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納めの・・・こうしん451 [送電線と鉄塔&発電所・変電所]

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 大掃除も終わりきらないけど、お年賀の準備がまだ・・・。
そんなわけで暮れ時にお買い物に出かけました。
たまたま甲信幹線451号鉄塔の足下にある大型スーパーに。
スーパーの建物の上のお空に、金星が輝いていました。

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 買い物終了して、下から見上げた451号鉄塔です。
左手にお月さまが輝いていました。

 2011年の納めの鉄塔となりました。


(参照)はじめて451号鉄塔を認識したとき・・・2006年3月12日

「おおつごもり」2011のお月さま [月や宇宙・宇宙開発]

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 2011年12月31日の17時に撮影したお月さまです。
旧暦では、12月7日で「七日の月」になりますが、月齢では6.58でした。
なお、タイトルの「おおつごもり」のお月さまのことについては、
昨年のこの日の記事「大晦日の月」をぜひご参照ください。

暮れの暮れつ方に・・・ [甲斐の山々]

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 2011年12月31日の17時、暮れゆく南アルプスを見ました。

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 当地からは農鳥岳が見えません。
左手の間ノ岳と右手の北岳がシルエットで確認できます。

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 北岳のさらに北側に目をやると、鳳凰三山です。
同じ望遠の条件ですが、だいぶ暗くなってしまいました。
日没の残照のある辺りから遠のいているからです。

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 見える範囲でいちばん南側の山並みです。こちらはまだ少し明るさが多めです。
前衛の山々の向こうに少しだけ見えている荒川東岳(悪沢岳)に目がとまりました。

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 荒川東岳を大きく切り出しました。

 さて、全国的に災難が多く続いた2011年も間もなく終わろうとしています。
いろいろな悲しみや喜び、皆あの山の向こうへ過ぎ去っていったようです。
2012年は、どんな年になるのでしょうか。
泣いても笑っても・・・とよくいわれますが、そのとおり、この年が行き、
新しい年がやってきます。
ようこそ、2012年! と迎えることにしましょう。

内船八幡さん(その5・とくに「慰霊之碑」) [忠魂碑の類]

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 前回の記事の最後の写真(再掲)でありますが、今回の話題は、この中にありました。

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 内船八幡さんの境内に合わせ祀られている護国神社の本殿覆い屋を見上げる視線を
少し落としてみると、手前に石碑が建っているのに気付くのでありました。

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 正面から見ました。

 碑文の上部にある題額の部分には「慰霊之碑」とありまして、
碑文の末の方(左端)に「昭和二十九年春彼岸 榮村婦人會 建之」と
少し大きめに刻されていましたので、この時期にあちこちで進められた
戦没者の慰霊の碑の1つだと理解されました。

 碑文の中心は、戦没者の氏名を地区別に書き上げたもので、その数は、
内船上地区で30名、内船中地区で23名、内船下地区で17名、井出地区で15名、
十島地区で23名、上佐野地区で6名、下佐野地区で9名の、
合わせて123名となっているのでありました。

 「榮村(さかえむら)」は、明治7年から昭和30年までの間の村名(ないしは自治体名)で
内船・井出・十島・上佐野・下佐野の5つの村が合併して成立したものだそうです。
合併後もこの5つは栄村の大字を構成していましたが、とくに内船は、上組・中組・下組の
3つに別かれて扱われることがあったようであります。
碑文の地区別は、これに対応しています。

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 折から石碑の背後にはサザンカの赤い花が盛りを迎え、
無言でふるさとに帰った123名の霊を慰め続けているようでございました。

内船八幡さん(その4・とくに護国神社) [神社まいり]

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 またまた内船八幡さんでのスケッチです。
手水場の付近から見た八幡さんの拝殿ですが、よく見ると、その向こう側にもう1つ
同じような、でも少し小振りの建物が見られますね。

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 それがこれ、内船八幡神社境内に、八幡さんに隣り合わせて祀られている護国神社なのです。

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 拝殿は、ガラス・サッシが多用され、明るく近代的な感じでした。
その拝殿に掲げられた神号額です。

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 今度は反対に護国神社側から、護国神社と八幡神社が並び立つようすを見ました。
八幡神社は誉田別命(ほんたわけのみこと)すなわち応神天皇を祭神とする神社で、
どちらかというと戦の神様。源氏がこの神様を特に崇めたのはそんなところもあるらしいのです。
その八幡神社に護国神社が寄り添うのも、何となくわかるような・・・・。

 内船八幡さんには護国神社も併せ祀られていたよ、というのが今回のテーマでした。

内船八幡さん(その3) [神社まいり]

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 内船八幡さんの参拝記の第3弾です。
(年の暮れの例しとて、諸般の課題あって遅々としてます)

