じっくり拝見、ほんしょうじさん(その3) [寺院めぐり]
少し回り道しましたが、ようやく本照寺さんのご本堂の前に到達しました。
ご本堂の前は、そんなに広くないので、上の写真のように斜め横から撮るか、
正面から撮る場合は、このように樹木がかかりながらとなるのを我慢して撮るかとなります。
向拝の部分を中心に見ました。
なかなか立派な雰囲気があるなぁ・・・と感じました。
さらに近づいて見たところですが、ちょっと気になることがありました。
それは、注連縄が張られていて、神社のような雰囲気が見られたことにありました。
不思議な感じでした。
境内に看板があり、このご本堂は、市川三郷町の指定文化財だということでありました。
こうした説明板を見ると、何かそれをメモしておかなければ気が済まないと
そんなふうにこの頃思うことが多くて、例によってそれを記録しておきます。
町指定文化財
本照寺本堂
広布山本照寺は、室町中期、康正元年(一
四五五)の開創と伝えられる身延山の直末で
ある。
かつては、釈迦堂と呼ばれる一宇があって
釈迦如来立像(像高九八センチメートル・日
蓮宗形式による十界勧請)が祀られていたが
現在の客殿に動座し、元禄元年(一六九二)
下山村大工、石川伝衛門の手により建造され
たのが現本堂である。
入母屋造り、屋根茅葺で、正面五間(一〇.
九メートル)・側面六間(一三.六六メート
ル)に一間の向拝付きであり、元禄建築の遺
構として誇りある貴重な文化財である。
指定 昭和五十八年三月十日
所有 本照寺
市川三郷町教育委員会
ということでありました。
元禄期の建築となれば、もっとその先も考えられるかしら・・・。
じっくり拝見、ほんしょうじさん(その2) [寺院めぐり]
本照寺さんは、南向きの小高い地形の上にあります。
なので、山門付近からずっと上がっていくのですが、
その参道も斜面を切り開いて造られているので、あちこちに石積みが見られまして、
それがなんとも歴史的な趣を醸し出しているのです。
写真は、山門脇の石積みのようすです。
山門から本堂の方向を見ています。
山門まで何段かの石段を上がってきたのですが、まだその先石段が続きます。
その一区切り分の石段を上がって見ました。
その先の石段の上、正面に本堂、左手に鐘楼が確認できます。
実はこの一区切り分上がったところは、単なる石段の踊り場ではなく、
左右に繋がる通路となっていました。
それで、急に気が変わり、その通路を左側にターンし、
もう少し石積みのようすなど楽しむことに・・・。
参道の石段を左手(西側)の脇から見る形になりました。
巧みに石を積み上げ、石段を構築し、その脇の山を留めています。
石積みのようすを観察中、ふと目を手前に落とすと、
石灯籠の脇に、りっぱな陰と陽の自然石が置かれていました。
特段の説明もなく、さりげなくでありました。
じっくり拝見、ほんしょうじさん(その1) [寺院めぐり]
市川三郷町落居の台の集落の中、納まりつつあったヒガンバナの花を惜しみながら道を行くと
その右手にお寺さんの山門があるのでした。
こちら、その道路から山門をのぞき込んだところです。
でも山門までは何段かの石段が存在していました。
石段を上り行き、山門を見上げるところまで進みます。
で、大きな寺号を記した額がかけられていました。曰く「本照寺」、日蓮宗の古刹です。
このあと、何回かに分けて、本照寺さんの境内でのスケッチをお伝えします。
どうそじんば [いのり・信仰]
市川三郷町落居の網倉集落の道祖神場です。
前回の青面金剛さんは、こちらの道祖神場におわしました。
画面の向かって右手の並びの1つでした。
今回は左手に目を向けていきます。
そう古くない石積みの台の上に、2つ並んで石造物が見られました。
右側は、舟形の、いや卵形の石材に「道祖神」の文字が楷書で刻されているものでした。
そして左側、もう少し詳しく・・・。
男女2体の神様がレリーフで表されていて、仲良く手を取り合っているものでした。
峡南地域にあっては、しばしば見られる双体道祖神と呼ばれるものですが、
とくに、今回のもののように、新しくお祀りされたと見られるものが多いように思われます。
しょぉめんこんごうさん、あるいはさんえん [いのり・信仰]
ちょっと怒り顔の青面金剛像を見ました。
ちょっと怒り顔・・・当たり前でしたか・・・。
石像全体の形です。
そして青面金剛像の下の三猿の像です。
見ざる・言わざる・聞かざるの姿の三匹の猿。欠かせませんね、こうした石造物には。
夜更けのお月さま [月や宇宙・宇宙開発]
神無月の頃も、じゃんじゃんと時は流れ、旧暦9月22日も間もなく過ぎようとする
昨晩23時50分頃のお月さまです。月齢は21.15。もうこんなに・・・という感じでした。
ぽとぽとと・・・(回答編) [これ なあにっ?]
