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藤巻山永正寺 [寺院めぐり]

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 中央市藤巻の地にあるお寺、永正寺にお参りし、例のとおりキョロキョロしたの記です。
(この写真と最後の写真は、2011年12月8日の「永正寺境内の忠魂碑」に使用したものの再掲です)

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 ご本堂にもう少し接近して拝見です。
どこかしらバランスが・・・。シンメトリーじゃないみたい。asymmetryです。
向拝の付く位置が建物中心からやや右にずれているようです。

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 大棟の飾りは、日蓮宗の寺院の紋章・・・ですね。
そうか、永正寺さんは、日蓮宗の寺院なのですね。

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 ご本堂に向かって左手には墓地が見られますが、そちらの方から見た本堂建物の側面観です。

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 向拝のようすです。
向拝柱は海老虹梁によって身舎と連結されています。

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 右側面を通過して背面に。おやおや、いくつものつっかい棒が・・・。

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 本堂の背面は、青色の波板鉄板でカバーされていますが、
いたずら心にも、その床下を覗いてみることに・・・。

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 追加された束でしょうか。礎石に墓石や燈籠の一部が転用されていました。
お寺さんでは、ちちんぷいぷいとおまじないを唱えて、墓石などから魂を抜き、
こうして建築や構造の一部に転用することはままあるそうです。

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 旧忍村の日蓮宗の寺院、永正寺さん、地域の宗教センターでもありましたが、
歴史の証人でもありました。少しばかり建物の保存に気がかりなところが見られましたが
これからもがんばっていって欲しいと思われました。

「忍村」について [地域の小さな歴史]

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 「忍村」について調べてみました。
忍村と書いて「しのぶむら」と読みます。けっして忍者の里なんかではありません。

 それは、明治8年から同22年までの間、巨摩郡(明治11年からは中巨摩郡)の村名であり、
明治22年から昭和16年までの間、中巨摩郡の自治体の1つでありました。
大和田・藤巻・馬籠・今福・今福新田の5つの大字を編成していました。
富士川の2大支流の笛吹川と釜無川に挟まれた地域で、「常襲水難の地」と評されるほどでした。
南側を流れる笛吹川には、渡船があり、
後に(明治の末年に)桃林橋が架橋されるまで続いていました。
渡しがあった頃、村には河岸場税が徴収されていた、との記録もあったそうです。
昭和16年、田富町の一部となり、現在は中央市の西南端の地となっています。

 以上の記述は、多く『角川日本地名大辞典 19 山梨県』の記事に拠っています。
写真は、中央市藤巻の永正寺境内にある忠魂碑の裏面の銘文の一部です。
「忍村」・・・少しも知りませんでした。この碑文にであうまでは。