山梨における増上寺から移出した石灯籠について(リスト) [地域の小さな歴史]
徳川将軍家の菩提寺、東京・芝の増上寺から、戦後に事情あって
いくつもの石灯籠があちこちに移出しています。
山梨県内にもいくつか来ていますが、それについてこのブログ
『えーと 何だっけ?!』でも、らんだむに、観察記録しています。
ここで、そう多くないですが、それらについて「目次」化しておきます。
(写真は、2011年9月3日に見た、笛吹市八代町竹居の浄源寺境内のもの)
所 在 地 員数 被奉献者 記事掲載日(記事リンク)
笛吹市八代町竹居・浄源寺 2基 文昭院 2011年9月9日
笛吹市一宮町末木・慈眼寺 2基 文昭院・有章院 2007年8月14日
笛吹市八代町岡・善国寺 2基 惇信院 2007年5月6日
実は「甲府宰相」 [地域の小さな歴史]
文昭院殿について、少し追記しておきたいことがあります。
文昭院殿、すなわち徳川家宣第6代将軍は、甲府藩主綱重さまのご子息であらせられたのです。
御年17歳のとき、父君が逝去され、家督を継ぎ、甲府藩主すなわち「甲府宰相」となられます。
第5代将軍の徳川綱吉さまがお世継ぎに恵まれなかったため、宝永6年(1709)に
綱吉さまが亡くなられると、第6代将軍の座につき、これにより甲府家は断絶となっています。
こんなふうに、文昭院さまというお方は、生前、甲府とは浅からぬ縁(えにし)
があったということ、このことをメモしておくのでございます。
なお、今回の記事の写真は、前回の記事の2つ目の写真の再掲でございました。