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霧山トンネル [tunnels]

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 みずがき湖見た、忠魂碑も見た、塩川神社もお参りした、火の見ちゃんも見た・・・。
そんな場所を通過する道路。県道610号・原浅尾韮崎線です。よく見るとその先にトンネルが・・・。

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 トンネルの東側坑口です。その左手にトンネルの名称を現すモニュメントがあります。
「霧山トンネル」とありました。

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 その裏側を見ると、平成6年3月竣工とありましたが、肝心な長さの情報が見あたりません。
周りをキョロキョロしても目にとまりません。まずい・・・、トンネルの向こう側にあるのかな。

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 トンネルの中をのぞいて見ると、トンネルは中ほどにカーブがあるようですね。

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 そして西側坑口。まだ日が当たっています。
それにしてもこちらにも長さの情報がありませんでした。
ちょっとガッカリしつつも、振り返って見ると・・・。

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 そこは塩川ダムのダムサイトでありました。

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 この霧山トンネルですが、地図でチェックしてみると、
確かに中ほどで折れ曲がっているのでした。また長さは、えーと・・・。
およそ203.5mくらいでした。
気になるランキングはどうなる?

火の見ちゃん48 [火の見櫓]

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 逆光に浮かび上がった火の見櫓です。
北杜市須玉町比志の、北杜市須玉総合支所増富出張所の敷地の一隅にたっていました。

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 大きく感じられた望楼部です。

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 お日様のいる方向から見ますと、秋空にすっくとたつ凛々しいお姿に見受けられました。
この火の見櫓、観察した範囲では、年代を明らかにするものは見つかりませんでした。
変わりに、といってはヘンですが、おもしろいものを見つけました。

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 火の見櫓のある場所の近くに、クズの茂みに覆われていましたが、
廃棄された、リアカー型の消防車が見られたのです。
「増富消防団第四部」でしょうか、車体に文字が見られました。

塩川神社 [神社まいり]

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 右手後方に、田中義一さんの忠魂碑が見える・・・。
そんな場所にある塩川神社、お参りしました。
少し西側のお山の影が落ちてきていました。

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 塩川神社の前は、そのまま墓地になっていました。
訪れたときは折りからお彼岸のお中日の明日という日、
辺りには線香の香りが漂っていました。

いてんさいけんのき [忠魂碑の類]

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 前回の続きの記です。
田中義一陸軍中将の書になる忠魂碑のことですが、続編がありました。
続編にはいる前に確認しておくことがあります。それは田中義一陸軍中将の
書の忠魂碑としては、このブログでは2例目だということです。
以前の田中義一中将のは、2010年6月11日の「ぎいちさんの・・・」という記事
韮崎市富士見ヶ丘で観察されたものでありました。

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 前回の記事の初めの方でもふれましたが、とても大きな部類の忠魂碑です。
その左側面に「大正七年九月帝國在郷軍人會増富村分會建之」と
建立者の情報が刻まれていました。
 さて、この忠魂碑ですが、大正七年(1918)に建立されたときの、そのままということでは
ないようです。それは平成になって周辺が大きく変化したことと関係があります。

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 忠魂碑の周りに、小さな碑が4つ見られましたが、そのうち3つは、戦没者の記名碑でした。
そしてもう1つがこちら。「移転再建の記」の題名で、17行の本文と、「平成三年五月吉日」「増富従軍者会」の結びの2行で構成されています。
 では、その本文をちょっと確認しておきましょう。

   大正七年九月 旧*沢峠の頂に
   相原繁造 小沢信富 比志宇吉
   三氏による敷地の寄贈と 旧
   増富村民の物心両面の協力に
   よりこの碑は建立されました
   以来英霊の顕彰と慰霊の誠を
   捧げる祭祀が続けられて参り
   ましたが 時は移り 塩川ダム
   建設に伴い建立地は移転の止
   むなきに至り この地に再建
   されました
   再建に当たり往時を想いこの碑
   が平和の象徴として仰がれ 郷土
   の繁栄に御加護あるよう祈念
   いたします
   殉国の英霊 この母なる地に 安
   らかにお眠り下さい
      
 以上が今回の話題の「いてんさいけんのひ(移転再建の碑)」の
主眼となる碑文なのでありますが、時は移ろい、この碑に想いを寄せた方々のお気持ちも
ともすると加速してきている時間の流れに押し流されてしまいそう・・・。

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 何とか、少しでも、それを汲み上げることができたら・・・。

義一さんの・・・ [忠魂碑の類]

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 大砲の砲弾のような形、なんだろうな?

