えらくふる~い橋 [川と橋の文化誌]
大月市富浜町で見た、そう大きくない、あまり目立たない橋のお話しです。
場所は、例の富浜変電所のすぐ近く。
これを観察したのもその時のこと(2010年8月28日)でしたが、
とても大事にしていて、公開のタイミングを失してしまっていました。
こちらは、下流側の西詰めの親柱です。
右側には、後付の上水道と見られる塩ビ管が通っています。
さて親柱の正面に框状になっている中に文字が認められます。
「昭和・・・」とあるようですが、たいへん読みにくいもので、
何度も目をこらして読もうとしましたが、いったんは保留です。
ここの文字情報を仮に「A」とします。
こちらは、下流側の東詰の親柱です。
こちらにも、漢字で何やら書かれています。
こちらもちょっと保留で、文字情報「B」としておきます。
それから、上流側の東詰です。
ここに書かれているのも「昭和・・・」です。
おそらく文字情報「A」と同じと思われ、一応、文字情報「C」とします。
そしてお次は、上流側西詰め。
ここには、どうやら仮名文字で記されているようです。これを「D」とします。
4つの親柱にあるAからDまでの4つの情報を総合的に判断して、
最終的に、次のように理解しました。
AとCは同じで、竣工年をあらわしていたのです。
ここに掲げた写真は、Cをグレースケールで判読しやすく処理したものですが、
「昭和貳年十月六日・・・」と読めます。その下はちょっと読みがたい。
Aも同じですが、下の方がもう少し読みやすく「・・・竣功」と判読できました。
それからBは橋の名称で、Dはその読みをあらわしているようでした。
橋の名は、「御料澤橋」 読みは「ごれうさははし」と考えられました。
橋の西詰め上流側のたもとに、草に埋もれそうな表示板がありました。
土石流危険渓流であることを告知するもので、
ここでの河川名称は、相模川水系の横吹沢となっていました。
御料沢ではないので、この点は、不思議に思われました。
長い歴史のどこかで変更があったのでしょうか。
いずれにしても1927(昭和2)年当時、御料沢と呼ばれ、いま横吹沢とされるこの川に、
架橋された、歴史的なコンクリート橋なのでありました。
Aの情報のある親柱を上方から見てみました。
コンクリートで出来た親柱の上に、厚さ1センチ弱の上塗りがしてありますが、
ここでは、広い範囲にその上塗りははげ落ちてしまっていて、そのため
当時の仕上げのようすが理解できますが、こうした工法は、
古い神社のコンクリート製鳥居などでも確認されるものです。
それから、上流側のコンクリート製欄干の一部も、車でもぶつかったのか、
ひどく破損している箇所がありました。
上塗りが脱落どころか、鉄筋までも露出しています。
でも、これが1927年当時の、おそよ90年も前の鉄筋なんだ、と感激でありました。