 境内の一画に設けられた手水場から拝殿方向を見ています。

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 手水鉢に水を供給する龍の像は、来年の干支でもあり、
今年から来年への移り変わりを感じさせてくれるものでありました。

 その拝殿のようすについては前回の記事でふれましたが、少し残した話題がありました。
2つのポスターのことです。

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 その1つ、伊勢神宮の第62回となる式年遷宮が2013年にありますよ・・・ということを
PRするものでありますが、ただ広報するだけではなく、「ご奉賛」を
すなわちみんなで盛り上げ、できればお参りし、そして20年に一度のこのイベントに
資金的にも力を寄せましょう・・・ということを訴えるものであったように受け止めました。

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 2つめのポスターは、神社本庁のそれですが、目を惹く写真もそうですが、
シンプルなコピーのついても、またグッとくるものがありました。
ふり返ってみると、エートマンは毎日、「心に旅を」させている・・・状態なのです。

内船八幡さん(その2) [神社まいり]

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 内船八幡さんは、けっこう(失礼!)格式のある神社と見えました。
なので、本式のお参りをしました。
 石段を上がりきると右手に手水場がありましたので、
きちんと手を洗い、口をすすぎ、柄杓を逆立ててつつぅーと。

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 拝殿前に進み、二礼二拍手一拝・・・と。
拝殿正面に「八幡神社」の神号額が掲げられています。
全体的に新しい感じ・・・。

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 そういえば拝殿の向かって左端に由緒書が掲げられていました。
由緒書によれば、
 ・この内船八幡さんは、平安時代の末に、京の岩清水八幡を分霊を勧請したもの。
 ・初め裏山の大段山の頂にお祀りされたが、室町時代に現在地に移され、いまに至ること。
 ・その際、社殿等立派に整えたが、慶長8(1603)年に災禍にあい宝物等多くを消失したこと。
 ・本殿は文政6(1821)年に建造されたもので、南部町指定文化財であること。
 ・本殿の覆殿や拝殿・社務所など老朽化により、昭和の末頃改修され、昭和60年に竣工したこと。
などの歴史が記され、その末尾は
 ・願わくば、往日のごとく諸人の八幡信仰の厚からんことを
と結ばれていました。

内船八幡さん(その1) [神社まいり]

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 南部橋(新橋)から南部橋(旧橋)の解体のようすを見物した折のこと、
ああ、イチョウ、すっかり葉を落としてしまったなぁ・・・、そして
そのせいか八幡さんのようすがよくわかるなぁ・・・、そうだ、いってみよう、八幡さんへ。
(参考: このイチョウの色づいたようす、こちらで見られます

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 とことこと、やってまいりました内船八幡さん。
念願のあの赤い鳥居をくぐるのであります。

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 鳥居をくぐり、右手の大クスノキ、左手の大イチョウを見ながら石段を上がると、
拝殿が見えてきました。

JR身延線中田踏切にて [鉄道・電気機関車]

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 南部町内船にある、身延線の中田踏切でのスケッチです。

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 踏切の中央で、下り方面見ました。
(あぶなくないですか?  ・・・はい、それはだいじょうぶです。)

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 踏切の中央で、上りの方向を見ました。向こう側は、内船駅になります。
(踏切の真ん中で、あぶないです、電車来たらどうするの?  ・・・はい、だいじょうぶです!)

 それにしても、2本のレールの内側にあるの何だろうね・・・。

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 すぐに答え分かりました。
レールに白いチョークのようなもので、「脱防スタート」と書かれていまして、
それは脱輪防止用の器具だと理解されたのです。

 それにしても、レールの上面、すっかり錆びてしまっていますね。
この中田踏切、電車が通らないんですよ、いまは・・・(来年の3月くらいまで)。
だからだいじょうぶというわけなんです、踏切の真ん中でスケッチしていても・・・。

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 内船駅構内のようすを望遠してみました。

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 止まっていた電車、赤いランプが見えますので、見えているのは最後尾。
列車は向こうに行くもので、こちらには来ません。
というか、来ないようにレールの上に障害物(とういうか車止め)が置かれていますね。
 皆さんもうご存知だと思いますが、身延線は、身延-内船間では、去る9月の台風の影響で、
路盤が流失した箇所があって、不通となっているのです。
復旧の見込みは、2012年3月とされてます。

ど根性スイセン [はないちもんめ]

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 山梨県の最南にある南部町、南部橋の旧橋撤去を見物に訪れた内船地区で、
天皇誕生日の祝日に、あちこちでスイセンの花が咲くのを見かけました。
 写真はそのうち、内船八幡神社境内で見たものです。
背景の赤い横のラインは、今年(2011年)の8月4日に供用が始まった南部橋(新橋)の存在です。

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 こちらも内船八幡さんの赤い鳥居の前で見たものですが、
とても根性があるスイセンなのでした。

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 ど根性スイセンと見たその理由は・・・、おわかりになりますか。