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 みずがき湖に出かけた主目的はこの石碑を拝見することにありました。
 碑の周囲を囲っている柵にご注目ください。先ほどの砲弾形はなんだろうな、の答え、お分かりですね。

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 肝心な石碑ですが、大きな忠魂碑でありました。
書き手は田中義一さんでありました。

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 大正年間の建碑でありました。

みずがきこ [川と橋の文化誌]

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 先日、みずがき湖に行ってきました。
瑞垣山に源を発する塩川(富士川=釜無川の支流)をせき止めて造られた人造湖です。
台風15号の影響だったのでしょうか、湖は茶色く濁っていました。
遠くに鹿鳴峡大橋が見えています。
とくにこの鹿鳴峡大橋については、2007年5月8日の記事で取り上げています

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 湖の畔に親子の鹿が憩うのを現した造形が見られます。
2007年の鹿鳴峡大橋の話題の中でもその親柱にふれて、
鹿が鳴く峡谷・・・というようなことを延べていますが、また同じ感覚に襲われました。

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 お父さんジカが鳴いているよう、そして湖面を渡って辺りの山々にこだましているようでした。

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 鹿鳴峡大橋とは反対の方向です。
こちらにも橋が見えます。白いアーチの・・・。
何という橋なのか、あそこまで行けばわかるのだろうけど・・・。

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 湖の畔の駐車場の一角に航空写真をベースにした案内板がありました。
左手にあの鹿鳴峡大橋が見られます。赤い印が現在位置。それから・・・
右手の端の方、ありましたありました、もう一つのアーチ橋。
お名前は、「増富大橋」とのことでした。

(追記:2016.11.23)
  この記事において画像データの表示に不備が生じていました。本日これを修正する
 とともに、「増富大橋」についての後の記事へのリンクを追加しました。

にんしょうじ [寺院めぐり]

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 甲府市小瀬町にある仁勝寺さんです。
このお彼岸の最中にお参りしました。
山号を鳳堂山といい、臨済宗向嶽寺派で、笛吹市境川町小黒坂の聖応寺の末寺ですが、
寺伝に拠れば、長禄年中創建で開基は武田右馬助信長とされています。
やさしくいえば由緒ある古刹です。

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 本堂の前にある説明板ですが、このお寺さんのお宝についての解説のようです。
木造聖徳太子立像がそれで、重要文化財に指定されています。
昭和4年4月6日指定ということですから、早くからその価値が知られていたということになります。
聖徳太子のお像は、全国に数多く造像されたものが伝わっていますが、ここのお像は、
16歳孝養像とされる形式のものだそうです。
お姿をご紹介したいのですが、簡単にはかないませんので、仁勝寺さんのHPで
ご覧いただくことにします・・・・・こちらから

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 ご本堂の裏手には、八角円堂がありまして、宝蔵庫になっているようです。

カウント80,000きました [エートマンのウェブメモ]

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 ここまできました、カエルさんカウンターの80,000です。
本日8時台に現れたみたいです。

てんりゅうみなみ53 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 天竜南線53号鉄塔です。
前々回および前回の記事で山梨リニア実験線工事を取り上げましたが、
その現場の近くにたっているものでした。

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 堂々とした腕金部、懸垂型の送電線支持です。
最上部に設置されている対空標識を右上に大きめに貼り合わせています。

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 こちらの写真は、2008年4月30日に、初めてここを訪れたとき撮影しておいたものです。
これにより、天竜南線53号鉄塔は昭和5(1930)年4月に建設された
高さ32mの送電線鉄塔だとわかります。
80年以上もたち続け、山梨の電力供給を支えてきた歴史的な鉄塔ですが、
いま、すぐかたわらをリニア高速鉄道が走り抜ける時代に、まだまだ現役、がんばってください。

進む山梨リニア実験線工事(10)付録 [やまなしリニア]

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 前回の記事の続きというか、おまけというか・・・、
ともかく、現場で見たスケッチの中から「働く乗り物」の特集です。

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 大型のアーティキュレート・ダンプで、VOLVOのBM A20です。
この現場での3号車のようです。ということは1号や2号もいる・・・ということですね。
なお、「アーティキュレート」は「有節の・・・」という意味で、
トラクター部とダンプ車部が連結された、小回りが効くということらしい・・・ものです。

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 いましたいました、こちらは土砂を積載して斜路をあえいでいく2号車です。
VOLVOのA25CTSであります。

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 同じように1号車です。3号車と同じ、VOLVOのBM A20でした。

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 大型ダンプに積み込みをしているバックホー(パワーショベル)です。
HITACHI製ですが、どろんこになって働いていて、型番は汚れて読み取れません。
でもこれも相当大きな規格のものです。

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 それが2号車に積み込みをしているところです。迫力ありました。

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 お次はトラミキです。一般的にはミキサー車と呼ばれますが、
truck mixerの省略でトラミキと呼ばれます、こうした現場では。

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 おしまいは、コンクリート圧送車です。

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 赤いアウトリガーを出して、しっかりお仕事中。
今回は、トラミキから吸い出すような形で連携して働いていた状況でありました。