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さよなら2011年のかんなづき [エートマンの日記]

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 とくだんのことはないのですが、
10月(神無月)も今日でおしまいですねー。
 今日は所用あってバスでの出勤となりました。
写真はバス待ちの時間に写しとった光景のひとこまです。

みのぶてつどう11 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 身延鉄道線の11号鉄塔です。
手前側が12号鉄塔方向、そして向こう側が10号鉄塔の方向になっています。

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 鉄塔の下部(基礎部)は金網とその上に付く有刺鉄線で厳しく囲われています。

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 詳細(基本)プレートです。
高さや建造年月は、この前の12号鉄塔といっしょでありました。

おやなぎさんのリスト [いのり・信仰]

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 このブログの中には、いくつか、おやなぎさんをテーマにした記事があります。
それの目録です。

サーチ(調べる) 2013年01月30日 おやなぎさんリース
サーチ(調べる) 2012年02月13日 さるぼこまで・・・
サーチ(調べる) 2012年02月09日 輪になったおやなぎさんは・・・2012
サーチ(調べる) 2012年02月08日 内船浅間さん
サーチ(調べる) 2011年10月29日 積み重なった、おやなぎさん
サーチ(調べる) 2011年10月28日 もだんていすとナおやなぎさん
サーチ(調べる) 2010年02月25日 もう一つ、輪になった・・・
サーチ(調べる) 2010年02月24日 輪になったおやなぎさんは・・・
サーチ(調べる) 2010年01月17日 車田のおやなぎさん
サーチ(調べる) 2010年01月16日 波木井のおやなぎさん
サーチ(調べる) 2009年01月17日 西保・中村上公民館前の道祖神祭
サーチ(調べる) 2008年07月15日 西沢渓谷入口にて
サーチ(調べる) 2008年03月11日 おやなぎさんの輪
サーチ(調べる) 2006年01月08日 何してる? 2題

積み重なった、おやなぎさん [いのり・信仰]

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 甲州市塩山牛奥で見た道祖神さんです。

 見た感じ、新しい道祖神さんですねぇ。
それにはきっと理由があるのでしょう。

 一般的には、道祖神さんは前近代の社会の中で、発展してその形を造形されています。
でも、御維新の砌、というか、新政府の方針の中で、
集落の中心というか、そういう道祖神場、衢の神とした存在した道祖神さんを
神社の境内に納め、敬うようにお達しがあったので、衢の神が衢から消えて久しい時間が流れ、
地域ごとにそれが衢の本来の姿にもどっていった歴史があるようですが、
おそらくそういう長い歴史を反映しているものではないかと思われます。

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 なんていったって、平成5年11月吉日のご鎮座になっているのですから・・・。

 でも、今回注目したいのは、いくつもおやなぎさんの輪っかが重なっていること。
一つの形ですね、道祖神祭りの後の・・・。

みのぶてつどう12 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 東京電力の送電線「身延鉄道線」の12号鉄塔であります。
路線の最終鉄塔で、その先はJR東海のローカル線「身延線」の身延駅構内の
専用変電所になります。
この路線は、身延町梅平の身延変電所から始まり、途中富士川を渡って
ここまでつながり、身延線の列車を動かす動力源になっています。
なので名称も「身延鉄道線」ということのようです。

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 この12号鉄塔の詳細プレートです。
昭和41年4月に建造の高さ28mの鉄塔なのでありました。

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 少し離れて腕金部の状況を観察、耐張型の送電線支持で、とんがり帽子タイプです。

もだんていすとナおやなぎさん [いのり・信仰]

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 おやなぎさん、というよりは、おやなぎさんサークルです。
道祖神祭の賑やかな飾り、祭りがすむと、切り取られ、輪っか(サークル)にされ、
屋根の上に投げ上げられるのが伝統スタイルですが、
伝統はいつしか変わり、神社に納められたり、道祖神さんに掛けられたりすることも
多く見られるようになってきています。
そんな中、玄関脇にリースみたいに飾られていたのを目にしました。
それを見た際、何故か感激を覚え、その光景をカメラのレンズで切り取ってしまいました。

中之倉トンネル [tunnels]

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 国道300号は、本栖湖畔を通過し、139号と52号をつないでいます。
二級河川本栖湖と一級河川富士川の流域をつないでいます。
その流域境界に中之倉峠があり、中之倉トンネルで越えていきます。
写真は、その本栖湖側の坑口であります。

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 少し変わった坑口の形です。
そして坑口を少しだけ入ったところに、トンネルデータが記されたプレートがついています。

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 1986年1月にできあがった長さ558mのトンネルでありました。

 さて、例のランキングはどうなるでしょうか・・・。

てんりゅうひがし185 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 先日、秋の薄日差す午後に、天竜東幹線を見ました。
一番手前、185号鉄塔です。その向こう側、184号と順に番号は若くなっていきます。

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 同じ写真から185号鉄塔のてっぺん近くを切り出してみました。
とんがり帽子のような形をした部分に「185」の対空標識が確認できますね。
腕金で支える送電線は、耐張型。
耐張型の鉄塔は、とんがり帽子となるみたいです。
184号は懸垂型ですから、とんがりではなく、平たい頭ですね。

じっくり拝見、ほんしょうじさん(その5) [寺院めぐり]

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 今回の焦点は鐘楼に当たります。

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 鐘楼だから、当たり前ですが、鐘が吊られていて、
それを打ち鳴らす撞木(しゅもく)も見られます。
よく見ると、ここの撞木は、シュロの木を用いたのではありませんでした。

