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祝いの花束? [はないちもんめ]

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 この花、なんだか、知ってるけ~。
と、甲州弁で切り出しましたが、1つ前の記事を書き上げた後、
知人のブログで、おめでたいことがあったということを知りました。
この世知辛いご時世、明るい話題は、よそ様のことでもうれしい限りです。
そこで、エートマンとしましては、早速に手元の画像データをひっくり返し、
何かおめでたいことに合うようなものはないかと・・・。
それでヒットしたのがこの花。
コウヤボウキの花です。

 コウヤボウキは、実は木本で、キク科の落葉低木です。
このブログでも、別角度ですが、過去に取り上げたことがあります。
よろしければ、ご参照ください。もうちょっと詳しいことがわかります。

 またその時には、ふれていませんが、このコウヤボウキでつくった箒が、
奈良・東大寺の正倉院宝庫に、奈良時代のものが伝わっていて、
それは、玉が付けてあるりっぱなもので、重ねてお祝いにふさわしい感じもします。
 このコウヤボウキ、野山を歩くと、やや暗い林床や林縁などに見られます。
みなさんも山歩きの時などに、チェックしてみてください。いまが花の時期です。
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またも一戸さんの・・・ [忠魂碑の類]

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 一般県道36号・笛吹市川三郷線の市川三郷町高萩地内を通過中・・・、
そうです、少し前に紹介した洞門工事が行われている場所から、少し芦川沿いに下ったところ。
運転中の視界に、突然「忠魂碑」の文字が飛び込みました。
それで、車をすぐに安全な場所に止めて、観察をさせていただきました。
そこは、先の大戦で命を落とされた兵隊さんたちの慰霊の場所でもありました。
16基の供養塔が並び、17柱の御霊の供養がなされていることろであったのです。
(1つの供養塔は、ご兄弟かと思われる2柱の御名が刻されていました)

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 その一番西北側(川に沿っていえば下流側)に、その忠魂碑は建てられていたのです。
当初は、碑の周りも整備されていたようですが、いつしか石垣が崩れたようで、
少し荒れた感じがしていました。

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 粘板岩系の加工石を用いた碑文の中央に「忠魂碑」と大書され、
左手に「陸軍大将 一戸兵衛書」とありました。

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 始めから3点目までの撮影は、2010年9月4日のことでした。
その時は、あわててというか、ぼんやりとしていて、碑文の裏側のチェックを行わずにいました。
そしてこちらの写真、碑の裏側の銘文です。数日前にあらためて確認に訪れたのです。
曰く「昭和三年九月二十三日 / 帝國在郷軍人會 / 下九一色村分會建設」
 前回取り上げた、同じ兵衛さんの忠魂碑で「富士見村分會」のものより
少し早い時期の建碑でありました。
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