線ありますよね。それが、玉幡線では欠落している・・・。
玉幡線は、ここでとぎれているのか・・・。
それは、回線表示パネルに変な書き込みがあるのと関係があるのか、
このナゾは、テプコさんしか知らない・・・・・。
(おしまい)
てんりゅうみなみ・17(前編) [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
前回の記事は、ちょっと詰めが甘かったのです。
公園できれいな夏のお花を取り合わせに送電線見ました・・・だけではダメだったのです。
テーマは、「夏休みの宿題」1つできましたぁ・・・、というところでしょうか。
まず、今回の送電線鉄塔、前回のものと同じですが、見る方向を反対側からにしたものです。
それで、どんな送電線なのか、なぜ宿題のお答ということになるのか、
今回は、その辺をじっくり行きたいと思います。
まず、送電線鉄塔の、送電線を支えている腕の部分に注目です。
上段に左右3つずつの腕が出ています。
その部分が3相交流2回線として伝えられている天竜南線であります。
そして、下段ですが、やや間隔が詰まって、同じように左右3つずつあります。
こちらは、玉幡線の2回線分であります。しかしながら・・・(それは、後で)。
山形鋼材で構成される鉄塔の、1つの脚部に、鉄塔名のプレートと回線表示を見ました。
一番上のものが送電線の路線名称や鉄塔番号などを表示するプレートです。
これにより、東京電力の天竜南線の17号鉄塔だとわかります。
昭和55(1980)年12月に建造されていること、高さ55mということもわかります。
さてその下ですが、大きな数字で「1」とある左隅に、天竜南線の文字があり、
さらに下の「2」とある左隅には、玉幡線とあります。
なおこの2の方には、右隅にも「釜白(変)側」の文字がありました。
ふつう、こうしたのは見られません。このことの意味が重要なのだということは、
この記事を書きながら考えつきました。
現場では、思いもしませんでしたので、この反対側がどう書いてあるか、ノーチェック。まずいです。
(たいへんすみませんが、方針急変に付き、続きにつきましては、後記事でお願いします)
夏のお花と送電線鉄塔 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]
とある公園での光景です。
夏のお花、赤いペチュニアが咲き乱れる向こうに、背の高い送電線鉄塔が建っておりました。
何度見ても、こうした光景は、いいもんですね。
連休の3日目(カレンダーどおりの場合ですが)。3日間ともよく晴れました。
そう、今日はハッピーマンデー「海の日」でありました。
でも、海にも行かず、エートマンは送電線を見上げるのでありました。
送電線は、連休であろうが、ハッピーマンデーであろうが、
ひたすらに、電力を送り続け、わたしたちの暮らしを支えてくれる、大切なものだからです。
梅雨明け後は、一気に“夏”です [そらもよう]
山梨では、今年(2010年)は、7月17日に“梅雨明け”となりました。
その山梨の、山梨市の夏空です。とてもきれいでした。
薄い雲が出ていて・・・。
画面の下辺中央あたりの森は、窪八幡さんの社叢です。
この画像は、64kbほどありました。結構大きいですよね。
実は、1024x679ピクセルの大きさを持っていて、ブラウザーで縮小表示するようになっています。
クリックすると、大きな、というか本来のサイズで見ることができます。
おいらの東京見学メモ [エートマンのお出かけメモ]
今日、7月17日は何の日?
