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分校の跡 [地域の小さな歴史]

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 山間に開けた十谷地区。その集落の中ほどに、少々開けた空間がありました。
周囲にソメイヨシノかと見られる植栽、年を経て古木となったのが点々と見られました。
うん、こういう雰囲気はあれしかないなぁ。

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 とても懐かしい雰囲気。
後の記事でまたふれるかと思いますが(当てにならない・・・かも)、
旧の鰍沢町立五開小学校の十谷分校の跡でありました。

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 元の校庭から、集落の中心方向を見ています。

 この懐かしの空間にまた、いくつか話題を見つけていきます。

鈴鹿さんの境内の摂社はすごかった(その2) [神社まいり]

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 富士川町十谷の鈴鹿神社、その境内の摂社の話です。
こちらの写真は、前回の記事の最後の写真(再掲)です。
少し細くしておくと、画面右手に見える狛犬の台座と、小さな石の祠は
前後に遠近の位置にあるのではなく、距離は同じ。
つまりとても小さなものだということ、再確認です。
このような神様の居場所のある一方で、とてもすごいのが見られました。

 それは、連棟社殿です。でも小さな・・・。

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 それがこちら。

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 少し角度を変えて見ました。
連棟社殿。それは神様のお住まいである社殿をつなげた、神様の集合住宅であります。
長屋・・・、神様なのでそういう言い方はどうも、集合住宅です。

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 再び正面から。1・2・3・・・8。
8柱の神々の入居スペースが用意されていました。
社殿建築の様式からすると、八間社流造りとでもいえるのでしょうか。

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 長い社殿の中央に赤い鳥居が立てかけてあります。
鉄板を鋲止めして造った小さな鳥居です。
額の部分には、奉納じゃなくて「納奉」でした。

 以上、富士川町十谷の鈴鹿神社とその境内の摂社についてのメモでありました。