じっくり拝見、ほんしょうじさん(その5) [寺院めぐり]
今回の焦点は鐘楼に当たります。
鐘楼だから、当たり前ですが、鐘が吊られていて、
それを打ち鳴らす撞木(しゅもく)も見られます。
よく見ると、ここの撞木は、シュロの木を用いたのではありませんでした。
この本照寺さんの鐘楼の前にも、文化財の説明板がありました。
その内容は別に確認するにして、大まかに言えば
吊されている梵鐘が町指定文化財だとのことでした。
さてさて、付録としてまた説明板の内容を記録しておきます。
町指定文化財
本照寺梵鐘
元禄九年(一六九一)に鋳造された銅製の
和鐘で、江戸時代の最盛期(寛文~元禄)の
所産である。
笠形の突起が大きく、乳の数が百八箇、鐘
座の位置が高い等、江戸時代の特色が十分う
かがえる。
指定 昭和五十八年三月十日
所有 本照寺
市川三郷町教育委員会
ということでありました。
そんなふうに説明を読むと、実物が気になります。
でもその前に、説明文の中の専門用語がちんぷんかんぷんです。
「笠形の突起」って何のこと? 「乳」って108個もすごい!でも何のことだろ?
「鐘座」って?
それで、調べてみましたよ。
便利なサイトのお陰です。
参考にしたwebページ『寺子屋NET 蓮浄寺』の中の
「鐘楼・梵鐘について」というページです。
いろいろな解説があり、撞木はシュロよりも脂身の松がいいとか、少々専門的ですが、
図解もあって、なぁーんとなく理解・・・です。
縦帯の上部に「南無妙法蓮華経」の髭題目と「広布山」「本照寺」の各文字が
陽刻で表されています。
そして縦帯の下部を挟んだ左右の池の間には鏨彫りされた銘文が見られます。
銘文は「甲陽八代郡落居村有寺」という行から始まっていました。
「甲陽」は山梨県の昔の言い方です。「八代郡」も江戸時代の表記でいまは西八代郡です。
「落居村」も今でいうと市川三郷町落居ということに。
2行目は「名曰廣布山本照寺其寺」となり、3行目以下に続きますが、
その辺はちょっとばかり読み取り不能となりました。
縦帯を越えて後半の銘文ですが、「元禄第九暦丙子四月十六日」で始まり、
その後に施主と冶工の名が連ねられていきます。
とくに冶工については「甲州山梨子郡上府中」の「小田切三右衛門知徳」と
同じく「野沢忠左衛門義就」とありますが、
前者の小田切三右衛門知徳についてはちょっとだけ耳に覚えがあります。
そうです、このブログの2006年10月27日の記事「きはらにて2」で紹介している
中央市木原に所在の三星院さんの梵鐘の、市の文化財指定の説明文の中にも、
彼の名が登場するのです。一年違いの元禄10年の梵鐘がそれです。
ちょっと深くなったところで今回はこれまでとします。