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いてんさいけんのき [忠魂碑の類]

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 前回の続きの記です。
田中義一陸軍中将の書になる忠魂碑のことですが、続編がありました。
続編にはいる前に確認しておくことがあります。それは田中義一陸軍中将の
書の忠魂碑としては、このブログでは2例目だということです。
以前の田中義一中将のは、2010年6月11日の「ぎいちさんの・・・」という記事
韮崎市富士見ヶ丘で観察されたものでありました。

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 前回の記事の初めの方でもふれましたが、とても大きな部類の忠魂碑です。
その左側面に「大正七年九月帝國在郷軍人會増富村分會建之」と
建立者の情報が刻まれていました。
 さて、この忠魂碑ですが、大正七年(1918)に建立されたときの、そのままということでは
ないようです。それは平成になって周辺が大きく変化したことと関係があります。

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 忠魂碑の周りに、小さな碑が4つ見られましたが、そのうち3つは、戦没者の記名碑でした。
そしてもう1つがこちら。「移転再建の記」の題名で、17行の本文と、「平成三年五月吉日」「増富従軍者会」の結びの2行で構成されています。
 では、その本文をちょっと確認しておきましょう。

   大正七年九月 旧*沢峠の頂に
   相原繁造 小沢信富 比志宇吉
   三氏による敷地の寄贈と 旧
   増富村民の物心両面の協力に
   よりこの碑は建立されました
   以来英霊の顕彰と慰霊の誠を
   捧げる祭祀が続けられて参り
   ましたが 時は移り 塩川ダム
   建設に伴い建立地は移転の止
   むなきに至り この地に再建
   されました
   再建に当たり往時を想いこの碑
   が平和の象徴として仰がれ 郷土
   の繁栄に御加護あるよう祈念
   いたします
   殉国の英霊 この母なる地に 安
   らかにお眠り下さい
      
 以上が今回の話題の「いてんさいけんのひ(移転再建の碑)」の
主眼となる碑文なのでありますが、時は移ろい、この碑に想いを寄せた方々のお気持ちも
ともすると加速してきている時間の流れに押し流されてしまいそう・・・。

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 何とか、少しでも、それを汲み上げることができたら・・・。

義一さんの・・・ [忠魂碑の類]

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 大砲の砲弾のような形、なんだろうな?

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 みずがき湖に出かけた主目的はこの石碑を拝見することにありました。
 碑の周囲を囲っている柵にご注目ください。先ほどの砲弾形はなんだろうな、の答え、お分かりですね。

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 肝心な石碑ですが、大きな忠魂碑でありました。
書き手は田中義一さんでありました。

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 大正年間の建碑でありました。