今日は何の日、っていうの、いろいろあるけど、ここで恣意的に取り上げるのは「東京の日」
1868(慶応4=明治元)年のこの日、「江戸」から「東京」に改められたのだそうです。
ちなみに、この年、即ち慶応4年は9月8日に改元され、「明治」となります。
さて、先日、夏休みをいただいて、東京に上りました。
その際の見聞について、すでにいくつか記事にしていますが、そのほか、
テーマ設定ができなかった写真を羅列して、エートマンの東京見学メモとします。
さて、冒頭でいきなり国会議事堂が出まして、お次はというと、
霞ヶ関の官庁街の高層建築。お役所なので、落ち着いてスッキリとしています。
正面は、1回の壁面に「金融庁」の文字がある建物。左手に重なるように文部科学省の庁舎。
左手は、ひと頃よく話題にあがった霞ヶ関ビル。
エートマンは、金融庁に用事があったわけではないですよ、ちょっとその向こうに・・・。
(あれっ、夏休みじゃなかったっけ、まあその辺はいつもながらチョー適当です)
でも、先日参院選(2010年7月11日投票)があったばかりで、国民の視線は、
この国の先行きに熱いものが注がれている昨今。
霞ヶ関界隈の働きにもいちだんと期待と関心が集まります。
さて、霞ヶ関界隈で所用をすませた後、フリーに、新橋を目指しました。
「汽笛一声しんばぁ~しを」目指したのには、理由がありました。
もちろん続けてご覧の方には、ご推察済みと思われますが、ゆりかもめに乗るためでした。
この写真からしばらくは、新橋始発のゆりかもめの車窓からのものになります。
官庁街の建物とは打って変わって、新時代の到来を感じさせる斬新なデザインの建物が
いくつも目を惹きました。
浜松町で目にしたビル。
「K●O▲T■O●B▲U■K●I」の商標が出ているイス屋さん関連のオフィスがはいる
このビルは、何で注目したかというと、屋上から下がる懸垂幕に
「平城遷都1300年祭開催中/今年は奈良に行こう!!」とあるのが気になったから。
よく確認できませんでしたが、多くの人に奈良に行って欲しいと考えている
何らかのエージェンシーが関与しているものと思いました。
(それにしても、KOTOBUKIの各文字の間にある記号、まる・さんかく・しかくは
ある別なものを想像させてくれて、「奈良」の文字以上に、印象的なのでありました)
レインボーブリッジを渡ると、そこはお台場。
自由の女神と、吊り橋と、東京タワーとが競演です。
そして、船の科学館。
係留されている南極観測船「宗谷」や青函連絡船「羊蹄丸」などが車窓から楽しめました。
いつかは、いってみよう(まだ行ったことがない)。
その先には、湾岸警察署の建物が・・・。
あの「踊る」何とかの舞台になっているところ。
その時点では、まったく認識していなかったのですが、
今晩、テレビでやっているの見て、思考回路が何とか結びつきました。
(だから、おじさんは・・・こまります。あちこち迷惑をかけて・・・
ごめんなさい・・・お巡りさんのお世話には、できるだけならないように・・・)
ゆりかもめを国際展示場正門駅で降りて、例のもの撮影できる場所を求めてウロウロ
については、すでにご案内のとおりですが、その際に見た青海方面の景観。
ちっこく観覧車が見えますね。
そして大観覧車から見た豊州、月島、佃方面です。
観覧車を降りた後は、あの青海駅から、ふたたびゆりかもめで、帰路に・・・。
(なお、ここまでの写真の中には、帰路に写したものも含まれています)
新宿に移動して、夕食をすませるとすっかりと暮色が深まり、
大都市、東京の夜の表情をちょっぴりチェック。
以上、エートマンの東京見学記でありました。最後までご覧いただき、感謝申し上げます。
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ゆりかもめの青海駅にて [エートマンのお出かけメモ]
昨日(2010年7月16日)に画像をweb用に調整して、用意しておいたのですが、
なりませんでした。そこで改めて、いきます。
新都市交通ゆりかもめの青海駅での、若干の電車(とは、いわないか)待ちの間のスケッチです。
ゆりかもめは、完全自動運転だそうで、ホームも線路と完全に仕切られています。
そのガラスかアクリルかは確認しなかったですが、仕切り越しに東京湾の方向を見てます。
羽田空港を目指し着陸態勢でゆったりと進行する飛行機がいくつも見られました。
左手は、ガラス(?)に貼られているゆりかもめのシンボルマークです。
ガラス(?)の仕切りの下側は、こうした青海波がプリントされています。
青海波の向こう側は、海が見えているのですが、
仕切りの青海波紋様にピントが来ていますので、これではわかりません。
時間つぶしによくやるのですが、今度は、海面にピントを合わせました。
波の紋様の向こうに、本物の波がある・・・というお遊びでした。
こちらは青海駅から新橋方面の線路を見たものです。
ゆりかもめは、タイヤで走行するから静かだと聞きました。確かにそう感じました。
線路はタイヤの走行部とガイドウエイからなっているようです。
お終いは、例の観覧車から見た、ゆりかもめです。