ポツポツと孔があいたポリ塩化ビニル製パイプ、一体どんな場面で使われるのでしょうか。
今回取り上げる塩ビ管の孔は、管の全周にあるわけではありません。
半分くらいの範囲に開けられていて、地中に埋設されます。
この図解のようにセットされ、地中の余分な水分を管の中に集め、孔のない部分で流し去る
そんな役割が与えられている・・・らしいのです。
ポツポツと開けられている孔を伝ってポトポトと(そんな音がするかどうかはわかりませんが)
地中の水を集めて流すすぐれものといえる こうしたパイプの機能は理解できましたが、
それでは、どんな場所で・・・?
とある工事現場で、このような建設資材が積み上げられているのを目撃したのでありました。
それにしても、このようにたくさんの孔開き塩ビ管が必要な場所があるんですね。
どんなところなのか、とても気になります。
で、その近くにあった工事看板を見て納得。
赤い大きな文字で「砂防工事中」とあり、その下にさらに
「地すべり対策工事」の文字も確認されました。
またその近くに、こんな表示杭が見られました。
地すべりは、地中の傾斜を持った不透水層(粘土みたいな)と
その上の透水層(砂っぽい)の間で、地下水がすべりの原因となって
不透水層から上の地盤がゆっくりと傾斜方向にすべっていくことで起こります。
なので、それを防ぐためには、その部分の地下水をうまく排出する必要があります。
このため、多くの孔開き塩ビ管を使って、地下水をコントロールし、
地すべりが起こりにくくする・・・そんな現場でありました。
またまたその近くで見たもの、それは集水井戸でした。
例の塩ビ管などを使って、地中の水を導き出し、
それを集め、まとめて管理するための井戸・・・でありました。
地域の人びとの安定した暮らしのために、いろいろな仕組みや技術があるんだなぁ・・・と。
そういえば、エートマンも直接的にこのような塩ビ管にお世話になったことがあったな、と
いま、ふっと思い出しました。
[補記:画像データ再整備と若干の修文をしました 2023.9.17]
ぽつぽつと・・・ [これ なあにっ?]
直径200ミリの塩ビ管ですが、ちょっと風変わり。どんな意味があるのでしょうか。
管には、ポツポツと孔がいっぱい・・・。そこがポイントのようです。
[補記:画像の再整備しました 2023.9.17]
さらまちづき [月や宇宙・宇宙開発]
旧暦9月20日。その夜のお月さまは「更待月」
今夜、久々にきれいに見ることが出来ました。秋の澄んだ夜空に・・・。
そういえば、今朝も有明状態できれいに見えましたっけ。
天野久さんの能書の跡(3) [エートマン・モードの人物館]
前回の記事「割石隧道」の名称額に注目です。
この独特な書風、またトンネルの竣工時期の昭和34年というのからすると、
額の書の書き手はもうあのお方しか考えられませんね。
やはりそうでした。
公選2代目の山梨県知事(昭和26年~42年)でありました天野久さんでした。
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