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 この本照寺さんの鐘楼の前にも、文化財の説明板がありました。
その内容は別に確認するにして、大まかに言えば
吊されている梵鐘が町指定文化財だとのことでした。

 さてさて、付録としてまた説明板の内容を記録しておきます。


  町指定文化財
   本照寺梵鐘

    元禄九年(一六九一)に鋳造された銅製の
   和鐘で、江戸時代の最盛期(寛文~元禄)の
   所産である。
    笠形の突起が大きく、乳の数が百八箇、鐘
   座の位置が高い等、江戸時代の特色が十分う
   かがえる。

   指定 昭和五十八年三月十日
   所有 本照寺
            市川三郷町教育委員会


ということでありました。

 そんなふうに説明を読むと、実物が気になります。
でもその前に、説明文の中の専門用語がちんぷんかんぷんです。
「笠形の突起」って何のこと? 「乳」って108個もすごい!でも何のことだろ?
「鐘座」って?

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 それで、調べてみましたよ。
便利なサイトのお陰です。

[ひらめき] 参考にしたwebページ『寺子屋NET 蓮浄寺』の中の
「鐘楼・梵鐘について」というページです。
いろいろな解説があり、撞木はシュロよりも脂身の松がいいとか、少々専門的ですが、
図解もあって、なぁーんとなく理解・・・です。

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 縦帯の上部に「南無妙法蓮華経」の髭題目と「広布山」「本照寺」の各文字が
陽刻で表されています。
そして縦帯の下部を挟んだ左右の池の間には鏨彫りされた銘文が見られます。

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 銘文は「甲陽八代郡落居村有寺」という行から始まっていました。
「甲陽」は山梨県の昔の言い方です。「八代郡」も江戸時代の表記でいまは西八代郡です。
「落居村」も今でいうと市川三郷町落居ということに。
2行目は「名曰廣布山本照寺其寺」となり、3行目以下に続きますが、
その辺はちょっとばかり読み取り不能となりました。

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 縦帯を越えて後半の銘文ですが、「元禄第九暦丙子四月十六日」で始まり、
その後に施主と冶工の名が連ねられていきます。
とくに冶工については「甲州山梨子郡上府中」の「小田切三右衛門知徳」と
同じく「野沢忠左衛門義就」とありますが、
前者の小田切三右衛門知徳についてはちょっとだけ耳に覚えがあります。

 そうです、このブログの2006年10月27日の記事「きはらにて2」で紹介している
中央市木原に所在の三星院さんの梵鐘の、市の文化財指定の説明文の中にも、
彼の名が登場するのです。一年違いの元禄10年の梵鐘がそれです。

 ちょっと深くなったところで今回はこれまでとします。

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じっくり拝見、ほんしょうじさん(その4) [寺院めぐり]

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 もう少し本照寺さんのご本堂をじっくりと拝見することといたします。
まずは左側の方向から、本堂の向拝をのぞき込むように見たところです。
茅葺の屋根は、いまは圧延鉄板で覆われています。
二重の繁垂木が採用されていて、深い軒の出となっています。
向拝の内側には、彫刻が豊かな状況が見られます。
それから廻り縁の下を見ると凝灰岩切石で基壇廻りが化粧をされています。
この基壇の化粧はかなり最近のことかと思われました。

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 入母屋造りの妻の部分に懸魚を見ました。
かなり風食を受けていて、そこに経りにし長い歳月を感じさせています。

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 本堂の正面扉の左右にある柱に、赤い「消化器」の表示プレートが取り付けてあるのですが、
他のお堂の場合も含め、みな逆さまに付けられていました。
何か意味があるのでしょうか、よくわかりません。これまた不思議なことでありました。

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 本堂をぐるりの時計回りに廻りながら、観察を進めたのですが、
正面に向かって左手の隅の軒裏を見上げると、野地板が1枚はずれていて、
その内側の状況が観察できました。

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 茅葺の屋根裏が垣間見られたのでした。

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 目先をグルッと変えて、今度は縁の下。
お寺の本堂なんかの裏手や縁の下には、一般的に見て、いろいろなものが
押し込められるように存在しています。
ここでも例外でなく、梯子だとか、古い机だとか、いろいろと見られました。
でも、注目すべきは、そうしたものではありません。
正面側で見られた凝灰岩切石による基壇化粧は、本堂の側面にまわると、すぐに切れてしまいます。
見えるところだけを入念に、それが化粧の本質といえるかと思うほどです。

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 化粧がされていないところでは、版築なのか、それとも地山の削りだしによるのか
にわかには決めがたいものの、初期の基壇のようすと思われる状況が観察されました。

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 お終いは本堂の背面です。
古い注連のストックが目を惹きましたが、さらに強烈なのは、軒の支え、
いわゆる「つっかい棒」です。
歴史的な建造物によくみられる状況ですが、裏側は日当たりや通気性などの点で、
その他の部分より痛みやすいようです。
深い軒を支える構造が痛んで、つっかい棒が必要とされたのでした。

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 本堂の向拝の手前、左右に石灯籠が献納されていますが、
右手の石灯籠のそのまた右手に、小さな石塔が建っていました。
その正面に四行、記された文字に圧倒され、碑の裏手の建立年等の情報の確認はしていません。

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 それはお三方の法名と没年月日でありました。
武田勝頼とその夫人・北条氏、そして子どものものでありました。
でもいったい何故ここに?????
考えてもわかりません。
何かしらのご縁が有ってのことではあるのでしょうけれど・・・。