お宮の北に架かるその橋は・・・ [川と橋の文化誌]
諏訪神社について、いっぱい取り上げた後は、橋のスケッチです。
南西(手前)から東北の方向に架かる橋です。
神社の北側をほぼ東西に流れる川に架かりますので、大まか南北方向として話を進めます。
つまりこの写真は、南詰から北詰方向を見ています。
南詰の下流側の親柱です。そこには「宮北橋」のプレートが見られました。
南詰の上流側の親柱です。プレートは「高室川」。うん、下を流れる川の名称です。
親柱の裏手に施工者の名称のプレートが見られました。
それから橋の欄干です。けっこうアンティーク、です。
親柱とこの欄干から、たぶん・・・昭和40年頃かな。
橋を南詰から渡りながら上流方向を見てみました。
河床は整備され、河川公園というか親水公園になっていました。
北詰の上流側の親柱です。「みやきたはし」です。
北詰の下流側です。「昭和43年3月25日竣工」
うん、いい感じ。昭和43年でしたか・・・。
宮北橋を渡りきって、北詰からの橋の全景です。
橋の向こうに諏訪神社の社叢が確認できます。
お終いは、親水公園の施設としての階段を降りて、下から橋を見上げました。
赤く塗装された鋼製の平行桁の上に、コンクリート床盤が形成されています。
あちこち探しましたが、道路示方の表示プレートは見あたりませんでした。
でもたぶん二等橋です。
じゅんこく [忠魂碑の類]
手前の標柱には「郷社諏訪神社」とあります。
その向こう側、画面の中ほどに、とある石碑が見られました。
こちらがその正面観です。
こういうのって気になりますね。どんなことを伝えようとしているのでしょうか。
碑面の上部に、題額とみられる「殉国」の文字が見られました。
題額の下には、戦争でお国に殉じた多くの方々のお名前や、
没年月日・年齢・場所などが刻されていました。
碑の背面の中央に一行、「昭和二十九年春彼岸榊村建之」とありました。
彼の戦争が終わって十年近く、この少し前の昭和27年4月に戦傷病者戦没者遺族等援護法ができ、
これを契機に、個々に、あるいは地域でまとまって、戦没者の慰霊を行うことが
盛んになされています。
ここに見る殉国の碑もそうしたことの現れと理解されます。
それから「榊村」ですが、明治8年から昭和29年まで存在した自治体名でありました。
ここ曲輪田もその榊村の1つの大字でありましたが、昭和の大合併で「櫛形町」となり、
平成の大合併により、いまの南アルプス市となっています。