6代将軍に捧げられた石灯籠 [地域の小さな歴史]
笛吹市八代町竹居の浄源寺境内において注目された2基の石灯籠のうちの1つです。
参道脇の大きなシダレザクラの影になるような場所に置かれていました。
ここに奉納されるまでの間に破損していたものが補われたらしく、
火袋は新補と見られましたが、ちゃんと三葉葵のご紋も表現されていました。
石灯籠の竿の部分です。
雨の中での観察ということもあって、刻銘をすべてきちんと押さえたわけでなく
その点に関しては再度チェックする必要があるかと思いますが、
写真から再現すると
奉献 石灯籠 両基
武州 増上寺
文 昭 院 殿 尊前
正徳二壬辰年十月十四日
従五位下蜂須賀飛騨守源隆長
とありました。
大まかにいえば、この石灯籠は、東京は芝の増上寺さん、これは徳川将軍家の菩提寺ですが、
その第6代将軍、徳川家宣、法名を文昭院殿といいますが、
この文昭院さんの霊廟の前に、各大名がこぞって奉納した石灯籠のうち、
蜂須賀飛騨守さんが1対で奉納されたものの1つだということのようです。
ちなみにこの蜂須賀飛騨守さんは、阿波富田藩5万石のお殿様でした。
そしてもう1つ、こちらは前々回の記事でとりあげた「とある石碑」の
横に置かれていた石灯籠です。
その竿の銘文を見ました。
刻銘の違いは、蜂須賀さんのが「両基」だったのがこちらでは「一基」であり、
奉納者のお大名さんのお名前部分が「従五位下」以外はよく読み取れない状況、
刻銘の周辺で剥落が著しいのでありました。
とりあえず、大まかな記録ですが、浄源寺さんの境内の徳川将軍の石灯籠のスケッチメモでした。